裸足のシンデレラ

綾月百花   

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第九章

1   疑心   不倫

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 英語サークルを辞めたわたしは、授業が終わると真っ直ぐに自宅のホテルに戻るようになった。

 だから、タクシー通学は終わった。

 毎日、地下鉄まで歩いて、地下鉄で移動して、そこから徒歩で学校まで通うようになった。

 12月に入って、急に寒さが厳しくなってきた。

 光輝さんは、12月に入ると仕事が忙しくなって、ホテルにいない日が多くなった。


「今日は遅くなる。食事はしてくるから、バイキングで食べてくれるか?」

「はい」


 どこかに預けられるのは嫌だと言ったからか、わたしをホテルに残して出張も出かけるようになった。

 先週は1週間、海外出張があった。あちこちを回ると言っていた。

 わたしは授業があるので、一緒に行くことを断った。

 その1週間の間に、わたしは短期でアルバイトをした。

 光輝さんがいたら絶対にできないシフトを組んで、1週間の間に、6万円を稼いだ。

 そのお金で、クリスマスプレゼントを買おうと思った。

 光輝さんと卓也さんと恵麻さんに。

 本当は今日は休講だったけれど、わたしはいつもと同じ時間に学校に出かけて、学校の図書館で勉強をしていた。

 お昼近くに、卓也さんからラインが来た。

 わたしは以前、卓也さんに一緒に買い物に行きませんかと誘いを受けていた。

 今日、休校だと言う事は話してある。


 《大学前に着きました》

 〈すぐに向かいます〉


 わたしはすぐにバックにノートと本を入れて、大学の門の外にある簡易の駐車場に向かった。


「お待たせして済みません」


 走って来たわたしを、卓也さんは笑顔で出迎えてくれた。


「寒いからね、外で待たせるわけにいかないよ」


 卓也さんは、既に入社する会社も決まっていて、今は、ゆったり休暇を過ごしている。

 わたしの都合に合わせて、会いに来てくれる。


「食事をしようか?」

「そうね」


 卓也さんの車に乗って、出かける。


「クリスマスのプレゼントは何が欲しいですか?」

「そうだね」


 卓也さんは少し悩んでいる。

 ダウンのコートを着ているので、卓也さんの服装は、よく分からない。


「お世話になっているから、光輝さんの物も買いたくて」

「お世話になっているからなの?」

「うん」

「愛しているからじゃなくて?」

「……愛しているのか、少し迷っているの」


 わたしは正直に答えた。


「何かあったの?」

「あったと言えば、あった。ないと言えばないかもしれない」

「また迷路に嵌まっているのか?」

「……うん」


 わたしには友達は恵しかいないけれど、相談できる年上の卓也さんと年下の恵麻さんがいる。

 今日は恵麻さんは学校だ。


「話すだけ話してみたらどうだ?スッキリするかもしれないよ?」

「うん」


 卓也さんは、よくわたしの話を聞いてくれる。

 間違っているところは、ちゃんと指摘してくれる人だから、とても信頼している。

 わたしは思考を巡らせて、葵さんの話をして、卓也さんならどうするか聞いてみた。


「俺だったら、全金額を請求する。相手に赤ん坊がいようと、責任は取ってもらう。美緒さんが不安になる気持ちも分かった」

「だよね?100年も犯罪者と付き合う気持ちが理解できない。まるでプロポーズみたい。こんなプロポーズなんてされたこともないけど」


 ため息が漏れてしまう。


「美緒さんはどんなプロポーズされたの?」


 運転しながら、チラリとわたしを見た卓也さんは、からかっているようには見えない。


「一目惚れだって。どこかのお米の名前みたいね」


 わたしは皮肉って答えた。

 実家で食べていたお米が確か、そんな名前だったような気がする。

 最初に光輝さんに言われたときは、とても嬉しくて、安心したのに、今は少しもあの時の感動は蘇らない。


「わたしの最初の指輪を売った事も許しちゃって、ダイヤモンドの指輪は1500万くらいしたんだって。それが半日も付けてないのに、なくなって。今はめている指輪は、偽物の指輪なの。誓い合った指輪じゃない。飾りの指輪に価値があるのかな?」


 わたしは指輪をクルクル回す。

 精神が落ち着かない時の習慣のようになっている。

 盛大のため息を付いて、ドアにもたれかかる。

 海で遭難した時は、この指輪に強い絆を感じたのに、今はもう感じない。


「2度目の指輪の時は誓い合っていなかったの?」

「うん。急だったから、これをはめていてくれって言われただけよ」

「総帥は言葉が足りないのかな?夫婦生活は上手くいっているの?」

「わたしは自分の部屋で寝ているわ」


 卓也さんは呆れたような笑みを浮かべた。

 新婚の夫婦なのに、夫婦生活がない。求められてもいないなんて、想像できないだろう。

 今はわたしがその気になれないから、ありがたいけれど、寂しくもある。

 卓也さんは、お洒落な店の駐車場に車を止めた。


「今日は俺と気晴らししてみたら?」

「そうね」


 車から降りようとした時に、見慣れた車が駐車場に入ってきた。


「光輝さん?」

「ん?」


 卓也さんも車の中からじっと車を見ている。

 車から降りてきたのは、光輝さんと葵さんだ。
 
 後部座席にチャイルドシートが置かれていて、光輝さんがチャイルドシートから赤ちゃん、美衣ちゃんを下ろした。

 美衣ちゃんは光輝さんにしがみついている。

 すごく手慣れた感じで、今日が初めてだとは思えない。

 光輝さんの隣には、ワンピースを身につけた葵さんが寄り添っている。

 卓也さんはスマホで写真を撮っている。

 三人はお店の中に入っていった。


「卓也さん、これって、浮気でしょうか?」

「浮気に見えるね」

「このお店に入ってもいいの?別のお店に行く?」

「美緒さんは気になるだろう?」

「そりゃね」


 戸籍上はわたしの夫であるし、初めてを献げた相手でもある。

 気持ちは迷子になっているけれど、愛している人だ。


「だったら行こう。相手は子連れだ。よそ見なんてできないだろう?」

「うん」


 わたし達はお店に入って、光輝さん達が少し見える離れた席に座った。

 この店はイタリアンのお店だ。光輝さんとは来たことがない店で、初めて入るお店だ。

 いろんな初めてをわたしにくれると言っていたのに、口から出任せを言ったのだろうか?

 卓也さんはAランチとピザを2枚頼んだ。

 光輝さんの所は、単品で幾つかの料理を頼んでいるようだ。


「美緒さん、写真写しておきなよ」

「うん」


 わたしはスマホで光輝さん達を写した。けれど、カメラを向けると胸がモヤモヤする。

 卓也さんは、わたしよりたくさん写している。

 美衣ちゃんがピザを持って、食べている。メニューを見て料理を推測する。

 ドリアやポテトフライ、パスタ、ピザ、他にもありそうだけれど、全ては分からない。

 花火の立った大きなケーキが運ばれてきた。

 テーブルの上で、花火がキラキラと弾けている。

 とても綺麗だ。

 光輝さんも葵さんも楽しそうにしている。

 食べる速度は、わたし達の方が速い。

 相手は赤ちゃんを連れて来ているから、どうしても食事に時間がかかる。


「光輝さん、葵さんとそう言う関係じゃないって言っていたのに、嘘をついたのかな?わたしが子供だから?」


 初めて葵さんが美衣ちゃんを連れて、ホテルの部屋に来た時を思い出した。

 美衣ちゃんは、光輝さんの子ではないことは分かったけれど、葵さんとの付き合いが、実際どうだったのかまでは、分からない。

「この後、付けてみようか。どこに行くのか気になるし」

「うん」


 ランチに付いてきたオレンジジュースを飲みながら、デザートのケーキも食べる。


「先に支払いしておくよ」

「半分出す」

「ここは、俺の顔を立てて」

「それならごちそうさま」

「いいえ」


 卓也さんは通りかかった店員を呼び止めて、清算を頼んだ。

 光輝さんは、わたしに見せる笑顔とは違う笑顔を葵さんに向けている。

 ホステスをしていた葵さんには話術が堪能なのだろう。

 男の人が喜びそうな話ができるのか?それとも二人で培った愛情なのか?

 見ているわたしには分からない。

 ただ楽しそうに見えた。

 光輝さん達が清算をしている。美衣ちゃんがぐずりだして、急いでいるようだ。

 卓也さんに手を引かれながら、光輝さん達が座っていたテーブルを見る。

 わたしがもらった丸いケーキよりも大きなケーキが半分以上残されて置かれていた。

 ケーキに書かれていた文字は『おめでとう』しか見えなかった。

 消えた花火はケーキの横に置かれている。


「急ぐよ」


 卓也さんは、ぼんやりしているわたしの手を引くと、急いで車に乗った。

 後部座席から帽子を取ると、わたしの頭に乗せた。

 サングラスまで貸してくれた。卓也さんもサングラスとはめて、マスクをした。

 光輝さんの車を、卓也さんは一台車を挟んだ状態で追尾した。

 ずいぶん走って、住宅街に入っていった。


「彼女の家があるのかもね?」

「うん」


 車が止まったのは、比較的新しいアパートだった。


「写真撮って」

「うん」


 後部座席から美衣ちゃんを抱き上げたのは、光輝さんだった。

 美衣ちゃんは寝ているようだ。

 葵さんは1階の部屋の扉を開けた。その中に、光輝さんも入って行った。


「出てくるまで見張るか?」

「もういい」


 わたしは鞄からハンドタオルを出して、顔を覆った。

 涙は見せたくない。


「大丈夫?」

「……うん」


 わたしは涙を拭って、家をじっと見た。


「わたしとエッチをしなくても、他でしていたのね?わたし、これでも妻なの?」

「別れたいなら、弁護士を紹介するよ」

「どうしたらいいの?」


 わたしは指輪を指から抜いた。

 形だけの物だ。

 好きだとか愛しているって言葉は、ずいぶん聞いていない。

 ただ指輪はなくしたらいけない。お財布の中に仕舞った。


「うちに来ても構わないよ。恵麻も喜ぶ」

「でも、今日はホテルに戻る。遅くなるって言っていたから、夕食は葵さんの手料理ね」


 手料理か……。

 わたしにはないスキルだ。

 わたしも部屋を借りて一人で住んでみたい。

 自分で料理を作って、本当は愛する人と一緒にいたい。


「卓也さんの家は、マンションやアパートを貸してはいないですか?」

「あるにはあるけど、一人で住むつもり?」

「うん、独り立ちしたい」

「家賃も光熱費もかかるんだよ?食費だって」

「気持ちが落ち着くまで、一人でいたい。貸してください」

「分かった。鍵を取りに行くよ」

「……うん」


 車が走り出して、わたしは帽子とサングラスを外した。


「できたら、すごく安い部屋にしてほしい。ワンルームで十分だから」

「女の子の一人暮らしは危険なんだよ」

「虐待されていても死ななかったし、海で遭難した時も死ななかったから大丈夫だよ。きっと生命力が強いんだよ」

「どんな根拠だよ」

「……疲れたの」


 卓也さんは困った顔をしている。

 本当はこれからクリスマスプレゼントを買いに行く予定だったのだ。



「クリスマスプレゼント用に溜めたお金を使いたいの。プレゼントは買えなくなってしまったけれど、ごめんなさい」

「そんなもの無くてもいいけど、これからどうするんだよ?」

「光輝さんの金庫に、わたしの通帳があるの。それを返してもらう。だから、今日は帰る。家を出るのは、通帳を返してもらった後になるかな。荷物だけ先に届けておこうかな」


 卓也さんは不動産屋さんの駐車場に止めて、「待っていて」と言って出て行った。

 すぐに戻って来て、鍵を貸してくれた。


「マンションにしたから。セキュリティーがしっかりしたところ。賃金はアパートの賃金でいいよ」

「保証人は?」

「俺だ」


 卓也さんは親指で自分を指した。

 なんだか格好いいお兄さんだ。


「その代わり、合鍵は俺が持つからな」

「うん」


 わたしは卓也さんに部屋を借りることができた。

 マンションに着いたら、とても立派な部屋だった。

 学校から割と近くで、歩いても行けそうだ。

 マンションに入るためには、暗証番号が必要で、部屋に入るにも鍵が必要だ。

 カードキーで自動に鍵が閉まる所は、ホテルと同じだと思った。

 部屋の中は、ファミリー向けなのか、部屋が3部屋ほどあって、キッチンは広い。


「こんなに立派な部屋でなくても、ワンルームで良かったのに」

「うちはファミリー向けのマンションを貸し出しているんだ」

「そうなのね、お家賃は幾らくらい?」

「タダでもいいけど、それじゃ気が済まないんだろう?」

「うん」

「それなら2万でいいよ」


 卓也さんの提示した金額を聞いて、わたしは卓也さんをじっと見た。


「どうして2万円にしたの?わたしがお金を持っていないと思ったから?それとも知り合いだから?」


 卓也さんは、また困った顔をした。

 光輝さんが葵さんから受け取っている金額も2万円だ。


「俺は美緒さんが好きなんだ。困っている美緒さんの力になりたいと思ったら駄目なのか?」

「わたしは既婚者なんだよ?」

「だから何だって言うんだ?山で美緒さんを助けた時から、ずっと美緒さんを見守って来た。苦しんでいる美緒さんの力になりたいって思ったら迷惑か?」

 確かに卓也さんには、命を救われて、怪我をしている間、家でお世話になって、その後もいろいろお世話になっている。

 わたしにとって、とても信頼できる人だ。


「光輝さんも同じ気持ちなのかな?」


 ストンと床に座りこんで、膝を抱えた。

 わたしの背後から、卓也さんが抱きしめてくれる。

 触れあった体温が、とても心地いい。

 最近、光輝さんと触れあっていなかったので、この温もりも忘れていた。


「美緒さん、買い物に行こうか?ここに住むのなら」

「うん」


 わたしは涙を拭って、立ち上がった。

 一人で生きて行くのなら、もっと強くいなければならない。


「荷物も運び込むんだろう?一度ホテルに戻るか?」

「そうだね。泣いている時間はないね?」


 卓也さんがわたしの手を握って、歩き出した。

 マンションを出て、まずはホテルに戻った。

 スーツケースを二つ使って、着る物を用意した。冬物は嵩張る。

 学校の教科書やノート、ノートパソコン……必要な物をリュックに詰めた。

 ポシェットを斜めがけにして、卓也さんにも荷物を運んでもらった。

 至急で電気ガス水道を使用できるようにしてもらった。

 リビングだけ、エアコンが付いた。


「買い物に行こうか?」

「うん、節約したいから100均があるところがいい」


 卓也さんはスーパーに連れて行ってくれた。


「冷蔵庫はないけど大丈夫?」

「寒いから大丈夫だよ」

 わたしはスマホで検索して、一人暮らしに必要な物を探した。

 お布団、毛布、湯わかしポット、お鍋、フライパン、マグカップ、お皿……卓也さんと恵麻さんが、来た時用にマグカップは3個用意した。食材は卵や牛乳、ベーコンや肉、野菜まで買ったら、卓也さんが小さな冷蔵庫を買ってくれた。


「寒くても、常温で置けば食中毒を起こすだろう?」

「いいのに。わたし、生まれてからずっといらない子だったの。いつ死んだって、誰も悲しまないから。でも、部屋では絶対に死なないから安心して」

「俺は悲しむ。絶対に死ぬことを考えるな」

「うん」


 卓也さんは部屋に荷物を運んでくれた。

 殺風景な部屋だった所に荷物が雑然と埋まっていく。


「他にいる物はないか?車だから甘えていいよ」

「それなら、市役所に連れて行ってくれますか?」

「どうするの?」

「離婚届をもらいに行きたいの」

「本気なの?」

「……うん」


 卓也さんはホテルに送る前に市役所に寄ってくれた。


「少し、待っていて」


 わたしは一人で市役所の中に入ると、離婚届を自分で取りに行って卓也さんの待つ車に戻った。

「ありがとう」

「話し合いをせずに、いきなり離婚届を渡すのか?」

「わたし、今まで夢を見させてもらっていたのだと思うの。こんなわたしが幸せになれるはずがないの。それに、話し合いなら、きっと今までもできたはずなのに、してこなかった。だから、きっと顔を合わせても、光輝さんに気持ちを伝えることはできないと思うの。このまま離婚届を置いて、姿を消すつもりでいるの」

「美緒さんの気持ちは、伝えないつもりなのか?」

「うん」


 卓也さんは納得できないような顔をした。けれど、わたしの気持ちは静かに立ち去ることだった。

 卓也さんはわたしをホテルまで送ってくれた。


「ありがとう」

「ここを出たら、連絡して」

「うん」

「それから、これは今日の証拠写真」


 卓也さんがA4サイズの写真を5枚くれた。今日の三人の写真は証拠写真になる。

 わたしは手を振って、卓也さんの車を見送った。ホテルの部屋に戻って、自分の部屋の引き出しに写真を隠した。

 机の前で、わたしは離婚届をじっと見る。

 名前を書いてしまったら、わたしは光輝さんと離婚してしまう。

 どんな関係でもなくなる。

 なかなか名前が書けなくて、先に部屋の片付けをすることにした。

 ホテルのフロントで段ボールをたくさんもらってきた。

 この部屋に葵さんが来るなら、わたしの荷物はない方がいい。



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