51 / 184
第七章
4 それぞれの立場・父という他人
しおりを挟む
最後のスイカを口に入れて、美味しさに感動してしまった。
明日のお昼は、フルーツポンチをリクエストした。サイダーの入ったスイカもとても美味しかった。
今夜のシェフは食事中にスイカをバスケットに作り上げた。
ナイフで美しいカットをして、スイカではないみたいに美しい。
わたしは、今回はスマホで写真を撮った。
こんなに美しい物を記憶だけで収めておくのは勿体ない。
もし、恵が夏休みの思い出の写真を見せてくれたら、わたしはこの写真を見せようと思っている。
「スイカの季節もそろそろ終わるだろう」
「そうだね、もう8月も半ばも過ぎたから、今夜が食べ納めかな?」
「8月いっぱいまでは出荷はされると思うから、バイキングでは出されるかもしれないけどね。あるうちは、デザートをリクエストしておいてもいいかもしれないね?」
「光輝さんは、スイカばかりで嫌じゃないの?」
「スイカを食べる美緒を見るのが好きになった。美味しそうに食べるから」
「え?///」
光輝さんは布巾で口元を拭うと、わたしの髪を撫でた。
「食べ終わったのなら、リビングに移動しようか?」
「はい」
光輝さんに手を引かれて、歩いて行く。ソファーに座ろうとしたら、光輝さんに押し倒された。間近で見つめ合う。
「美緒、好きだよ」
「わたしも好きよ」
顔が近づいてきて、わたしは目を閉じた。唇が重なった。
その時……。
プルルルルル!プルルルルル!プルルルルル!……
室内の電話が鳴り出した。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんの電話も鳴りだした。
わたしは目を開けた。
(またなの?今度は誰?)
唇が離れて行く。
先ほどまで機嫌が良かったのに、光輝さんの目が据わっている。
「電話よ?」
「ああ」
「出ないの?」
「時間外だし、そもそも今日は休日だ」
「それなら、わたしが出ましょうか?」
「いや、俺が出る」
光輝さんは、起き上がると広いリビングを歩いて、カウンターに置かれていたスマホの画面を見て、着信を消した。それから部屋の電話に出た。
〈円城寺〉
《円城寺様、おくつろぎの時間に申し訳ございません。ご家族の方がお部屋に向かいました》
〈ありがとう〉
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた電話も鳴りだした。
光輝さんはスマホに出た。
〈誰だ?〉
《話がしたい。部屋を開けてくれないか》
〈俺には話はない。帰ってくれ〉
ブチッと音がしそうなほど、スマホの画面を押した。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた鳴りだした。すぐに電話を切った。
いつもと違うような気がして、わたしはソファーからカウンターに向かった。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた鳴りだした。
「どなたですか?」
「父だ」
「お話ししなくてもいいのですか?」
「俺には話すことはない」
「でも、扉の外に居るのでしょう?」
二人で部屋の扉の方を見る。扉はとても静かだ。ただ電話が鳴り続ける。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
「そもそも電話番号の交換すらしていないのに、迷惑だ。誰が漏らした?」
「光輝さんの連絡先は、皆が知っているわけではないの?」
「ごく僅かだ」
わたしは、じっと扉を見る。
電話は留守電に変わると切れて、またかかってくる。
エンドレスにかかってくる電話に、わたしは光輝さんを見つめた。
「出てあげたら?」
「美緒は優しすぎる。殺されかけたのだぞ?」
「うん、でもお義父さんは無関係だったのかもしれないし、確かにホテルではお義母さんと一緒にわたしの所に来たけれど、理由も聞かずに突き放すのは悲しくない?」
無視されるのは辛い。
居ない者と扱われるのは寂しい。
それが家族だったら、尚更悲しく感じてしまう。
わたしは急いで部屋に戻ると、自分のスマホを持ってきた。
「すぐに通報できるようにしておくわ」
「それなら、扉を開けようか?」
「うん」
光輝さんは扉に向かって歩き出した。その後ろをわたしは着いていく。
扉を開けると、電話が切れて、お義父さんが深く頭を下げた。
「なんのつもりですか?」
「すまないことをした」
「美緒を殺そうとしたことは許しませんよ」
「暴走する香織を止められなかった」
「あなたは無実だと言いたいのですか?」
「黙認していたから、無罪とは言えない」
お義父さんは、ずっと頭を下げ続けている。
ダイニングの片付けにホテルの従業員がやって来て、従業員が戸惑っている。
「そこに居られると迷惑だ。謝罪だけなら帰ってくれ」
「話をしたい」
「それなら、入ってください」
光輝さんは入室を許した。
光輝さんの後を追って、お義父さんが部屋に入って来た。
わたしはお義父さんの後を追った。
戸惑っている従業員にわたしは声をかけた。
「お片付けをお願いします」
「はい」
従業員は部屋に入って、夕食の食器を片付け始めた。
「茶器を新しい物に替えていただけますか?」
「はい」
今日は叔母さんが来たので、ホテルの茶器を使ってしまった。
洗ったけれど、新しい物に交換してもらった方がいいと思った。
わたしはミネラルウォーターを湯沸かし器にかけた。
すぐにソファーの場所まで移動して、光輝さんの横に座った。
お義父さんはソファーに座ったけれど、まだ何も話していないようだ。光輝さんが苛々している。
「話があるならさっさとしたらどうですか?」
「……」
ダイニングの片付けが終わる頃に、お湯が沸いてピーッという音がした。
わたしは席を立って、ホテルの茶器を使ってお茶を淹れ始めた。
リビングのお義父さんは、まだ何も話してはいないようだ。
「それでは失礼します」
「ありがとうございます」
ホテルの従業員が出て行く頃に、やっとお茶を入れられた。お盆に載せて、テーブルに運ぶとお茶を並べた。
そのままわたしはソファーに座った。
「いつまで黙っているのですか?話がないのなら帰ってください」
光輝さんの声はとても冷たい。とても親子とは思えない。
「……まずは、彼女に、……美緒さんに謝罪をしたい」
お義父さんはソファーから下りて、床に座ると額が床に着くほど頭を下げた。
「すまないことをした」
わたしは余りの事に言葉が出なかった。
ただお義父さんを見て、光輝さんを見た。
わたしから言葉をかけるつもりはない。
親子の問題なので、光輝さんが許すか許さないか決めればいい。
「何に対しての謝罪ですか?」
「遠藤葵を唆したのは香織だ。市条のお嬢さんを連れて来たのも香織だ。ホテルで光輝の印象を悪くするために、お見合いを計画したのも香織だ。俺は父親として一度も光輝のためになることをしていない。結果的に光輝が大切にしている美緒さんの命を奪いそうになっても香織を止められなかった。あいつは俺の為だと言ってしていることだったが、本当は総帥の妻になりたかった、ただの我が儘な女に過ぎない。光輝が総帥を継承して、親として喜ばなければならないのに、香織はただ総帥の妻になる事を諦められなかったのだ。香織は総帥の妻になるために俺と結婚したのだから」
お義父さんは、頭を下げたまま、言葉を紡ぐ。
「俺は自分で、総帥としての素質がないことに気付いていた。だが、香織はそれを受け入れられなかった。総帥の妻になる事しか考えていなかったから、どんな手を使っても俺を総帥にしたかったのだ。期待を持たせたまま過ごしてきた人生に区切りを付けたいと思い、離婚を切り出した。香織が一族から出ることで、償いができるのではないかと考えた」
「既に引退した両親だ。俺の邪魔をしなければ、気にもしない。この世に生を受けさせてもらっただけの親だとしか思ってはいない。夫婦でいようが離婚しようが関係ない」
ひたすら頭を下げ続けるお義父さんに、光輝さんは淡々と冷たい言葉を投げつけるだけだった。
「俺は完全に身を引こうと考えている。今まですまなかった」
お義父さんは、ゴツンと音がするほど額を床に押しつけて土下座をした。
あまりに無様で、あまりに惨めで、なんだか可哀想に見えてくる。
「今後、俺の邪魔はしないと誓えますか?」
「表舞台には出ないつもりだ。口出しもしない。静かに隠居暮らしをしようと思う。あの家からも出て行くつもりだ」
「分かりました。もう顔を上げてください」
お義父さんは頭を上げた。額が擦れて赤くなっている姿が痛々しく感じる。
「香織は不倫をしていた。その事を知っていても俺は何も言えずにいた。俺はただの人形だったに過ぎない。光輝は俺の子だが、和真は俺の子ではない。装っていたが、あの子は誰の子か分からない。俺と香織の夫婦関係は和真が生まれる前には破綻していた」
「和真は知っていますよ。だから総帥の座を狙いはしない。お爺さまがそう教育したし、自分で遺伝子検査をして確かめていますよ。けれど、和真は俺の大切な弟に変わりない」
「……そうか」
お義父さんは静かに立ち上がると、深く頭を下げて、部屋から出て行く。
「追わなくてもいいのですか?」
わたしは席を立って、光輝さんがソファーから出られようにしたけれど、光輝さんは立ち上がる事もしなかった。
「もう会うこともないだろう」
わたしはお義父さんの後を追ったが、お義父さんは振り返ることもなく、部屋から出て行った。
お義父さんの人生は、お義母さんに振り回された人生だったのだろう。
お義母さんに口出しもできなくなり、いつの間にか口を挟むこともできなくなったのかもしれない。
だから、いつも無口でいたのかもしれない。
悲しい家族だ。
総帥の妻になりたいために円城寺家の直系の長男と結婚しながら、愛せなかったのは何故だろう。
浮気もせずに、ただ一人を愛して、生まれた子を愛おしんで育てていれば、総帥の妻の座に着けたような気がする。
お義父さんもまた被害者なのかもしれない。
わたしが閉じた扉を見ていると、光輝さんが来て、わたしを背後から抱きしめた。
「いらないことまでぶちまけてくれたな」
「わたし、何も言いません」
「和真の事は俺とお爺さまと本人しか知らない。秘密にしてくれると助かる」
「はい」
「和真は父の子ではないが、円城寺家の血筋は受け継いでいる。父親は探してはいない」
「それなら、円城寺家の子ですね」
「その通りだ」
光輝さんは、本当に和真さんを大切に想っているのだと思う。
兄弟仲もすごくいい。誰が見ても、どこから見ても二人は兄弟だと思う。
「母は父一筋に見せていたが、父が働きに出ている間は、奔放に遊びほうけていたらしい。ホスト通いは日常的だったし、円城寺の男達とも不倫をしていたようだ。俺という跡取りを産んだ事で、たがが外れたのか、もともとの性質だったのか知らん。生まれた俺を乳母に預けて、俺は母から乳ももらったことはないそうだ。そんな母の姿を見た父の落胆も分かるが、母を叱ることもせずに放置して、仕事をしていてもよそ事ばかりを考えるようになって、父も不倫に走るようになったらしい。父の偉かった事は、余所にお世継ぎを作らなかった事だろうな」
光輝さんは淡々と壊れていた家族の事を話してくれた。
光輝さんはスマホを操作して、父と電話番号を登録していた。冷たくしていても、やはり優しい人だ。
リビングのソファーに座って、冷めてしまったお茶を飲む。冷めてしまっても、美味しいお茶は美味しい。
二番茶を淹れて、茶器に注いでいる間に、光輝さんは昨夜観たDVDの1話目をテレビに映した。
わたしは光輝さんに凭れ掛かりながら、英語の時間を過ごした。
明日のお昼は、フルーツポンチをリクエストした。サイダーの入ったスイカもとても美味しかった。
今夜のシェフは食事中にスイカをバスケットに作り上げた。
ナイフで美しいカットをして、スイカではないみたいに美しい。
わたしは、今回はスマホで写真を撮った。
こんなに美しい物を記憶だけで収めておくのは勿体ない。
もし、恵が夏休みの思い出の写真を見せてくれたら、わたしはこの写真を見せようと思っている。
「スイカの季節もそろそろ終わるだろう」
「そうだね、もう8月も半ばも過ぎたから、今夜が食べ納めかな?」
「8月いっぱいまでは出荷はされると思うから、バイキングでは出されるかもしれないけどね。あるうちは、デザートをリクエストしておいてもいいかもしれないね?」
「光輝さんは、スイカばかりで嫌じゃないの?」
「スイカを食べる美緒を見るのが好きになった。美味しそうに食べるから」
「え?///」
光輝さんは布巾で口元を拭うと、わたしの髪を撫でた。
「食べ終わったのなら、リビングに移動しようか?」
「はい」
光輝さんに手を引かれて、歩いて行く。ソファーに座ろうとしたら、光輝さんに押し倒された。間近で見つめ合う。
「美緒、好きだよ」
「わたしも好きよ」
顔が近づいてきて、わたしは目を閉じた。唇が重なった。
その時……。
プルルルルル!プルルルルル!プルルルルル!……
室内の電話が鳴り出した。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんの電話も鳴りだした。
わたしは目を開けた。
(またなの?今度は誰?)
唇が離れて行く。
先ほどまで機嫌が良かったのに、光輝さんの目が据わっている。
「電話よ?」
「ああ」
「出ないの?」
「時間外だし、そもそも今日は休日だ」
「それなら、わたしが出ましょうか?」
「いや、俺が出る」
光輝さんは、起き上がると広いリビングを歩いて、カウンターに置かれていたスマホの画面を見て、着信を消した。それから部屋の電話に出た。
〈円城寺〉
《円城寺様、おくつろぎの時間に申し訳ございません。ご家族の方がお部屋に向かいました》
〈ありがとう〉
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた電話も鳴りだした。
光輝さんはスマホに出た。
〈誰だ?〉
《話がしたい。部屋を開けてくれないか》
〈俺には話はない。帰ってくれ〉
ブチッと音がしそうなほど、スマホの画面を押した。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた鳴りだした。すぐに電話を切った。
いつもと違うような気がして、わたしはソファーからカウンターに向かった。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
光輝さんのスマホがまた鳴りだした。
「どなたですか?」
「父だ」
「お話ししなくてもいいのですか?」
「俺には話すことはない」
「でも、扉の外に居るのでしょう?」
二人で部屋の扉の方を見る。扉はとても静かだ。ただ電話が鳴り続ける。
リリリリリリリ!リリリリリリリ!リリリリリリリ!……
「そもそも電話番号の交換すらしていないのに、迷惑だ。誰が漏らした?」
「光輝さんの連絡先は、皆が知っているわけではないの?」
「ごく僅かだ」
わたしは、じっと扉を見る。
電話は留守電に変わると切れて、またかかってくる。
エンドレスにかかってくる電話に、わたしは光輝さんを見つめた。
「出てあげたら?」
「美緒は優しすぎる。殺されかけたのだぞ?」
「うん、でもお義父さんは無関係だったのかもしれないし、確かにホテルではお義母さんと一緒にわたしの所に来たけれど、理由も聞かずに突き放すのは悲しくない?」
無視されるのは辛い。
居ない者と扱われるのは寂しい。
それが家族だったら、尚更悲しく感じてしまう。
わたしは急いで部屋に戻ると、自分のスマホを持ってきた。
「すぐに通報できるようにしておくわ」
「それなら、扉を開けようか?」
「うん」
光輝さんは扉に向かって歩き出した。その後ろをわたしは着いていく。
扉を開けると、電話が切れて、お義父さんが深く頭を下げた。
「なんのつもりですか?」
「すまないことをした」
「美緒を殺そうとしたことは許しませんよ」
「暴走する香織を止められなかった」
「あなたは無実だと言いたいのですか?」
「黙認していたから、無罪とは言えない」
お義父さんは、ずっと頭を下げ続けている。
ダイニングの片付けにホテルの従業員がやって来て、従業員が戸惑っている。
「そこに居られると迷惑だ。謝罪だけなら帰ってくれ」
「話をしたい」
「それなら、入ってください」
光輝さんは入室を許した。
光輝さんの後を追って、お義父さんが部屋に入って来た。
わたしはお義父さんの後を追った。
戸惑っている従業員にわたしは声をかけた。
「お片付けをお願いします」
「はい」
従業員は部屋に入って、夕食の食器を片付け始めた。
「茶器を新しい物に替えていただけますか?」
「はい」
今日は叔母さんが来たので、ホテルの茶器を使ってしまった。
洗ったけれど、新しい物に交換してもらった方がいいと思った。
わたしはミネラルウォーターを湯沸かし器にかけた。
すぐにソファーの場所まで移動して、光輝さんの横に座った。
お義父さんはソファーに座ったけれど、まだ何も話していないようだ。光輝さんが苛々している。
「話があるならさっさとしたらどうですか?」
「……」
ダイニングの片付けが終わる頃に、お湯が沸いてピーッという音がした。
わたしは席を立って、ホテルの茶器を使ってお茶を淹れ始めた。
リビングのお義父さんは、まだ何も話してはいないようだ。
「それでは失礼します」
「ありがとうございます」
ホテルの従業員が出て行く頃に、やっとお茶を入れられた。お盆に載せて、テーブルに運ぶとお茶を並べた。
そのままわたしはソファーに座った。
「いつまで黙っているのですか?話がないのなら帰ってください」
光輝さんの声はとても冷たい。とても親子とは思えない。
「……まずは、彼女に、……美緒さんに謝罪をしたい」
お義父さんはソファーから下りて、床に座ると額が床に着くほど頭を下げた。
「すまないことをした」
わたしは余りの事に言葉が出なかった。
ただお義父さんを見て、光輝さんを見た。
わたしから言葉をかけるつもりはない。
親子の問題なので、光輝さんが許すか許さないか決めればいい。
「何に対しての謝罪ですか?」
「遠藤葵を唆したのは香織だ。市条のお嬢さんを連れて来たのも香織だ。ホテルで光輝の印象を悪くするために、お見合いを計画したのも香織だ。俺は父親として一度も光輝のためになることをしていない。結果的に光輝が大切にしている美緒さんの命を奪いそうになっても香織を止められなかった。あいつは俺の為だと言ってしていることだったが、本当は総帥の妻になりたかった、ただの我が儘な女に過ぎない。光輝が総帥を継承して、親として喜ばなければならないのに、香織はただ総帥の妻になる事を諦められなかったのだ。香織は総帥の妻になるために俺と結婚したのだから」
お義父さんは、頭を下げたまま、言葉を紡ぐ。
「俺は自分で、総帥としての素質がないことに気付いていた。だが、香織はそれを受け入れられなかった。総帥の妻になる事しか考えていなかったから、どんな手を使っても俺を総帥にしたかったのだ。期待を持たせたまま過ごしてきた人生に区切りを付けたいと思い、離婚を切り出した。香織が一族から出ることで、償いができるのではないかと考えた」
「既に引退した両親だ。俺の邪魔をしなければ、気にもしない。この世に生を受けさせてもらっただけの親だとしか思ってはいない。夫婦でいようが離婚しようが関係ない」
ひたすら頭を下げ続けるお義父さんに、光輝さんは淡々と冷たい言葉を投げつけるだけだった。
「俺は完全に身を引こうと考えている。今まですまなかった」
お義父さんは、ゴツンと音がするほど額を床に押しつけて土下座をした。
あまりに無様で、あまりに惨めで、なんだか可哀想に見えてくる。
「今後、俺の邪魔はしないと誓えますか?」
「表舞台には出ないつもりだ。口出しもしない。静かに隠居暮らしをしようと思う。あの家からも出て行くつもりだ」
「分かりました。もう顔を上げてください」
お義父さんは頭を上げた。額が擦れて赤くなっている姿が痛々しく感じる。
「香織は不倫をしていた。その事を知っていても俺は何も言えずにいた。俺はただの人形だったに過ぎない。光輝は俺の子だが、和真は俺の子ではない。装っていたが、あの子は誰の子か分からない。俺と香織の夫婦関係は和真が生まれる前には破綻していた」
「和真は知っていますよ。だから総帥の座を狙いはしない。お爺さまがそう教育したし、自分で遺伝子検査をして確かめていますよ。けれど、和真は俺の大切な弟に変わりない」
「……そうか」
お義父さんは静かに立ち上がると、深く頭を下げて、部屋から出て行く。
「追わなくてもいいのですか?」
わたしは席を立って、光輝さんがソファーから出られようにしたけれど、光輝さんは立ち上がる事もしなかった。
「もう会うこともないだろう」
わたしはお義父さんの後を追ったが、お義父さんは振り返ることもなく、部屋から出て行った。
お義父さんの人生は、お義母さんに振り回された人生だったのだろう。
お義母さんに口出しもできなくなり、いつの間にか口を挟むこともできなくなったのかもしれない。
だから、いつも無口でいたのかもしれない。
悲しい家族だ。
総帥の妻になりたいために円城寺家の直系の長男と結婚しながら、愛せなかったのは何故だろう。
浮気もせずに、ただ一人を愛して、生まれた子を愛おしんで育てていれば、総帥の妻の座に着けたような気がする。
お義父さんもまた被害者なのかもしれない。
わたしが閉じた扉を見ていると、光輝さんが来て、わたしを背後から抱きしめた。
「いらないことまでぶちまけてくれたな」
「わたし、何も言いません」
「和真の事は俺とお爺さまと本人しか知らない。秘密にしてくれると助かる」
「はい」
「和真は父の子ではないが、円城寺家の血筋は受け継いでいる。父親は探してはいない」
「それなら、円城寺家の子ですね」
「その通りだ」
光輝さんは、本当に和真さんを大切に想っているのだと思う。
兄弟仲もすごくいい。誰が見ても、どこから見ても二人は兄弟だと思う。
「母は父一筋に見せていたが、父が働きに出ている間は、奔放に遊びほうけていたらしい。ホスト通いは日常的だったし、円城寺の男達とも不倫をしていたようだ。俺という跡取りを産んだ事で、たがが外れたのか、もともとの性質だったのか知らん。生まれた俺を乳母に預けて、俺は母から乳ももらったことはないそうだ。そんな母の姿を見た父の落胆も分かるが、母を叱ることもせずに放置して、仕事をしていてもよそ事ばかりを考えるようになって、父も不倫に走るようになったらしい。父の偉かった事は、余所にお世継ぎを作らなかった事だろうな」
光輝さんは淡々と壊れていた家族の事を話してくれた。
光輝さんはスマホを操作して、父と電話番号を登録していた。冷たくしていても、やはり優しい人だ。
リビングのソファーに座って、冷めてしまったお茶を飲む。冷めてしまっても、美味しいお茶は美味しい。
二番茶を淹れて、茶器に注いでいる間に、光輝さんは昨夜観たDVDの1話目をテレビに映した。
わたしは光輝さんに凭れ掛かりながら、英語の時間を過ごした。
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件
桜 偉村
恋愛
別にいいんじゃないんですか? 上手くならなくても——。
後輩マネージャーのその一言が、彼の人生を変えた。
全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。
練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。
武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。
だから、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。
そうすれば、香奈は自分のモノになると思っていたから。
武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。
しかし、そこに香奈が現れる。
成り行きで香奈を家に上げた巧だが、なぜか彼女はその後も彼の家を訪れるようになって——。
「これは警告だよ」
「勘違いしないんでしょ?」
「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」
「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」
甘酸っぱくて、爽やかで、焦れったくて、クスッと笑えて……
オレンジジュース(のような青春)が好きな人必見の現代ラブコメ、ここに開幕!
※これより下では今後のストーリーの大まかな流れについて記載しています。
「話のなんとなくの流れや雰囲気を抑えておきたい」「ざまぁ展開がいつになるのか知りたい!」という方のみご一読ください。
【今後の大まかな流れ】
第1話、第2話でざまぁの伏線が作られます。
第1話はざまぁへの伏線というよりはラブコメ要素が強いので、「早くざまぁ展開見たい!」という方はサラッと読んでいただいて構いません!
本格的なざまぁが行われるのは第15話前後を予定しています。どうかお楽しみに!
また、特に第4話からは基本的にラブコメ展開が続きます。シリアス展開はないので、ほっこりしつつ甘さも補充できます!
※最初のざまぁが行われた後も基本はラブコメしつつ、ちょくちょくざまぁ要素も入れていこうかなと思っています。
少しでも「面白いな」「続きが気になる」と思った方は、ざっと内容を把握しつつ第20話、いえ第2話くらいまでお読みいただけると嬉しいです!
※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。
※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる