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有宮ハイネの暴走
⑱
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「なに、きみが来るって噂を聞いたからな。もちろん、ルーカスが直接そう言ったわけじゃない」
ケンイチ・オオシロは来日してからしばらくして、仕事上の、そして個人的な部分での関りがあった相手だ。ヘンリーがそれを知る機会は、できれば作りたくない。知ったなら、彼はなんとも言えない表情で笑った後で私を拒絶するだろうということを私はようやく理解し始めた。彼が来なくてよかった。
「それはどうもありがとう」
「トーマス、少し風に当たらないか。ここはちょっと、密集しているし、きみは暑がりだろ」
「いや、そうでもない。まだ来たばかりだし、挨拶したい相手も多いからね」
はぐらかしてみるが効果はないようで、グラスを片手に持った彼は、器用に人差し指を動かして、二階を指さす。私の後ろか、もしくは横か、どこかしらに誰かしらの影でも見えているのか、いやに挑発的な言動だ。
理由は明白だが、彼は思いもしないだろう。まさか私の恋人が、挑発などする気も起きないほど幼い見た目で、捨てられた子犬のような目をしているだなんて。
と、また出会った時のヘンリー・ヴォルフを想い出す。
そしてここ最近の、堕落したともいえる彼の行動がよぎる。
「ちょっと話をしたいんだ」
「私は………いや、わかった」
なにかに追い立てられ、打ちのめされ、絶望し、逃避している。けれど何一つ彼は話してくれなかった。ヘンリーもケンイチくらいあからさまになってくれたら楽だろうなと思う反面、そうじゃない彼を愛おしく思っている自分もいる。けれど事実、今はどうしたらよいのかわからない。
ケンイチとバルコニーに出て、遠くのネオンを眺める。横から感じる視線を適当にあしらって、酒を呷る。
ケンイチが何を言おうとしているのか、何を言いたくて二人になることを提案したのか、言われなくてもわかっている。きっぱり断るべきなのにそうしなかったことが、私の今のヘンリーへの心情を物語っているような気がした。
「なあトーマス、俺たちやり直せないか?」
その言葉をわかっていた。彼の視線が伝えていた。私は拒絶すべきだった。その言葉を聞く前に。
「きみと関係を持ったことは事実だけど、付き合っていたわけじゃない。それに、私にはパートナーがいる」
「そうか、だったらなぜ、今日は一人なんだ?」
「都合がつかなかったんだ」
「きみを振るなんて、どれだけ素敵な相手なんだろうな」
「何を言われたところで、私は……」
彼を裏切る気は無い?
だったら、私は今ここで何をしている。
彼との関係に辟易していないとでもいうのか? 彼と距離を置こうとしていることは事実だ。彼にとって必要だと思ったから。
自分にとっては?
「らしくないな」
「はん?」
「きみは自分のことに関してさっぱりしたやつだっただろ。不要だと思ったものをすぐ切り捨てて、そのくせ前向きだったじゃないか。俺はきみのそういうところが眩しいと思ってた」
さっぱり、というのがよくわからないな。
私は私なりに誠意のある態度を示してきたにすぎない。そして時間は進み、同じだけ人生も進む。なにひとつとして無駄にしたくないという理由が、他人には眩しいらしいのだ。私がなにもかもをうまくやってるって? そんなことはない。うまくやっている、この調子でいようと自分に言い聞かせているのだ。
自分の挑戦のために切り捨ててきたものがあることは認めよう。けれど、それらを惜しいと思ったことはない。それもまた選択の結果なのだと納得している。
ヘンリーの言葉がよぎる。
『きみはオレを惨めにさせる。つらいんだ』
同じようなことを何人かに言われたか、理解できなかった。なぜそんなことを言われるのか。私は、関係を持続することがあまりに困難だと判断した場合、関係を諦めることにためらいがなかった。互いのためになると信じていた。
けれど、彼に関しては違う。
今まで付き合った誰とも違っている。
「きみがそう思うなら、私は変わることを強いられたんだ」
「それは、そのパートナーに、か?」
「そう。だけど悪いことじゃない。私は彼のために自分を変えることをためらわないくらい、彼のことを気に入っているんだ」
持続することが困難だと考えようとも、終わらせることはできない。少なくとも、今の、停滞して鬱屈とした関係のままでは終わらせられない。
彼と話をしなくてはいけない。
そう、私はヘンリーと話をしなくてはいけない。
「きみとの話はこれで終わりだ。私は、パートナーを裏切るつもりはない。これからもずっと」
ケンイチは苦い顔をして、視線を遠くへ向けた。
「きみはライトな人間関係を望むタイプだと思ってたよ」
「そうかい? 私もそう思っていた。彼だけだよ」
明らかにショックを受けた顔で、ケンイチは挨拶もなしにバルコニーを離れた。もっと穏便なやり方もあっただろうに、そうしなかったのは半ば八つ当たりもある。
パートナーに一途な男の皮を被っておいて、彼の知らないところで自分に好意を向ける男と合意の上で二人きりになった自分に嫌気がさす。
誰かと話している時くらい、忘れたいのに、どうしても家に置いてきた人が心配で不安でいてもたってもいられない気分だ。反面、時間が必要だと考えて彼の視界に入らない努力をする必要がある気にもなっている。
私は確かに傷ついていた。
彼の言葉に、行動に、傷ついていた。
けれど彼と別れないのは、手放した瞬間、彼とは二度と会えず、SNSの更新もストップして、永遠の別れとなってしまう気がしたから。そうだ、彼はそういう人なのだ。
少し時間を置こうと思う。
彼に傷つけられたことは確かなのだから、ちょっとした意趣返しというやつだ。
その間に彼が頭を冷やして、酒もタバコもやめて、すっきりした顔になってくれたらいいと思う。
そうしたなら、私はなにも憂うことなくただいまを言って彼を抱きしめて、ごめんねと謝れるのに。互いに謝って、面と向かって相談して、また二人で歩き出す。
そんな未来があったならいいのに。
彼と付き合ってから、私の生活はメチャクチャだ。
ケンイチ・オオシロは来日してからしばらくして、仕事上の、そして個人的な部分での関りがあった相手だ。ヘンリーがそれを知る機会は、できれば作りたくない。知ったなら、彼はなんとも言えない表情で笑った後で私を拒絶するだろうということを私はようやく理解し始めた。彼が来なくてよかった。
「それはどうもありがとう」
「トーマス、少し風に当たらないか。ここはちょっと、密集しているし、きみは暑がりだろ」
「いや、そうでもない。まだ来たばかりだし、挨拶したい相手も多いからね」
はぐらかしてみるが効果はないようで、グラスを片手に持った彼は、器用に人差し指を動かして、二階を指さす。私の後ろか、もしくは横か、どこかしらに誰かしらの影でも見えているのか、いやに挑発的な言動だ。
理由は明白だが、彼は思いもしないだろう。まさか私の恋人が、挑発などする気も起きないほど幼い見た目で、捨てられた子犬のような目をしているだなんて。
と、また出会った時のヘンリー・ヴォルフを想い出す。
そしてここ最近の、堕落したともいえる彼の行動がよぎる。
「ちょっと話をしたいんだ」
「私は………いや、わかった」
なにかに追い立てられ、打ちのめされ、絶望し、逃避している。けれど何一つ彼は話してくれなかった。ヘンリーもケンイチくらいあからさまになってくれたら楽だろうなと思う反面、そうじゃない彼を愛おしく思っている自分もいる。けれど事実、今はどうしたらよいのかわからない。
ケンイチとバルコニーに出て、遠くのネオンを眺める。横から感じる視線を適当にあしらって、酒を呷る。
ケンイチが何を言おうとしているのか、何を言いたくて二人になることを提案したのか、言われなくてもわかっている。きっぱり断るべきなのにそうしなかったことが、私の今のヘンリーへの心情を物語っているような気がした。
「なあトーマス、俺たちやり直せないか?」
その言葉をわかっていた。彼の視線が伝えていた。私は拒絶すべきだった。その言葉を聞く前に。
「きみと関係を持ったことは事実だけど、付き合っていたわけじゃない。それに、私にはパートナーがいる」
「そうか、だったらなぜ、今日は一人なんだ?」
「都合がつかなかったんだ」
「きみを振るなんて、どれだけ素敵な相手なんだろうな」
「何を言われたところで、私は……」
彼を裏切る気は無い?
だったら、私は今ここで何をしている。
彼との関係に辟易していないとでもいうのか? 彼と距離を置こうとしていることは事実だ。彼にとって必要だと思ったから。
自分にとっては?
「らしくないな」
「はん?」
「きみは自分のことに関してさっぱりしたやつだっただろ。不要だと思ったものをすぐ切り捨てて、そのくせ前向きだったじゃないか。俺はきみのそういうところが眩しいと思ってた」
さっぱり、というのがよくわからないな。
私は私なりに誠意のある態度を示してきたにすぎない。そして時間は進み、同じだけ人生も進む。なにひとつとして無駄にしたくないという理由が、他人には眩しいらしいのだ。私がなにもかもをうまくやってるって? そんなことはない。うまくやっている、この調子でいようと自分に言い聞かせているのだ。
自分の挑戦のために切り捨ててきたものがあることは認めよう。けれど、それらを惜しいと思ったことはない。それもまた選択の結果なのだと納得している。
ヘンリーの言葉がよぎる。
『きみはオレを惨めにさせる。つらいんだ』
同じようなことを何人かに言われたか、理解できなかった。なぜそんなことを言われるのか。私は、関係を持続することがあまりに困難だと判断した場合、関係を諦めることにためらいがなかった。互いのためになると信じていた。
けれど、彼に関しては違う。
今まで付き合った誰とも違っている。
「きみがそう思うなら、私は変わることを強いられたんだ」
「それは、そのパートナーに、か?」
「そう。だけど悪いことじゃない。私は彼のために自分を変えることをためらわないくらい、彼のことを気に入っているんだ」
持続することが困難だと考えようとも、終わらせることはできない。少なくとも、今の、停滞して鬱屈とした関係のままでは終わらせられない。
彼と話をしなくてはいけない。
そう、私はヘンリーと話をしなくてはいけない。
「きみとの話はこれで終わりだ。私は、パートナーを裏切るつもりはない。これからもずっと」
ケンイチは苦い顔をして、視線を遠くへ向けた。
「きみはライトな人間関係を望むタイプだと思ってたよ」
「そうかい? 私もそう思っていた。彼だけだよ」
明らかにショックを受けた顔で、ケンイチは挨拶もなしにバルコニーを離れた。もっと穏便なやり方もあっただろうに、そうしなかったのは半ば八つ当たりもある。
パートナーに一途な男の皮を被っておいて、彼の知らないところで自分に好意を向ける男と合意の上で二人きりになった自分に嫌気がさす。
誰かと話している時くらい、忘れたいのに、どうしても家に置いてきた人が心配で不安でいてもたってもいられない気分だ。反面、時間が必要だと考えて彼の視界に入らない努力をする必要がある気にもなっている。
私は確かに傷ついていた。
彼の言葉に、行動に、傷ついていた。
けれど彼と別れないのは、手放した瞬間、彼とは二度と会えず、SNSの更新もストップして、永遠の別れとなってしまう気がしたから。そうだ、彼はそういう人なのだ。
少し時間を置こうと思う。
彼に傷つけられたことは確かなのだから、ちょっとした意趣返しというやつだ。
その間に彼が頭を冷やして、酒もタバコもやめて、すっきりした顔になってくれたらいいと思う。
そうしたなら、私はなにも憂うことなくただいまを言って彼を抱きしめて、ごめんねと謝れるのに。互いに謝って、面と向かって相談して、また二人で歩き出す。
そんな未来があったならいいのに。
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