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有宮ハイネの暴走
⑦
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「おかえ……ぎゃあ!! なに!?」
帰ってきて早々、ノックもせずにオレの部屋に入室したトーマスは、寝転がっていたオレの上着を捲り上げた。
「な、なに、なんだよ!? 帰ってきて早々盛るなよケダモノ!!」
「少し赤くなっている……痛くない?」
「なんの話?」
「昼間、きみ、叩かれただろう。あの、シーザーという男に」
「あ、ああ、シイザキね。大丈夫だよ。痛くないよ」
「『大丈夫』は最難関の日本語の一つだよ」
「問題ないってことだよ。痛くないし、なんともない。それより、随分早いじゃないか。会食があるって言ってたのに」
「問題ない? 問題ないと認識しているきみが心配だ。だから帰ってきた。きみの背中を確認するために」
「……そ、そうか」
「なにもわかっていないな?」
その通りだ。なにもわかっていない。
「オレなんかのためにきみが会食の機会を無駄にしたってことはわかった」
「………ははん?」
今の言い方は我ながら最低だ。
なにせ温厚なトーマスが目じりを引きつらせているのだから。
「はやくそこを退いてくれよ。きみに乗られたらオレは潰れるんだ」
「そうか。だったらこうしよう」
「ぐえっ!! 何を聞いていたんだきみは! 重いんだよ、どけよ!!」
「ヘンリー」
のしかかった彼の顔が、オレの顔の真横に。彼のしっとりした唇が、耳に当てられる。息遣いが耳元で聞こえる。彼の、掠れた低い声がエロティックな囁きが脳みそに直接注がれる。
「Don't get cocky, kitten. 」
(調子に乗るなよ、子猫ちゃん)
煽られている。アメリカ英語で。
くそ……勃っちゃった。
「んう……オレがハーフで残念だと思ったことが、また一つ増えた。オレの国籍がイギリスにあったなら、本場の英語がどんなものか教えてあげられたのになあ!」
「言いたいことはそれだけか?」
「うくっ……わ、悪かったからその……耳元で話すのをやめてほしい」
「聞こえないな」
「オレが悪かった!!」
子供のしつけかよ、と内心で悪態をつくがトーマスは満足げに頷く。
「……いいだろう。さあ、ゆっくりこっちを向いて」
潰れる寸前の重量から解放され、言われた通りに仰向けになって、相変わらずオレを囲い続ける彼を見上げる。
「いい子だね」
やっぱり子ども扱いされているのか? ぶっちゃけ、今はそれでも構わない。とびきり優しい彼が甘やかしてくれるから。ムカついたりしない。
「オーケー、それで? きみの機嫌はなおったのかな」
「オレの機嫌? 機嫌が悪かったのはきみだろうトーマス」
「私が?」
互いに顔を見合わせて沈黙する。どうやら話が噛み合っていないようだ。
「今の話じゃなくてさっき、昼間のことだよ。椎崎とのこと。確かに彼はきみに良い印象を与えなかったかもしれないけど、本当は良いやつなんだ。本当だよ。話しているうちに、きっときみも、彼を……気に入るよ」
どうりでデジャヴを感じるわけだ。オレは椎崎にトーマスのことをいい人だと言って、今度はその彼に椎崎の弁明をしている。
だけど、本当は弁明なんてしない方がよかったかもしれないと今になって考えている。
トーマスは同性愛者。すなわち、彼の恋愛対象は男だ。これらの余計な一言のおかげで椎崎とトーマスが本当に親しくなってしまったらどうしよう。
トーマスが椎崎を気に入るって、そうなってほしいわけじゃない。いっそ、椎崎がトーマスを怪しい人物だと考えるよう念押しして誘導した方がよかったんじゃないのか? そして、トーマスには椎崎のよろしくない部分を被害者ぶって誇張した方が、オレにとっては有利な方に転がったはずだ。
「ヘンリー、悪いがその意見には賛同できそうにない」
「え」
しかしオレの小賢しい考えとは裏腹に、トーマスは真剣な顔でハッキリと否定を口にした。
「彼はきみに暴力を振るった。私は大切な人を傷つける相手と上手くやっていけるほど素晴らしい人間じゃないんだ」
椎崎との予後に関して否を突きつけた彼にドキリとしたオレだが、今度は首をひねることになった。
「ぼ、暴力? 叩いたことを言ってるなら、あれは暴力ってほどじゃないよ。大袈裟だな……日本のお笑いを見たことある? あんな感じだよ。普通なんだ。アメリカとは、基準が違うんだ」
「暴力だよ。私にはそう見えた。きみと彼とが口を揃えたとしても私の中に存在する基準は覆らない。きみと同じように。きみのことは信用しているが、きみの『大丈夫』は信用に値しないよ」
「待ってよ、もしかして昼間きみの機嫌が悪かったのは、あれのせいなの?」
「きみにとっては『あの程度』のことかい?」
「そ、そうなるね……」
昼間はあんなに濁っていた胸の中が、今はどうだろう。澄み渡っているとは言えないが、悪い気分じゃない。むしろ、希望に傾いた温かさがある。
彼と目が合うことが、今はとても気持ちがいい。彼がオレを見てくれることが嬉しくてたまらない。
彼の心配がオレを幸福にする。まだ、この関係が続くことを暗示してくれる。彼がオレを好きだということを教えてくれる。
教えてくれないと、不安になる。
それはとても、よくないんじゃないだろうか。
「ヘンリー」
「あ………いや、なんでもないよ。この話は……もうやめよう」
「急になぜ?」
「これ以上話すことがない。きみも言ったろう? きみとオレの基準が覆ることはない。だったら議論の余地はないだろう。今回はきみが許容してくれたらいいよ。オレはなんとも思ってなかったんだから」
「なぜ。きみが振るわれた暴力……いや、じゃれ合いのことじゃない。この際だから言わせてもらおう。最近のきみはおかしいよ」
「話すことはないって言ったろ」
「いいや、まだ話し合うことが残っている。きみの態度についてだ。私がきみに何かしたかい? 意に沿わないことでも?」
「してない! きみは、きみは……きみは何も悪くない。最近態度が悪いって? 謝るよ。それは、オレが悪いんだ。オレのせいなんだ。オレがビビりな臆病者で不安症なせいなんだ」
「そう考える理由を知りたいんだ。何がきみを不安にさせるのか教えてほしいんだ。きみは臆病者なんかじゃない。教えてほしい。そして解決方法を一緒に考えよう」
彼のこういうところが、オレと最高にマッチしないと感じるのは、彼と違ってオレが最低な人間だからだろう。
帰ってきて早々、ノックもせずにオレの部屋に入室したトーマスは、寝転がっていたオレの上着を捲り上げた。
「な、なに、なんだよ!? 帰ってきて早々盛るなよケダモノ!!」
「少し赤くなっている……痛くない?」
「なんの話?」
「昼間、きみ、叩かれただろう。あの、シーザーという男に」
「あ、ああ、シイザキね。大丈夫だよ。痛くないよ」
「『大丈夫』は最難関の日本語の一つだよ」
「問題ないってことだよ。痛くないし、なんともない。それより、随分早いじゃないか。会食があるって言ってたのに」
「問題ない? 問題ないと認識しているきみが心配だ。だから帰ってきた。きみの背中を確認するために」
「……そ、そうか」
「なにもわかっていないな?」
その通りだ。なにもわかっていない。
「オレなんかのためにきみが会食の機会を無駄にしたってことはわかった」
「………ははん?」
今の言い方は我ながら最低だ。
なにせ温厚なトーマスが目じりを引きつらせているのだから。
「はやくそこを退いてくれよ。きみに乗られたらオレは潰れるんだ」
「そうか。だったらこうしよう」
「ぐえっ!! 何を聞いていたんだきみは! 重いんだよ、どけよ!!」
「ヘンリー」
のしかかった彼の顔が、オレの顔の真横に。彼のしっとりした唇が、耳に当てられる。息遣いが耳元で聞こえる。彼の、掠れた低い声がエロティックな囁きが脳みそに直接注がれる。
「Don't get cocky, kitten. 」
(調子に乗るなよ、子猫ちゃん)
煽られている。アメリカ英語で。
くそ……勃っちゃった。
「んう……オレがハーフで残念だと思ったことが、また一つ増えた。オレの国籍がイギリスにあったなら、本場の英語がどんなものか教えてあげられたのになあ!」
「言いたいことはそれだけか?」
「うくっ……わ、悪かったからその……耳元で話すのをやめてほしい」
「聞こえないな」
「オレが悪かった!!」
子供のしつけかよ、と内心で悪態をつくがトーマスは満足げに頷く。
「……いいだろう。さあ、ゆっくりこっちを向いて」
潰れる寸前の重量から解放され、言われた通りに仰向けになって、相変わらずオレを囲い続ける彼を見上げる。
「いい子だね」
やっぱり子ども扱いされているのか? ぶっちゃけ、今はそれでも構わない。とびきり優しい彼が甘やかしてくれるから。ムカついたりしない。
「オーケー、それで? きみの機嫌はなおったのかな」
「オレの機嫌? 機嫌が悪かったのはきみだろうトーマス」
「私が?」
互いに顔を見合わせて沈黙する。どうやら話が噛み合っていないようだ。
「今の話じゃなくてさっき、昼間のことだよ。椎崎とのこと。確かに彼はきみに良い印象を与えなかったかもしれないけど、本当は良いやつなんだ。本当だよ。話しているうちに、きっときみも、彼を……気に入るよ」
どうりでデジャヴを感じるわけだ。オレは椎崎にトーマスのことをいい人だと言って、今度はその彼に椎崎の弁明をしている。
だけど、本当は弁明なんてしない方がよかったかもしれないと今になって考えている。
トーマスは同性愛者。すなわち、彼の恋愛対象は男だ。これらの余計な一言のおかげで椎崎とトーマスが本当に親しくなってしまったらどうしよう。
トーマスが椎崎を気に入るって、そうなってほしいわけじゃない。いっそ、椎崎がトーマスを怪しい人物だと考えるよう念押しして誘導した方がよかったんじゃないのか? そして、トーマスには椎崎のよろしくない部分を被害者ぶって誇張した方が、オレにとっては有利な方に転がったはずだ。
「ヘンリー、悪いがその意見には賛同できそうにない」
「え」
しかしオレの小賢しい考えとは裏腹に、トーマスは真剣な顔でハッキリと否定を口にした。
「彼はきみに暴力を振るった。私は大切な人を傷つける相手と上手くやっていけるほど素晴らしい人間じゃないんだ」
椎崎との予後に関して否を突きつけた彼にドキリとしたオレだが、今度は首をひねることになった。
「ぼ、暴力? 叩いたことを言ってるなら、あれは暴力ってほどじゃないよ。大袈裟だな……日本のお笑いを見たことある? あんな感じだよ。普通なんだ。アメリカとは、基準が違うんだ」
「暴力だよ。私にはそう見えた。きみと彼とが口を揃えたとしても私の中に存在する基準は覆らない。きみと同じように。きみのことは信用しているが、きみの『大丈夫』は信用に値しないよ」
「待ってよ、もしかして昼間きみの機嫌が悪かったのは、あれのせいなの?」
「きみにとっては『あの程度』のことかい?」
「そ、そうなるね……」
昼間はあんなに濁っていた胸の中が、今はどうだろう。澄み渡っているとは言えないが、悪い気分じゃない。むしろ、希望に傾いた温かさがある。
彼と目が合うことが、今はとても気持ちがいい。彼がオレを見てくれることが嬉しくてたまらない。
彼の心配がオレを幸福にする。まだ、この関係が続くことを暗示してくれる。彼がオレを好きだということを教えてくれる。
教えてくれないと、不安になる。
それはとても、よくないんじゃないだろうか。
「ヘンリー」
「あ………いや、なんでもないよ。この話は……もうやめよう」
「急になぜ?」
「これ以上話すことがない。きみも言ったろう? きみとオレの基準が覆ることはない。だったら議論の余地はないだろう。今回はきみが許容してくれたらいいよ。オレはなんとも思ってなかったんだから」
「なぜ。きみが振るわれた暴力……いや、じゃれ合いのことじゃない。この際だから言わせてもらおう。最近のきみはおかしいよ」
「話すことはないって言ったろ」
「いいや、まだ話し合うことが残っている。きみの態度についてだ。私がきみに何かしたかい? 意に沿わないことでも?」
「してない! きみは、きみは……きみは何も悪くない。最近態度が悪いって? 謝るよ。それは、オレが悪いんだ。オレのせいなんだ。オレがビビりな臆病者で不安症なせいなんだ」
「そう考える理由を知りたいんだ。何がきみを不安にさせるのか教えてほしいんだ。きみは臆病者なんかじゃない。教えてほしい。そして解決方法を一緒に考えよう」
彼のこういうところが、オレと最高にマッチしないと感じるのは、彼と違ってオレが最低な人間だからだろう。
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