上 下
38 / 53
有宮ハイネの暴走

しおりを挟む
「おかえ……ぎゃあ!! なに!?」

帰ってきて早々、ノックもせずにオレの部屋に入室したトーマスは、寝転がっていたオレの上着を捲り上げた。

「な、なに、なんだよ!? 帰ってきて早々盛るなよケダモノ!!」
「少し赤くなっている……痛くない?」
「なんの話?」
「昼間、きみ、叩かれただろう。あの、シーザーという男に」
「あ、ああ、シイザキね。大丈夫だよ。痛くないよ」
「『大丈夫』は最難関の日本語の一つだよ」
「問題ないってことだよ。痛くないし、なんともない。それより、随分早いじゃないか。会食があるって言ってたのに」
「問題ない? 問題ないと認識しているきみが心配だ。だから帰ってきた。きみの背中を確認するために」
「……そ、そうか」
「なにもわかっていないな?」

その通りだ。なにもわかっていない。

「オレなんかのためにきみが会食の機会を無駄にしたってことはわかった」
「………ははん?」

今の言い方は我ながら最低だ。
なにせ温厚なトーマスが目じりを引きつらせているのだから。

「はやくそこを退いてくれよ。きみに乗られたらオレは潰れるんだ」
「そうか。だったらこうしよう」
「ぐえっ!! 何を聞いていたんだきみは! 重いんだよ、どけよ!!」
「ヘンリー」

のしかかった彼の顔が、オレの顔の真横に。彼のしっとりした唇が、耳に当てられる。息遣いが耳元で聞こえる。彼の、掠れた低い声がエロティックな囁きが脳みそに直接注がれる。

「Don't get cocky, kitten. 」
(調子に乗るなよ、子猫ちゃん)

煽られている。アメリカ英語で。
くそ……勃っちゃった。

「んう……オレがハーフで残念だと思ったことが、また一つ増えた。オレの国籍がイギリスにあったなら、本場の英語がどんなものか教えてあげられたのになあ!」
「言いたいことはそれだけか?」
「うくっ……わ、悪かったからその……耳元で話すのをやめてほしい」
「聞こえないな」
「オレが悪かった!!」

子供のしつけかよ、と内心で悪態をつくがトーマスは満足げに頷く。

「……いいだろう。さあ、ゆっくりこっちを向いて」

潰れる寸前の重量から解放され、言われた通りに仰向けになって、相変わらずオレを囲い続ける彼を見上げる。

「いい子だね」

やっぱり子ども扱いされているのか? ぶっちゃけ、今はそれでも構わない。とびきり優しい彼が甘やかしてくれるから。ムカついたりしない。

「オーケー、それで? きみの機嫌はなおったのかな」
「オレの機嫌? 機嫌が悪かったのはきみだろうトーマス」
「私が?」

互いに顔を見合わせて沈黙する。どうやら話が噛み合っていないようだ。

「今の話じゃなくてさっき、昼間のことだよ。椎崎とのこと。確かに彼はきみに良い印象を与えなかったかもしれないけど、本当は良いやつなんだ。本当だよ。話しているうちに、きっときみも、彼を……気に入るよ」

どうりでデジャヴを感じるわけだ。オレは椎崎にトーマスのことをいい人だと言って、今度はその彼に椎崎の弁明をしている。

だけど、本当は弁明なんてしない方がよかったかもしれないと今になって考えている。
トーマスは同性愛者。すなわち、彼の恋愛対象は男だ。これらの余計な一言のおかげで椎崎とトーマスが本当に親しくなってしまったらどうしよう。
トーマスが椎崎を気に入るって、そうなってほしいわけじゃない。いっそ、椎崎がトーマスを怪しい人物だと考えるよう念押しして誘導した方がよかったんじゃないのか? そして、トーマスには椎崎のよろしくない部分を被害者ぶって誇張した方が、オレにとっては有利な方に転がったはずだ。

「ヘンリー、悪いがその意見には賛同できそうにない」
「え」

しかしオレの小賢しい考えとは裏腹に、トーマスは真剣な顔でハッキリと否定を口にした。

「彼はきみに暴力を振るった。私は大切な人を傷つける相手と上手くやっていけるほど素晴らしい人間じゃないんだ」

椎崎との予後に関して否を突きつけた彼にドキリとしたオレだが、今度は首をひねることになった。

「ぼ、暴力? 叩いたことを言ってるなら、あれは暴力ってほどじゃないよ。大袈裟だな……日本のお笑いを見たことある? あんな感じだよ。普通なんだ。アメリカとは、基準が違うんだ」
「暴力だよ。私にはそう見えた。きみと彼とが口を揃えたとしても私の中に存在する基準は覆らない。きみと同じように。きみのことは信用しているが、きみの『大丈夫』は信用に値しないよ」
「待ってよ、もしかして昼間きみの機嫌が悪かったのは、あれのせいなの?」
「きみにとっては『あの程度』のことかい?」
「そ、そうなるね……」

昼間はあんなに濁っていた胸の中が、今はどうだろう。澄み渡っているとは言えないが、悪い気分じゃない。むしろ、希望に傾いた温かさがある。
彼と目が合うことが、今はとても気持ちがいい。彼がオレを見てくれることが嬉しくてたまらない。
彼の心配がオレを幸福にする。まだ、この関係が続くことを暗示してくれる。彼がオレを好きだということを教えてくれる。

教えてくれないと、不安になる。
それはとても、よくないんじゃないだろうか。

「ヘンリー」
「あ………いや、なんでもないよ。この話は……もうやめよう」
「急になぜ?」
「これ以上話すことがない。きみも言ったろう? きみとオレの基準が覆ることはない。だったら議論の余地はないだろう。今回はきみが許容してくれたらいいよ。オレはなんとも思ってなかったんだから」
「なぜ。きみが振るわれた暴力……いや、じゃれ合いのことじゃない。この際だから言わせてもらおう。最近のきみはおかしいよ」
「話すことはないって言ったろ」
「いいや、まだ話し合うことが残っている。きみの態度についてだ。私がきみに何かしたかい? 意に沿わないことでも?」
「してない! きみは、きみは……きみは何も悪くない。最近態度が悪いって? 謝るよ。それは、オレが悪いんだ。オレのせいなんだ。オレがビビりな臆病者で不安症なせいなんだ」
「そう考える理由を知りたいんだ。何がきみを不安にさせるのか教えてほしいんだ。きみは臆病者なんかじゃない。教えてほしい。そして解決方法を一緒に考えよう」

彼のこういうところが、オレと最高にマッチしないと感じるのは、彼と違ってオレが最低な人間だからだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女装趣味がバレてイケメン優等生のオモチャになりました

都茉莉
BL
仁科幸成15歳、趣味−−女装。 うっかり女装バレし、クラスメイト・宮下秀次に脅されて、オモチャと称され振り回される日々が始まった。

【BL】SNSで人気の訳あり超絶イケメン大学生、前立腺を子宮化され、堕ちる?【R18】

NichePorn
BL
スーパーダーリンに犯される超絶イケメン男子大学生 SNSを開設すれば即10万人フォロワー。 町を歩けばスカウトの嵐。 超絶イケメンなルックスながらどこか抜けた可愛らしい性格で多くの人々を魅了してきた恋司(れんじ)。 そんな人生を謳歌していそうな彼にも、児童保護施設で育った暗い過去や両親の離婚、SNS依存などといった訳ありな点があった。 愛情に飢え、性に奔放になっていく彼は、就活先で出会った世界規模の名門製薬会社の御曹司に手を出してしまい・・・。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川パナ
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件

神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。 僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。 だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。 子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。   ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。 指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。 あれから10年近く。 ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。 だけど想いを隠すのは苦しくて――。 こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。 なのにどうして――。 『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』 えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...