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海瑠の家に着くやいなや。玄関に入った瞬間、それまでの無言から一転、恐怖を感じるほどの空気の変貌に心拍数が跳ねあがる。
「岳人、俺は」
「待って!!」
俺は、思わず海瑠の口を手で抑えた。
海瑠はぱちぱちと瞬きする。手のひらに、海瑠の半開きの口から漏れる吐息が熱い。と、手相をなぞるように生温かい軟体がねろりと這って、俺は思わず肩を震わせた。
「うひゃっ!? おまえ……!」
とっさに手を引っ込めると、その両腕を海瑠が掴みとり、扉に縫い付けるように押さえつけられた。
「もう待ては聞かない」
「っあのなあ!!」
「好きだ」
迷いなく海瑠は断言した。
「好きだよ、岳人」
真剣な表情を、へにゃりと困り笑いのような、泣き笑いのような、感情を破壊してぐちゃぐちゃにかき混ぜた表情に変えて海瑠は言った。そして観念したかのように続けて囁く。
「俺が好きなのはお前だよ」
物語る目は駅のホームで見せたものと一致していた。
ああ、やっぱりあれはそういうことだったのか、と合点がいった反面、長年共に過ごしてきた幼馴染みに裏切られたような衝撃を俺にもたらした。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「だって、カイは花弥ちゃんと付き合ってたじゃんか。好きな子がいるって、それから……」
「ああ。好きな子がいる。絶対に言えない、振り向かせちゃいけない、好きな子」
「意味、わかんないよ……」
「児玉と付き合ったのは、岳人。お前が、児玉のことを好きだったからだよ」
「叶わないなら、せめて、お前の目に俺が映っているようにしたかった。羨望でもいい、憎しみでもいいから、なんでもいいから岳人に俺を見続けてほしかった。でも間違いだった」
「間違い、って……」
「お前は児玉への気持ちに蓋をして、それで……俺のことも避けるようになった。今も昔も変わらず、お前は余計な気を回して俺から離れようとした。それじゃ意味なかった。高校を卒業して、離れ離れになったら、このまま疎遠になるんじゃないかってくらい、お前は俺のことを回避した。耐えられないよ、そんなのは」
「だからって、花弥ちゃんと別れたのかよ。花弥ちゃんはカイのこと、好きなのに」
「あいつが好きなのは俺の顔だよ」
「そんなこと……」
「クラスのマドンナには釣り合う男が必要だったんだよ。知ってるだろ、あの子が案外図太い性格してるの。岳人だって、あの子の白百合に見えて、本当はアサガオみたいに生命力が強いところが好きだったんだろ」
「それは……」
「岳人、お前が見てくれないなら、意味ないよ。友達でいいと思ってた。今日まで。お前が幸せになったら、俺は解放されるんじゃないかって思ってた。そんなことなかった。お前の口から出た『結婚』に耐えられなかった。昔みたいに気を遣われるのも。俺は、お前との関係を壊したくないから、逃げてただけだったんだ。見ないふりしてたけど、もう、そうはいかない」
海瑠の整った顔がぐっと近づく。
「好きだよ。愛してる」
額がくっつきそうな距離で海瑠が苦しそうにそう言った。
「なんで……」
今更。
あまりに切実で、悲しみが詰まった告白に、俺の胸の中心が疼く。
俺の呟きを聞いて海瑠が浮かべた困り笑いに俺は対応できなかった。重なった唇にも。
「ふ……」
柔らかい感触が押し当てられて、角度を変えるたびに甘い吐息が漏れる。と、生温かい触手が唇を割り、歯列をなぞった。思わず海瑠を見る。熱い視線とかち合う。動揺してうっかり開いてしまった唇に舌が遠慮なく入り込み、互いに絡まり、吸われ、食べられ、下唇に噛みつかれてやっと解放された。
「は、う……」
海瑠の目はぎらついていた。いつものちょっと意地悪だけど優しい幼馴染みはいなかった。
「か、カイ……」
「逃げる? 岳人」
「え……」
「今なら、逃がしてやれる。でも、逃げないなら離さない」
押さえつけられていた両手首が放される。今なら、振り向いて扉をあけられる。
だけど、きっと、そしたら俺はもう二度と海瑠と関わることはない。きっと、海瑠は俺の前からいなくなる。
これが、海瑠が忌避していたことだとまざまざと突きつけられる。
「逃げろよ、岳人」
「……」
「今なら」
「行かないよ」
「……」
海瑠は押し黙って俺を見た。
悲壮感漂う顔で。
ああ、友達には戻れないんだな。
わかっていたのに今更胸を刺す。
でも、俺は行かなかった。
海瑠と過ごした日々があまりに重くて、手放せなくて、失いたくなかった。
友達に戻れない方がずっと嫌だった。
「バカだな」
「なんだよ……」
海瑠が苦笑した。顔をくしゃりと歪めて泣きそうな目をした。
「わかってないよ、岳人。俺、かなり重いんだって」
「『今』はもう終わったんじゃなかったのかよ」
「……」
まっすぐ海瑠を見つめる。海瑠も俺を見つめる。
互いに何も言えず、十数秒経った。
どちらともなく唇を寄せた。不思議な感覚だった。
すぐそばにいるのに決してくっつかなかった磁石が、十数年の時を経て、やっとぴったり引き合ったような。ぼんやりと探していた半身を手に入れたような。自分が完全になったような。
今までにない感覚だった。
「ん、あ……」
「はぁ……岳人、好きだ」
何度も何度もキスをした。深く、浅く、交わって、離れた。
透明な糸が垂れ、海瑠の指が俺の口の端を拭う。
切ない視線に心臓が高鳴る。
ああ、と俺は息を吐いた。胸にしっくりくるものがあった。駅のホームで感じたような、海瑠以外の誰にも抱いたことの無い気持ち。
海瑠の気持ちの全てを理解して受け入れられたわけじゃない。
こいつを手放したくない。そんな気持ちで受け入れた。だけど、そんな気持ちになった時点できっと俺はもう、目の前のこいつのことを、胸の深いところで受け入れていたんだろう。
決して恋じゃない、もっと深い気持ち。
親愛のような、友愛のような……唯一の愛情。
ずいぶん昔から、愛してた。
「カイ……」
俺が今どんな顔をしているのか、俺自身わからない。
けれど俺の顔を見た海瑠の目には明らかな欲の混じった熱が灯っている。
「岳人、俺は」
「待って!!」
俺は、思わず海瑠の口を手で抑えた。
海瑠はぱちぱちと瞬きする。手のひらに、海瑠の半開きの口から漏れる吐息が熱い。と、手相をなぞるように生温かい軟体がねろりと這って、俺は思わず肩を震わせた。
「うひゃっ!? おまえ……!」
とっさに手を引っ込めると、その両腕を海瑠が掴みとり、扉に縫い付けるように押さえつけられた。
「もう待ては聞かない」
「っあのなあ!!」
「好きだ」
迷いなく海瑠は断言した。
「好きだよ、岳人」
真剣な表情を、へにゃりと困り笑いのような、泣き笑いのような、感情を破壊してぐちゃぐちゃにかき混ぜた表情に変えて海瑠は言った。そして観念したかのように続けて囁く。
「俺が好きなのはお前だよ」
物語る目は駅のホームで見せたものと一致していた。
ああ、やっぱりあれはそういうことだったのか、と合点がいった反面、長年共に過ごしてきた幼馴染みに裏切られたような衝撃を俺にもたらした。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「だって、カイは花弥ちゃんと付き合ってたじゃんか。好きな子がいるって、それから……」
「ああ。好きな子がいる。絶対に言えない、振り向かせちゃいけない、好きな子」
「意味、わかんないよ……」
「児玉と付き合ったのは、岳人。お前が、児玉のことを好きだったからだよ」
「叶わないなら、せめて、お前の目に俺が映っているようにしたかった。羨望でもいい、憎しみでもいいから、なんでもいいから岳人に俺を見続けてほしかった。でも間違いだった」
「間違い、って……」
「お前は児玉への気持ちに蓋をして、それで……俺のことも避けるようになった。今も昔も変わらず、お前は余計な気を回して俺から離れようとした。それじゃ意味なかった。高校を卒業して、離れ離れになったら、このまま疎遠になるんじゃないかってくらい、お前は俺のことを回避した。耐えられないよ、そんなのは」
「だからって、花弥ちゃんと別れたのかよ。花弥ちゃんはカイのこと、好きなのに」
「あいつが好きなのは俺の顔だよ」
「そんなこと……」
「クラスのマドンナには釣り合う男が必要だったんだよ。知ってるだろ、あの子が案外図太い性格してるの。岳人だって、あの子の白百合に見えて、本当はアサガオみたいに生命力が強いところが好きだったんだろ」
「それは……」
「岳人、お前が見てくれないなら、意味ないよ。友達でいいと思ってた。今日まで。お前が幸せになったら、俺は解放されるんじゃないかって思ってた。そんなことなかった。お前の口から出た『結婚』に耐えられなかった。昔みたいに気を遣われるのも。俺は、お前との関係を壊したくないから、逃げてただけだったんだ。見ないふりしてたけど、もう、そうはいかない」
海瑠の整った顔がぐっと近づく。
「好きだよ。愛してる」
額がくっつきそうな距離で海瑠が苦しそうにそう言った。
「なんで……」
今更。
あまりに切実で、悲しみが詰まった告白に、俺の胸の中心が疼く。
俺の呟きを聞いて海瑠が浮かべた困り笑いに俺は対応できなかった。重なった唇にも。
「ふ……」
柔らかい感触が押し当てられて、角度を変えるたびに甘い吐息が漏れる。と、生温かい触手が唇を割り、歯列をなぞった。思わず海瑠を見る。熱い視線とかち合う。動揺してうっかり開いてしまった唇に舌が遠慮なく入り込み、互いに絡まり、吸われ、食べられ、下唇に噛みつかれてやっと解放された。
「は、う……」
海瑠の目はぎらついていた。いつものちょっと意地悪だけど優しい幼馴染みはいなかった。
「か、カイ……」
「逃げる? 岳人」
「え……」
「今なら、逃がしてやれる。でも、逃げないなら離さない」
押さえつけられていた両手首が放される。今なら、振り向いて扉をあけられる。
だけど、きっと、そしたら俺はもう二度と海瑠と関わることはない。きっと、海瑠は俺の前からいなくなる。
これが、海瑠が忌避していたことだとまざまざと突きつけられる。
「逃げろよ、岳人」
「……」
「今なら」
「行かないよ」
「……」
海瑠は押し黙って俺を見た。
悲壮感漂う顔で。
ああ、友達には戻れないんだな。
わかっていたのに今更胸を刺す。
でも、俺は行かなかった。
海瑠と過ごした日々があまりに重くて、手放せなくて、失いたくなかった。
友達に戻れない方がずっと嫌だった。
「バカだな」
「なんだよ……」
海瑠が苦笑した。顔をくしゃりと歪めて泣きそうな目をした。
「わかってないよ、岳人。俺、かなり重いんだって」
「『今』はもう終わったんじゃなかったのかよ」
「……」
まっすぐ海瑠を見つめる。海瑠も俺を見つめる。
互いに何も言えず、十数秒経った。
どちらともなく唇を寄せた。不思議な感覚だった。
すぐそばにいるのに決してくっつかなかった磁石が、十数年の時を経て、やっとぴったり引き合ったような。ぼんやりと探していた半身を手に入れたような。自分が完全になったような。
今までにない感覚だった。
「ん、あ……」
「はぁ……岳人、好きだ」
何度も何度もキスをした。深く、浅く、交わって、離れた。
透明な糸が垂れ、海瑠の指が俺の口の端を拭う。
切ない視線に心臓が高鳴る。
ああ、と俺は息を吐いた。胸にしっくりくるものがあった。駅のホームで感じたような、海瑠以外の誰にも抱いたことの無い気持ち。
海瑠の気持ちの全てを理解して受け入れられたわけじゃない。
こいつを手放したくない。そんな気持ちで受け入れた。だけど、そんな気持ちになった時点できっと俺はもう、目の前のこいつのことを、胸の深いところで受け入れていたんだろう。
決して恋じゃない、もっと深い気持ち。
親愛のような、友愛のような……唯一の愛情。
ずいぶん昔から、愛してた。
「カイ……」
俺が今どんな顔をしているのか、俺自身わからない。
けれど俺の顔を見た海瑠の目には明らかな欲の混じった熱が灯っている。
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