聖女の婚約破棄

かほ

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「それであっさり婚約破棄を受け入れて帰ってきたって?」

「ええ。あの様子じゃあ婚約破棄は王勢力の意思なんだろうし、特に未練もないもの」

「可哀想な王太子様。あの人、姫さんのこと大好きだったのに」


 やれやれと首を振るこの失礼な男はアール。家名はなく私が拾って名付けたそのままに、ただ、アールとだけ名乗っている。私の護衛兼話し相手のようなことをしている小生意気な男だ。


「あら、貴方はてっきり喜ぶと思ったのだけれど」

「はっ。ご冗談を!」


 ソファに腰掛けていたアールは心底心外だとばかりに鼻を鳴らすと尊大な素振りで足を組見直した。


「こんな性悪女を引き取ろうもんなら、しなきゃ行けない苦労が5万と浮かぶね」

「まあ、性悪だなんて。そんな風に言うのは貴方だけよ、アール」

「隠すのが上手いからな。俺だって出会ったのが薄汚い路地でさえなければ気付かなかったろうぜ。どうせ虐めの件だって姫さんの先導なんだろ?」


 茶化すようでこちらの本心を探り出そうとする目に苦笑する。


「先導なんて。私はただ少し、口を滑らせただけよ」

「怖い女」


 面白がるようなアールの言いように少し眉をひそめる。


「酷い言い方だわ」

「そうかい?」

「そうよ。…だって、私は何もしないもの」


 アールの黒耀石のような瞳がじっと私を見つめる。
 そこにはただ鏡のような輝きだけがあり、彼の意思は読み取れない。
 私はアールのこの目が苦手だった。

 私は私のことを絶対に悪くないと思っている。私の存在がイリヤたちの背中を多少なりとも押したことは事実だと思うけれど、結局やるかやらないかを決めたのは彼女たちなのだから。
 そして私はその虐めを計画も実行もしなければ、現場に居合わせさえしなかった。
 監督責任について問われれば否定はできないが、虐めそのことについて良心を苛まれる言われなんてない。

 けれど彼の静かな眼差しは、そんな私の思いを波立たせる。
 罪の意識などないのに、後ろめたい気持ちになるのはどうしてなのだろう。


 私は耐えきれなくなって、アールの瞳から逃れるように立ち上がる。


「わかったわ、そうね。謝罪の手紙を書くわ。私の友人を止めることが出来なかったことを」


 これならいいでしょう、と視線を送りながら、胸の前で手を握る。
 原因となったのは私なのだし、確かにそれくらいはしてもいいかもしれない。
 そう考えているうちに、婚約破棄の場で居心地悪そうに身を縮める彼女の姿を思い出した。
 つい最近まで平民だったのに、貴族社会に馴染めるはずなどなかった。
 イリヤたちに意地悪をされたその上、体よく利用されてあんな社交界の中心に引っ張り出されるなんて、あまりに可哀想だ。


「ああそれと、イリア達にも連絡をしましょう。私のことを想ってしてくれた事だったのに、きっと気に病んでいるはずだものね」


 あんな大勢の前で私のことを庇ってくれたイリヤ。
 あの時は馬鹿だなんて思ったけれど、どれだけ勇気がいる行動だったか。
 彼女には労いの言葉をかけてあげるべきだろう。


 彼女たちの立場にたって話しているうちに、酷く同情的な気分になってくる。

 彼女たちへの対応をひとつひとつ数え上げて、これでいいでしょうと再び彼の瞳を覗き込む。しかしアールは私の眼差しを受け止めることなく目を伏せると素っ気なく答えた。


「ええ、いいと思いますよ」


 何だか含むような物言いに、自然と眉をひそめる。


「何か言いたいの?」

「いいえ、姫さん。言いたいことなんて何もないですとも」

「嘘」

「ええ。嘘です。けれど言ったってあんたにはわからない」


 だから言わないんです。

 あっさりと嘘を認めたアールはきっぱりと言った。
 アールは時々こんな風に、私の心をざわつかせる。

 唯でさえ彼の態度は私に対しての礼儀を欠いている。
 その上、私を悩ませるような発言をするなど明らかに分をこえた行動だ。
 けれど私はその全てを許してきた。
 生殺与奪の権すら握られた状態で私に対して色々思うところがあるのも当然だと考えたからだ。

 想像、理解、共感。
 これをしてさえいれば、誰もが私に好意的になった。
 勿論立場的な問題が絡めば別だけれど、基本的には皆。この男を除いては。


「アールは、私のことが嫌いなのよね」

「嫌いじゃない。むしろ感謝してるくらいだ」

「嘘よ」

「本当です」


 突き放すようなことを言っておいて、今度は子どもに言い聞かせるような優しい目をする。
 アールのことがわからない。


 出会ったばかりの頃はもっとわかりやすかった気がするのに。
 時折、彼の瞳の中に憐憫の色を見ることがある。
 初めてそれに気づいたとき胸をかきむしりたくなるような苛立ちを覚えたが、今はどうだろう。

 アールに対する私の気持ち。
 そんなものわからなくたってかまわなかった。
 アールが私を、私がアールをどう思おうが、アールは私が拾ったその時から永遠に私のものだと、決まっているのだから。

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