青い鳥を探して

かほ

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第一章

その夜

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 疼くような下腹部の鈍痛で目を覚ました。

 部屋の中はまだ暗く、朝にはまだほど遠い様子だ。ノアがそっと身を起こして部屋の反対側の隅に置かれたベッドの様子を伺うと、膨らんだ布団の影が見えた。

 室内に漂う静寂の気配をかすかな規則正しい寝息の音だけが打ち消していた。そのことにほっとして、ノアは静かに息を吐く。

 ルームメイトの眠りを妨げな程度の明かりをつけて、ノアがするりと音を立てないようベッドから降りて向かった先は、寮の自室内にあるトイレだった。

 じくじくと訴えかける腹の痛みもさることながら、下履きのじっとりと湿ったような感触が不快だったので具合を確認しようと思ったのだ。
 どうせ寝汗か何かだろう。
 そんな想定をしながら寝ぼけ眼に下着を下ろしたノアが見たものは、予想もしていなかった鮮明な赤。

 それは下着の股ぐらに当たる部分にべったりと付着した血液だった。
 体内から吐き出されたばかりの真新しい血は目も覚めるような鮮やかさで、ともすれば赤色の染料のようにも見えた。しかし鼻腔を刺激する鉄臭さがそれが紛れもなく血液であると証明していた。

 衝撃で思わずよろめく。全身から血の気が引くのを感じて、ノアはとりあえず下履きを履き直し、壁によりかかった。
 一度肌から離れたために少し冷えた下着の感触は先程にもましていっそう気持ち悪かった。加えて原因を知った今となっては、鳥肌ものの感覚である。
 ただでさえ疼くように感じていた下腹部の痛みが、先刻よりも増してきた。

 どく、どく、どく。

 心臓の鼓動とともに脈打つような痛みが主張してくる。
 何か大変なことが自らの身体に起こったのだとわかる。
 しかしその何かがわからないことがとてつもなく恐ろしかった。

 どく、どく、どく。


 耳の奥で自らの拍動が響く度に、ノアの不安と恐怖が増していくようだった。
 酷く気分が悪く、吐き気すら覚える。
 今にも自分は死んでしまうのではないかとノアは思った。
 自らの混乱を自覚せぬままに、ふらふらとした足取りでノアが向かったのは、穏やかな寝息を立てる膨らんだベッドだった。

 寝ている人間を起こすのは迷惑だとか、2年も同室のくせしてろくに話したことすらない人間を頼ることへの抵抗感だとか。
 そんなことに意識を向ける余裕はどこにもなかった。
 とにかく自分の中の不安を吐き出して、誰かに大丈夫と言ってもらいたかったのだ。



******

「おーい、朝だぞ」

 控えめな低い声に呼ばれて、ノアは飛び起きた。ぱっと横を見ると、既に衣服を整えたルームメイトーーエーリクが立っている。普通に考えれば起こしてくれたのだとわかるが、今までになかったことなので状況がうまく飲み込めない。

「昨日お前、あのまま寝ちゃっただろう。まだ授業まで1時間はあるから、シャワーとか…いろいろ準備したほうがいいと思う。あとシーツは俺が洗っといたから心配しないでいい。じゃ、俺先行くから」

 ノアが呆然としている間にエーリクは言いたいことだけ言い切って、部屋を出ていった。

 扉が閉じるパタンという音が聞こえた音で我に返ったノアは、ようやっと昨日の夜の自分の痴態に思い至った。


 あの後眠っているエーリクに対してなんと声を掛けたのか、ノアは記憶していない。酷いパニックに襲われていたためだ。だけどおそらく言っていることは支離滅裂だっただろう。

 にも関わらず、ルームメイトーーエーリクは本当に辛抱強かった。ほとんど泣きつくような形になったノアを「大丈夫、大丈夫」となだめながら、要領を得ない話を根気強く聞いてくれたのだ。終いには疲れて眠ってしまったノアに血塗れのシーツを洗ってくれさえしたらしい。

 言われてみれば、ノアが横たわっていたのはエーリクのベッドだった。ノアのベッドはシーツを剥ぎ取られて、寝具として機能しない状況になっている。

 ということは、エーリクはどこで眠ったのだろう。
 まさかと思い床を見ると、そこには折りたたまれたブランケットが置いてあった。

 つまりエーリクはあの後眠りこけたノアを自分のベッドまで運び、シーツを洗ったあと、固い床で一晩を過ごしたということだろうか。



 何ということをしてしまったのだろう。ノアは掛けた迷惑の大きさに顔を青ざめさせた。それも困っていたノアを助けてくれた恩人に対してだ。

 ノアは生来義理堅い性格である。加えて何でも一人でこなす癖があるために、人に何かをしてもらったり、労力を払わせるような経験に乏しかった。

 そのためノアにとって、事態はともすれば自身の身体の変化や晒してしまった痴態を恥じることよりも重大だった。

 どうにかして、挽回しなければ。

 ノアは決意と共にぱっと身を起こすと、まだ怠さの残る身体を叱咤しながら準備をはじめた。

 
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