かすか

欟乃華

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原作 試し読み版

ちんもくのまなざし

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 私は大理石の床を転がるように駆けていた。息を弾ませながら、乱雑に歩を懸命に進める。廊下の長さは永遠に感じられた。この屋敷に来てからの初の全力疾走であり、逃亡を謀っていた。

 ーー出来事は一時間前に遡る。

   ♡

「ーーノルン。あの……あれから体調は、大丈夫?」

「……貴方に心配されなくとも、そう簡単にくたばるような体じゃないので心配しないで下さいよ」

 私は、ノルンの自室に訪れていた。用件はノルンの体調を尋ねに。だが、ノルンは終始、煩わしそうにしっしっと手で私を払った。憎まれ口が叩ける元気はあるようなので、もう気遣う必要性はないみたいだった。

「……あのさ、ノルン……」

「ーーあら、お客様だわ!」

 言い掛けた言葉を飲み込み、振り返るとブロンドのドレス姿の女性が立っていた。前回、庭園にいた、ヴィクトリアだ。彼女は私を見るなり、目を輝かせると私の前まで軽やかに駆け寄って来た。

「……酷いわ。ノルン。ーーこんな可愛らしい人を私に紹介してくれないだなんて!」

「ーー申し訳御座いません。ヴィクトリア様」

 事務的というより、接客対応のマニュアルをそのままアウトプットするかのような応対をするノルンに私は調子が狂ってしまう。何故、主人とはまた違う対応をするのかが分からなかった。過去に何か嫌な記憶でもあるのだろうか?

「ーー私、ヴィクトリアと言うの。ねえ、貴方、お名前は?」

「私……は。ーーあおなです」

「ーー貴方は、あおなじゃなくて、マリアでしょ」

「いや、私、純日本人だから和名が良いんだけど……」

「そう。ノルンが言うなら、貴方はマリアだわ!」

「えっと……」

「でも、私と二人きりの時は、あの人に内緒で、あおなって呼んでもいいかしら?」

「……はい。ありがとうございます」

 同性の話相手が出来る事は純粋に嬉しかった。ヴィクトリアも喜んでいるが、ノルンは彼女を背後に至極、面倒臭そうに嘆息していた。何故、嘆息を漏らしたのかが、今の私にはその行動の意味がはかれなかった。

「……ねえ、お部屋で一緒にお話しましょ。ノルン。お茶とお菓子を私の部屋に運んで頂戴。あおなと二人きりでティータイムがしたいわ」

「ーー畏まりました」

 コロコロと気分が変わるヴィクトリアに手を繋がられて、私は彼女の部屋へと招かれた。

   ♡

 ヴィクトリアの自室はアンティーク調というよりかは、ロココとアンティークを混ぜたような調度品で内装されていた。高級そうなソファに恐る恐る腰掛ける私に、ヴィクトリアは不思議そうに首を傾げる。もし仮に弁償する事になったら、とんでもない額を請求されそうだ。

「ねえ、あおな。貴方、いつから此処にいるの?」

「えっと……まだ一年は経ってないですけど……」

「あら、そうなのね。てっきり、もっと長く此処にいたのかと思った。だって、あのノルンが貴方に心を開いているんですもの!」

「ーーえ?」

 思わず聞き返してしまった。夜な夜な主人に汚されている私を見て見ぬふりをする、あの外道が、私に心を開いている?

 一体、何を言っているのか。この目の前の人間は。ーー不可解過ぎる。

「ノルンは、あおなの事が好きなのかしら……?」

「いやあ、それはないですよ。だって、年離れてますし」

「あら。あおなは、年幾つなの?」

「今年で十八になります」

「だとすると、ノルンの方が二個年上ね」

「え?」

 意外だ。老けているというよりかは、大人びている、が正しい。ノルンを纏う雰囲気は二十代前半には見受けられなかった。元々、彼は博識で知識量が凡人よりも飛び抜けている。ーーだからなのかもしれない。

 ノルンの話題のまま、ヴィクトリアが自分の髪飾りを幾つかドレッサーから出すと、私の髪を高級そうなブラシで梳かし始めた。どうやら私を使って、お人形遊びをするらしい。

「ーーねえ」

「はい?」

「ーーあおなは、好きな人はいないの?」

 振り返ると、ヴィクトリアの宝石のような碧眼が間近にあった。二つの蠱惑的な瞳でじっと見つめられると、何だか彼女の世界に引き摺り込まれて行きそうな感覚がした。

「いえ……いません」

「……そう、そうなのね!」

 ヴィクトリアは安堵して嬉しそうに微笑する。そうして、私の顎を持ち上げると自分の唇を私の唇に重ねた。ーー私は、一瞬、何が起こったのか分からなかった。目をぱちくりとさせる。

「綺麗なノルンと違って、貴方はまた別の輝きを秘めていて美しいわ。そう……まるで、ダイヤの原石で出来たお人形さんのよう……」

 ヴィクトリアはうっとりと自己陶酔感を秘めた眼差しを私に向けて来る。頬を赤く染めて、熱く熱く語り掛けて来た。私は、彼女の意図が分からなかった。此処に来て、唯一、無害な人種に会えたというのに。今、目の前にいる同性の人物が不気味で怪物のように感じられた。気が付けば、私は反射的に彼女を突き飛ばしていたのだ。

   ♡

「ーーおっと……!」

「ーーかすか!」

 お茶とお菓子を運ぶノルンと廊下でぶつかった。ノルンは本名を呼ばれた事で顔を顰めて舌打ちをする。だが、複雑そうな顔をしていた。ヴィクトリアの部屋でどんな出来事があったのか理解している風だった。

「ーーののののののノルン!」

「ーーはい?」

「あの女。ーー変っ!!!」

「……主人の耳に入ったら、即刻、貴方の首が飛びますよ」

 心臓の動悸が止まらない。あの人に体を奪われた夜以上に動揺していた。同性にそういった目で見られるのは、生まれて初めての事だったからである。

「……取り敢えず、事情は察しがつくので、お茶でも飲んで落ち着いて下さい」

「ーーごごごっごめん!」

 手渡されたカップの中身を躊躇わずに呷った。そして、ノルンの次の言葉で私はお茶を噴き出す事になる。

「ーーあ、すみません。それ、即効性の睡眠薬入りの方です」

「……ぶッ!!!」

 カップの半分以上をがっつり飲んでしまった。私は、この男の何に期待していたのだろうか。そもそもコイツも自分の味方ではない事に改めて気付かされる。

「この野郎……ッ!」

 苦し紛れに吐き捨てられた言葉はそれだけだった。他は混乱と動揺で頭が回らなく、思考はぐるぐるとする一方で。そして、視界は目眩で揺れ動く。どんだけの量の強力な薬を盛りやがったんだと思う。倒れそうになる、私の体をノルンは易々と片手で支えた。

「ヴィクトリア様は、ぼくが何とかしておきますから。……貴方は、自室で伸びてて下さい」

「後で……一発殴らせろ……」

 意識が飛ぶ前の最後の言葉はその一言だけで、次に目が覚めた場所は自室だった。ノルンの言う通り、ヴィクトリアの件はノルンが何とかしてくれたようで、主人からのお咎めは一切なかった。

 それ以来、私はヴィクトリアの姿を見掛ける度に息を殺して隠れるようになる。
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