春 かすか

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第三部

せんりつ

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 黄昏時。夕暮れの日差しが窓に入って来て、私を照らす。私の影は細長く伸びていた。

「What is this? What is that? I can hear the song of birds from the forest.(これはなに? あれはなに? 森から鳥の歌が聞こえてくるよ」

「What were you looking for? Did you forget about it as you grew up? It was such a beautiful story.(探していたものは何? 大人になって忘れてしまったの? とても綺麗な物語だったのに)」

「Do you remember me? I've been waiting for you. I know how you really feel.(私を覚えてる? 私は貴方を待っていたよ。貴方の本当の気持ちを知ってるよ)」

「Dear loved one, please don't give up. I'm sure the end of the story will be happy.(愛しい人よ。諦めないで。きっと物語の終わりは幸せよ)」

 静かな歌声。英語の歌詞で出来た童謡を口ずさむ主人、ゆきは窓の外を眺めながら物思いに耽っていた。書斎にいる私は主人の側に控えていて、目を伏せる。

「……ひるこ」

「ーーはい」

 歌を歌い終えると、主人は私の名を呼ぶ。メモ用紙に万年筆でさらさらと何かを書くと私にメモ用紙を手渡した。メモ用紙を見ると、達筆な字でとある住所と電話番号が書かれている。

「アルバーノのお父様がね。使用人の人手が足りないらしくて困っているみたいなんだ。だから、ちょっとの間だけでいいから。ーー明後日から住み込みで短期出張してくれないかい?」

「ーー畏まりました」

 主人の提案に断る理由などない。私は、即答で了承した。アルバーノという男は、私が以前、住み込みで働いていた御曹司の家の一人息子の事だ。一年前、私は、主人の命によって、アルバーノの警護兼使用人をしていた事を思い出す。

「ひるこ」

「はい?」

「You don't have to be by my side. You should go to wherever you like. You are free now.(僕の側にいなくていいんだよ。自分の好きな場所に行くといい。もう君は自由の身なのだから)」

「I cannot agree with that. (承服出来ません)」

 唐突に英語で話し掛けて来た主人に英語で丁寧に返答する。微笑していた表情から意外そうな表情に変わる主人に、私は表情を崩さずにそのまま英語で続けた。

「I will follow you for the rest of my life, sir. (一生貴方に付き従います。ご主人様)」

   ♡

 とある日の休暇。私は知人に呼ばれて喫茶店にいた。休暇は特にやる事がなかった。体を鍛えるトレーニングと勉強位しかやる事がない。ーー私のしたい事は、主人に仕える事。それだけしかなかった。

「ーーアルバーノに呼ばれたぁ?」

「まあね。……明日、イタリアへ行くの」

 昼間の喫茶店で私の知人はホットコーヒーを飲みながら怪訝そうな顔をした。私はアイスティーをストローで一口飲むとストローでカラカラと中身を混ぜる。氷がぶつかり合い、軽やかな涼しい音が響いた。

「なんでまた急に……?」

「さあ? ゆき様曰く、アルバーノのお父様が使用人の人手が足りないらしくて、急遽、人手が欲しいんですって」

「そんなん、ただの言い訳だろ。アルバーノがひるこに会いたい口実じゃないのかい?」

「ーーどうでもいいわ」

「ふーん……」

 ニヤニヤと笑う知人。何を思っているのか。どうせ下らない事しか頭に詰まっていないのだろうと思う私は冷めた目で知人を見返した。

「ーーあ、そうそう。頼まれてたやつ、持って来たよ」

「助かるわ」

 バックから知人は、大きい封筒に入った書類を取り出す。手渡された書類の他に写真も数枚入っていた。クリップを外すと、無表情の少年の写真が書類に挟まれている。主人が寵愛する少年、かすかとその家族の写真も数枚あった。

「そんな子供の事を調べて何に使うってんだい?」

「別にいいでしょ。金は口座に振り込んでおいたわ。暗証番号はこれ。金を引き下ろしたら、通帳は破棄して」

「あいよ」

 通帳と暗証番号を書いたメモ用紙を受け取る知人。注文しておいた料理をウェイトレスが運びに来る。テーブルの真ん中にあるグラスを退かして、料理を置くよう促すとウェイトレスは丁寧に会釈した。

「なあ。ひるこ?」

「……何?」

「Hey. Did you fuck?(ねえ。お前、ヤったのかい?)」

「Shut your filthy mouth right now. Prostitute.(今直ぐ、その薄汚い口を閉じろ。売女)」

 下卑た笑みを浮かべる知人に私は無感情を込めた言葉でそう吐き捨てると、金をテーブルに置いて、書類を入れたバックを無造作に掴むと椅子から立ち上がる。

「おいおい。待てよ。冗談だって!」

「ーー急用を思い出したから帰る。また連絡するわ」

 急用なんてものはなかったが、気が削がれたので喫茶店から立ち去った。

   ♡

 使用人宿舎に帰宅して、キャリーケースの荷造りを再度チェックする。そう言えば、昨日、浴室の洗面台の清掃チェックをする事を失念していた事を思い出す。私は、急いで浴室に足を運んだ。

   ♡

 浴室の洗面台をチェックし終わると、私は浴室から出ようとした。だが、その場に広げたバスタオルで体を拭く。ーー主人の愛玩動物、かすかがいた。

 子供の異性の裸体を見ても、特に何とも思わない私は、早々に黙って浴室から出ようとする。だが、かすかは先日の事を思い出したのか、私の事を黙って睨み上げて来た。ーー生意気なガキだ。主人は、こんな薄汚いガキの何がいいのだろうか。

「……この間の事」

「はい?」

 意外な事にかすかの方から話し掛けて来た。口数の少ない少年だと思っていたが、少なからず、喋る時は喋るらしい。

「ーーえりかには、絶対に喋らないで下さい」

 「この間の事」と言われて、私は先日の主人が持っていたノートパソコンのデータの事を思い出す。「ーーああ、あれの事か」と思った。下らない。そうまでして、自分の保身にしがみつきたいのかと半ば呆れる。

「It is a great honor for someone like you, a lowly servant, to be by the side of your master. You, a useless brat who cannot do anything on your own.(お前のような小物がご主人様の側にいられる事はとても名誉な事だ。一人じゃ何も出来ないクソガキ風情が)」

「?」

「Just continue to lament your own helplessness for the rest of your life, you brat.(一生そうやって、自分の無力さに嘆いていろ。クソガキ)」

 英語の言語が分からないかすかは唖然とする。急に英語で返されたから、困惑している様子だった。そんなかすかを置き去りにして私は浴室から退室する。

   ♡

 廊下に自分の足音が響く。私は、主人と顔を合わせてから屋敷を経とうと思った。主人の書斎へと向かう私。

 主人がどんな悪事をしているのかは理解している。

 だが、それがなんだというのだろう。私には関係のない事だ。

 私は天国だろうが、地獄だろうが、何処までも付いて行くだけ。

 ーー敬愛するあの人に。
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