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キジトラ

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 ──ああ糞ったれ、この世の何もかもが、おれを苦しめようとする。

 しんと静まり返った居間で、サブロウは肘枕をして火を焚いた囲炉裏をぼんやり見やりながら、己の不幸を嘆いていた。

 ──何でおれは、くだらない店の貧乏な女なんかと一緒になっちまったんだろう?

 マサエは赤ん坊を抱えて出て行った。どうせ今頃、ここから大して離れていない家の人間にでも泣き付いているのだろう。戻らなくても結構だが、小間使いがいないのは何かと面倒だ。明日になったら探し出して連れ戻し、二度と逃げる気も起きないくらい痛め付けてやらねばならない。

 ──本当ならおれは、華族の娘と一緒になっていたはずなんだがな。

 そもそもの原因は、自分を勘当した父親にある。持病持ちだったが、まだ生きているだろうか。

 ──近いうちに、マサエあいつに手紙を書かせて様子を探るか……。

 勘当されたとはいえ、自分にも少しばかりは遺産を貰う権利があるはずだ。生活に困窮した今の状況を知れば、母や姉辺りは同情して、自分の取り分を寄越すかもしれない。そうすれば、こんな貧乏生活とはおさらばだ。

 ──まずはあの役立たずを捨てて、この村を出たら町で家を買う。それからもっと若い嫁を貰って──……

 サブロウが取らぬ狸の皮算用に夢中になり始めた時だった。

「なあ」

 すぐ近くから声が聞こえたような気がした。

 ──……何だ? 空耳か?

「なあ」

 今度は間違いなく聞こえた。
 サブロウは体を起こし、周囲を見回した。

「なあ、おい」

 呼び掛けるその声は年老いており、男のようでも女のようでもあった。

「誰だ。何処にいやがる」

 背後に気配を感じた。振り返ってみるが、誰もいない。

「なあ、サブロウ」

「だっ、誰だって言ってんだ! 何処にいやがる。隠れてねぇでとっとと出て来い!」

「美味かったか?」

「……何だって?」

「美味かったか? おらの肉は美味かったか?」

 天井から吊るした石油ランプの明かりがふいに消え、サブロウの視界は一瞬で暗闇に覆われた。

「美味かったか? なあ、美味かったか?」

 サブロウは、あの野良猫を放っておかなかった事を、今になって後悔した。

「なあ、サブロウ」

「あ……あああああ……!!」

 天井付近に、両目を光らせたキジトラの顔がぼうっと浮かび上がった。そしてゆっくり口を開くと、とても猫のものとは思えない鋭い牙を覗かせた。

「お前は美味いか?」



 翌日の早朝。
 マサエと赤ん坊が出て行った家に、クマキチとショウイチという父子がやって来た。

「見ろ親父、あちこちに血が」

「ああ……」

 二人は玄関の前で何度もサブロウを呼んだが、返事はなく、物音一つ聞こえない。

「まだ寝てんのか? それとも察して逃げ出したか」

 仕事仲間の家で呑んだ帰り道、弱々しく泣く赤ん坊を抱え、まるで死人のような顔をしてとぼとぼと歩くマサエに気付いたクマキチが、自分の家に連れ帰ったのは昨晩の事だ。
 妻と一緒にマサエの口から事の顛末を聞き出したクマキチは、サブロウの様子を窺うため、万が一に備え力自慢の長男も連れて来たのだった。
 
「居留守使ってんのかもしれないぜ。器量良しで気立てがいい嫁さん貰っておいて、罰当たりの穀潰しめ」

 ショウイチは玄関から回り込むと、下駄を放るように脱いで縁側に上がり、居間の襖の前に立った。

「お、おい、気を付けろよ」

「出て来やがれ、ろくでなし野郎が!」

 勢い良く襖を開けたショウイチは、直後に驚きの声を上げて後ずさった。

「どうした!」クマキチが慌てて駆け寄った。「一体──あっ!」

 サブロウは、襖の手前で仰向けになって死んでいた。
 恐怖に歪んだその死に顔は、引っ掻き傷だらけだった。
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