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キジトラ

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 数日後、日暮れ時。
 昼前に酒を呑みに隣町まで行ったきり、なかなか帰って来ないサブロウを、マサエは腹を空かせて待っていた。先に食べてしまいたかったが、そんな事をすれば、後で怒鳴られるだけでは済まないだろう。
 サブロウの心配はしていなかった。むしろこのまま、二度と戻らないでほしいくらいだった。
 昨日、地主夫婦が、お裾分けだと言って野菜と魚を持って来てくれた際に、居間で寝転がっているサブロウに働くよう説得してくれた。しかしあのろくでなしは、生返事と言い訳を繰り返すだけ。怒った地主は、二度とうちの畑では働かせないと言い残して帰ってしまった。

 ──奥様は、何かあったらいつでも頼るようにと耳打ちしてくれたけれど……このままじゃ、ここに住んでいられなくなるのでは……。

 寝間で赤ん坊の眠るゆりかごをゆっくり揺らしながら物思いに耽っていると、猫の鳴き声が聞こえた。

 ──もしかして。

 縁側から外に出て雑木林の方を見やると、またあのキジトラが座っていた。

「まあ、また来てくれたのね」

 キジトラは挨拶するように鳴いたが、こちらに来ようとはしなかったので、マサエの方から側に寄り、しゃがんで頭を撫でてやった。

「お腹空いてるんじゃないかしら? 何か持って来るから、ちょっと待っててちょうだいね」

 マサエが立ち上がって振り向くと、丁度サブロウが帰って来るところだった。

「あ、あらお帰りなさい! 今すぐ夕飯の支度にしますから!」

 慌ててサブロウの元へ駆け寄ったマサエは、異変に気付いた。

「まあ大変!」

 サブロウの顔には複数の青痣があり、片方の瞼は腫れ上がっていた。

「一体どうしたの!?」

 サブロウは答えず、不愉快そうに口元を歪めた。

「何があったの。誰かにやられたの? ねえ、あなた──」

「っやかましい!!」

 サブロウはマサエを張り倒した。

「いちいち癇に障るんだよぉ、この役立たずが!!」

 すすり泣くマサエを放って家に戻ろうとしたサブロウは、雑木林の方からマサエの元へ駆け寄って来たキジトラに気付いた。
 キジトラはサブロウと目が合うと、低く唸った。

「……ああ?」

「寝ぐらへお帰り。ね、いい子だから」

 マサエは慌てて逃がそうとしたが、キジトラはその場から動かず、毛を逆立て、牙を剥き出しにしてサブロウを威嚇した。

「どいつもこいつも! 舐めやがって!」

「やめて!」

 キジトラを庇って前に出たマサエを、サブロウは容赦なく地面に叩き付けた。

「畜生如きが!!」

 サブロウはキジトラを蹴り飛ばした。

「畜生が!! 畜生が!! 畜生が!!」

 サブロウは倒れたキジトラを、何度も何度も何度も、気が済むまで蹴り上げ、踏み付けた。キジトラは血まみれになり、やがてピクリとも動かなくなった。

「……あー、腹減ったなあ。飯にすっか」

 サブロウは頭をポリポリと掻くと、キジトラの死骸を拾い上げ、脳震盪を起こして気絶しているマサエには目もくれず、家へと入っていった。



 マサエが目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。

「あれ……わたし、何でこんな……」

 家の中から赤ん坊の泣き声がする。

 ──あの人はまだ帰っていないのかしら……?

 立ち上がったマサエはよろめいて転びかけ、同時に気を失う直前までの記憶を思い出した。

 ── あのは!?

 キジトラがいた方へと目をやると、地面にべったりと血が付いている事に気付き、マサエは短い悲鳴を上げた。しかし肝心の姿は見当たらない。そして改めてよく見ると、血痕は玄関の方まで続いていた。

「ま、まさか……!」

 居間の方から物音がした。マサエは慌てて縁側まで戻ると、襖を開けた。
 サブロウは、火を焚いた囲炉裏の横で胡座を掻き、手掴みでこんがり焼けた何かに齧り付いていた。

「……ねえお前さん、あのは?」マサエは震える声で尋ねた。「あのはどうしたの?」

「……赤ん坊が泣いてんじゃねえか。とっとと乳飲ませて寝かせろ」

「ねえ!! 答えて!!」

「やかましい女だなぁお前は! 本当によぉ!」

 寝間の赤ん坊の泣き声が一際大きくなった。

「久し振りの肉が不味くなるだろうが!!」
 
 マサエは膝から崩れ落ちた。







 
 
 

  
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