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メルティシスター

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 ある日の朝、あたしのお姉ちゃんが溶けていた。
 比喩表現とかじゃなく、本当に全身が溶けていた。
 あたしとお姉ちゃんは別々の部屋だけれど、お姉ちゃんが何度もあたしを呼ぶ声が聞こえたので覗いて見たら、驚きの光景。でも不思議と、怖くもなければ気持ち悪くもなかった。

「ねえマヤ、わたし、今どうなってる?」

 ベッドの上の溶けたお姉ちゃんが、か細い声でそう尋ねてきた。幸い、顔のパーツは残っていた。

「溶けちゃってるよ」あたしは正直に答えた。

「やっぱりそうか……さっき目が覚めたら何か変な感じがしてさ」

「痛かったりしない?」

「全然」

 あたしのお姉ちゃんが不登校と引きこもりになったのは二年前。中学三年に上がるちょっと前だった。
 原因は、当時お姉ちゃんのクラスメートだった雪見酒冬一郎という男子だ。
 お姉ちゃんは中学二年のバレンタインデーに、雪見酒に手作りのチョコレート菓子をプレゼントした。土曜日だったけれど、わざわざ学校まで出向き、部活動中の雪見酒を体育館裏に連れてゆき、勇気を出して告白したのだ。
 チョコレート菓子は受け取って貰えたものの、お姉ちゃんはその場でフラれた。雪見酒は申し訳なさそうに謝罪とお礼を口にしたので、お姉ちゃんはとりあえず納得した。
 恥ずかしいから、この事は誰にも言わないでほしいとお姉ちゃんは頼み、雪見酒は了承した。

 でも、次の月曜日の放課後。
 帰宅しようとしていたお姉ちゃんは、数人の仲のいい男子生徒たちと体育館裏に向かう雪見酒を見掛け、好奇心と諦め切れない恋心から、後をつけた。
 そして、雪見酒の本心と本性を知ってしまった。
 雪見酒は、土曜日にお姉ちゃんからチョコレート菓子を貰った事を、その場にいた男子たちに笑いながらバラした。更にその後続けた悪口の数々は、元々傷付きやすい繊細なお姉ちゃんに大ダメージを与えるには充分過ぎた。

「あんなブスから貰っても全然嬉しかねえよ」

「マジでキモかったからさ、チョコは家帰ってから速攻で捨てたわ」

「目は一重ひとえで小せえし、鼻はデカくて唇はタラコみてえ。二〇点だな。まあ、勇気を出して告白出来たんだから二点おまけで、二二点!」



 溶けたお姉ちゃんは、食事を取れなくなったためか、日に日に少しずつ弱っていった。

「やっぱりお父さんとお母さんに相談した方が──」

「いい。あの二人には黙っておいて」

 お姉ちゃんが引きこもりになると、お父さんとお母さんは、最初のうちこそ何とかしようとしていたけれど、半年もしないで諦めてしまった。お姉ちゃんの部屋に食事を運んだり、定期的に声を掛けてあげるのも、全てあたしの役目になっていた。

「お姉ちゃん、このままじゃ死んじゃうよ」

「むしろわたしはとっとと死にたかったんだから、それでいいんだよ。いつまでもこんな状態で生き続ける方が嫌なのに」

 あたしが返事に詰まっていると、お姉ちゃんはふと思い出したように、

「今日って二月一四日だっけ」

「ううん、その前日。一三日だよ」

「そっか。前日か……」

 お姉ちゃんは沈黙した。きっと雪見酒に受けた仕打ちを思い出しているのだろう。そうやって度々思い出しては、泣いたり怒ったりする事が以前は多々あったけれど、最近は割と落ち着いていた。
 この時のお姉ちゃんは、泣きも怒りもしなかった。

「マヤ……最後のお願いを聞いてくれる?」

 意を決したようなお姉ちゃんの言葉に、あたしはどんな内容なのかは聞かずに頷いていた。お姉ちゃんがあたしに何を頼もうとしているのか、不思議とわかってしまったのだ。
 そして、拒否しようとは思わなかった。



 とある男子高校生がバレンタインデーに事故死したというニュースは、世間でちょっとした話題になったけれど、一週間も経たないうちに別のニュース──芸能人や政治家のスキャンダルとか──に取って代わられた。
 それでも、少なくともあたしの周辺では、まだまだこの話題は尽きそうにない。

「この間死んじゃった男子高校生って、うちの中学出身らしいぞ」

「知ってる。結構モテて、バレンタインには毎年沢山プレゼント貰ってたけど、相当性格悪かったみたい。プレゼントくれた女子一人一人に陰で点数付けて、笑いものにしてたって話だよ」

「バチ当たったんじゃない? ていうかチョコレートの大きな塊を喉に詰まらせるとか、どれだけ食い意地張ってんのよ」

 お姉ちゃん、ちょっと強引なところがあったからなあ。


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