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第二章 ライバルと放火魔と

#27 日曜日の覚悟①

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 千穂実はシルバーブレットより一足先に緑川家に帰宅した。風呂を借りた後、千穂実専用に提供された二階の部屋に戻り、パジャマに着替え終わるとほぼ同時にドアが遠慮がちにノックされ、応答すると里沙が顔を覗かせた。

「チホミン、お疲れ様」

「ごめん、起こしちゃった?」

 千穂実の部屋は里沙の部屋のすぐ隣だ。普段は緑川家の親族の宿泊用らしい。

「ううん、元から起きてたよ。入っていい?」

「うん」

 千穂実と里沙は並んでベッドに腰を下ろした。

「さっきまで、おじいちゃんとおばあちゃんも起きてたんだ。心配してたよ、チホミンの事」

「そういえば、お二人には全然挨拶出来てなかったね。そもそも会えてすらいないし」

「二人共、仕事やらお友達との旅行やらで家にいなかったからね。……ところでチホミン」里沙は改めて千穂実に向き直った。「チホミンが放火魔倒したって本当?」

「……うん」

「すっっごい!!」里沙は目を輝かせた。「早速大活躍じゃんっ!」

「有難う」

「普通なかなか出来ない事だと思うよ? ていうかチホミンて格闘術の飲み込み早いでしょ絶対!」

「……そうかな」

「あれ、何かあんまり嬉しそうじゃ……あ、疲れてるよね。ごめん」

「あのね里沙」

 千穂実は里沙のパジャマの袖を引っ張るように掴んだ。

「どうしたのチホミン」

「放火魔の事なんだけど……シルバーブレットが交番に置いてきて、その際に駐在さんに説明してくれたはずだから、多分もう逮捕されて、朝には報道されるんじゃないかと思う」

「うん」

「当然、本名や顔なんかも……あとは普段の様子とか若い頃の話とか。やった事が事だけに、しばらくの間大々的に」

「まあ、そうだよね」里沙はうんうんと頷いた。

「多分、ショックを受けると思う」

「ショックって……まさか、あたしたちが知ってる人間?」

 千穂実は無言で頷いた。

「そこまで言われちゃうと凄く気になる! でもショックで眠れなくなっても困るし、明日まで待つよ」

「ごめん、そうして」

 千穂実は身じろぎし、里沙の袖を掴んだままだったと気付いて手を離した。

「色んな意味で疲れたよね。じゃああたし、そろそろ戻るよ」

「わかった。有難う、来てくれて」

「うん、また明日……いや数時間後にね」

 里沙が出て行くと、千穂実は座った状態から倒れ込むようにしてベッドに横になった。

 ──まさか……初日からこうなるとはね……。

 一日も早く放火魔の凶行を止めたい、出来ればこの手で──その願いがこうもあっさり叶うとは思わなかった。シルバーブレットと二人、怪我をせず無事だったのも何よりだ。
 しかしそれでも、ちっとも素直に喜べなかった。放火魔の正体が、自分が通う学校の教師だなんて誰が想像出来ただろうか。

「あ……そういえば!」

 学校内で放火があった数日後、校舎内で焦げた紙切れを拾った事を急に思い出した。すぐに沢田が現れ、預かると言われたので素直に渡したが、あれは放火の証拠隠滅か、あるいはまた別に紙を燃やして楽しんでいたのだろう。

 ──いやでもさ、流石にそれだけで気付くのは難しいし……うん。

 ドジも踏んだ。せっかく気付かれずに工場内に入れたというのに、ついうっかり声を出してしまった。沢田が臆病で、厄介な武器を所持していなかったのは不幸中の幸いだった。駒鳥神社でナイフ男を退けた経験があるとはいえ、飛び道具や大型の武器に対抗出来る自信は流石にない。

 ──朝起きたら即刻クビを言い渡されそう……。

 最終的に沢田を倒したのは千穂実だが、それでミスを帳消しにしてくれる程シルバーブレットが優しい人間だとはあまり思えなかった。

 ──まあ……思い出にはなったかな……。

 諦めがついた途端、瞼が重くなってきた。

 ──でも、クナイも使ってみたかったな……。


 千穂実が次に気付いた時には、外はすっかり明るくなっていた。ベッドから這い出し、充電器に繋いであるスマホを確認すると、九時数分前だった。
 自宅から持って来た服に着替えてから同じ二階の洗面所で顔を洗い、まだ半分寝ぼけたままで階段を下りる。

「よっ」

 後ろから、聞いた事のない男性の声。ゆっくり振り向くと、千穂実と同じくらいの背丈の、イギリスの有名バンドTシャツにジーンズ姿という薄い白髪頭の老人が一人。

「あー……?」

「おれだよ、おれおれ。なんてな!」

「え、里沙?」

「何だって?」

 老人は一瞬目を丸くすると、ガハハハと盛大に笑い出した。

「チホミンおはよう!」階下から本物の里沙が現れた。「おじいちゃん何話してたの?」

「おじいちゃん……」千穂実の眠気は一気に吹っ飛んだ。「あ……うわわわごめんなさい! はじめましておはようございます!」

 慌てて頭を下げる千穂実を見ると、老人は更に大きな笑い声を上げた。

「えっと……何がどうしたの?」里沙は目をパチクリさせた。

 リビングに行くと、里沙の両親の他に初めて見る女性もいた。里沙の祖母で間違いなさそうだが、若々しく、おばあちゃんという雰囲気はあまり感じられない。背丈は千穂実より五センチは高く、背筋はピンと伸びている。

「あなたが千穂実さんね。はじめまして。里沙のおばあちゃんの房代ふさよです」

「わあ、はじめまして!」

「会えて嬉しいわ。里沙がいつもお世話になって。ああ、昨日は大変だったでしょう。朝ごはんすぐ用意出来るから沢山食べてね」

「はい千穂実ちゃん。おかわりしたかったら言ってね」

 明菜が千穂実の朝食一式をトレーに乗せて運んで来て、テーブルに置いた。白米、味噌汁、鰤の照り焼きに緑茶と、健康的なメニューだ。

「あ、どうもすみません」 

「それじゃ千穂実さん、ごゆっくりね。私はこれからお父さんと出掛けますから」

 房代がそう言うと、ドア付近にいた祖父がニカッと笑って手を振った。
 隆と明菜が玄関まで見送りに行き、千穂実が席に着いて早速食べ始めると、里沙も隣に腰を下ろした。

「チホミン、ニュース見たよ」

 千穂実は箸を止めずに里沙の方を向いた。

「あたしも父さんもママもおじいちゃんも……要するにおばあちゃん以外は、ビックリし過ぎて叫んじゃった。まさか……まさかだよ。先生がさ」

「ほんとにね」

「ネットでも結構騒ぎになってるよ。シルバーブレットが捕まえたからって余計にね。勿論賞賛の声多数!」

「倒したのはわたしなんだけどなあ……驚異の少女ガール・ワンダー、キャンディスターが」

「ま、まあ残念だったけど、チャンスはまたあるよ」

 千穂実は今度こそ箸を止めた。「多分ないよ」

「え?」

「沢田先生と直接対峙する前にさ、シルバーブレットと二人で物陰に隠れていたんだけど、わたしうっかり声出しちゃって」

「仕方ないよ、初めてだったんだよ。沢田先生やっつけただけでも凄いのに」

「その後上手くいったからいいけど、下手したら命の危険に晒されたかもしれないじゃない。そんなうっかりさんなサイドキック、あの冷たい人がそばに置いとくと思う?」

 隆と明菜が戻って来たので、二人の会話は一旦終わった。

「あ、千穂実ちゃん。シルバーブレットが、落ち着いたら離れまで来てほしいってさ」

 隆から伝えられた言葉に、千穂実は改めて覚悟を決めた。
 
 
 
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