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第1話〜10話
第7話 あの子は変身能力者(シェイプシフター)
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今日は友人と〈ハルピュイア亭〉でランチだというのに、空は朝からほぼ一面雲に覆われており、ほんの僅かな隙間からも赤い月は顔を覗かせていない。
──傘どうする? ギリ大丈夫そうか? 荷物になるのは嫌だな。うーん……。
迷いに迷った結果、レイモンドは雨具を持たずに外へと出たが、一分としないうちに判断を誤ったと思い知らされた。
──あーあ。
冷たい霧雨がしっとりと体を濡らす。
〝雨は嫌いよ。でも何故か時々、霧雨を浴びながら歩くのが楽しいと感じるのよね〟
ふと、生前の母の言葉を思い出し、レイモンドはほんの少しだけ感傷的な気分になった。
──わかる気がするよ。
自宅を出て数分歩き、十字路に差し掛かる。行き交う者たちは皆、何かしら雨具を使用している。
「ほら、風邪引いちゃうわよ」
呆れたような少し苛立ったような、それでも優しさに溢れる声の持ち主へと目をやる。左からやって来た四本腕の女性が、隣を歩く、自分の息子であろう同じく四本腕の小さな男児に傘を差し出していた。
〝風邪引くわよ、レイ。あの苦いお薬が飲みたいの?〟
「風邪引くぞ、レイ」
素っ気ないようで温かな言葉と共に、友人が右から姿を現した。
「待たせたか? ティト」
「いや、今来たところだ」
「お前こそ平気なのか」
「俺にはこれがある」
ティトは、すっぽりと頭を覆っているパーカーのフードを指で摘んだ。
「そのパーカー……もう何年着てるっけ?」
「二五年目だ」
「もういい加減、新しいの買えよな。何だったらまたおれが──」
「充分着られる。それに、とても気に入っている」
「そりゃ、プレゼントした甲斐があったよ」
「で……何があった、レイ。浮かない顔をしているのは、雨のせいだけではないだろう」
「ああ……やっぱわかるか? 流石はティト先生」レイモンドは苦笑し、小さく溜め息を吐いた。「店長がさ、店閉めるって言うんだ」
昨日、レイモンドはバイト先の薬屋の店主から、近々店を畳むと告げられた。経営難というわけではなかったが、店主は高齢であり、体調を崩しやすくなったため、田舎で隠遁生活するのだという。
「せっかくそれなりに楽しかったのによ。新しく探すの面倒臭いっての。だいたい、何でもっと早めに相談を……」
レイモンドがぶつくさと独り言のように文句を呟き続けるのを、ティトは普段の彼らしく黙って聞いていたが、〈ハルピュイア亭〉の前まで来ると静かに口を開いた。
「〈シルフィーネ〉はどうだ」
「てぇ~んちょお~う」
「何よ咲良。暇過ぎて死にそうだから何かしらのハプニングが起こりませんかねぇ~、なんて口振りじゃない」
「わ、凄い! 一言一句全て合ってる!」
「わはは、マジッスか!」
〈シルフィーネ〉は今日も暇だ。雨が降っているからという理由もあるかもしれないが、まあ基本的にはいつも暇だ。
店長のセルミアと新人バイトの咲良はレジカウンターに肘を突いたり突っ伏したりし、古株バイトの骸骨のジョージは、既婚女性同士の禁断の恋愛を描いた小説を立ち読みしつつ、黒縁眼鏡をエプロンの裾で拭いたりしていた。
「ねえ店長、どうしてこんなに暇なのに、バイト募集してたんですか? ぶっちゃけわたし必要でした?」
「忙しい時は忙しいのよ。まだあなたは知らないだけ。フフッ」
「へえ~……?」
「え、自分もまだ知らないですよ店長」
「あら、そうだったかしら?」
その後も客は来ず、二時間後には早番のジョージが帰宅した。咲良とセルミアは、あまりに暇過ぎて頭がどうにかなりそうだと意見を一致させると、暖簾の向こうの小部屋に引っ込んでゴロゴロと寝転がった。
「今日はこのままお客さん来ないのかなー……せめてレモン君とかティト君が冷やかしにでも来てくれれば……」
「買ってくれれば最高なんだけど。あの無口なリザードマンの方は望みありよ。新しく気になってる本があるみたいだしね」
「リザードマン?」咲良は小首を傾げた。
「ティトよ。あれ、聞いてない? あの子元々リザードマンなんだけど、変身能力者だから普段は人間型で生活してるのよ」
「マジですか!?」咲良は興奮して起き上がった。「わたしトカゲ大好きなんですよ! しかもリザードマン!?」
セルミアも起き上がり、
「一度だけ見た事あるわ。あの緑色の目が金色へと変化して、瞳孔が縦長に伸びて……体は更にちょっと大きくなって、肌の質感も変わって尻尾も生えて……あっという間に、人間型からトカゲ人間型よ!」
「ヤダァ~ッもうスケベ! 超見たいってばコノヤロ~ッッ!」
「スケベ……?」
「フヒヒヒッ……今度会った時が最期よティト君……絶対にわたしの前で脱い──変身してもらっちゃうからねんっ! グヘーッヘヘヘヘエッッ!」
咲良の下品な笑い声が〈シルフィーネ〉店内に響き渡っていた頃。
雨が止み〈ハルピュイア亭〉周辺の店を見て回っていたレイモンドとティトは、途中で喉が渇いたのでカフェのテラス席でザクロジュースを飲んでいた。
「──っしゅっ」
「ん? ティト、今のくしゃみか」
「ああ」
「相変わらず小さいな、お前のは。ファーヴの何十分の一だ? ていうか、風邪拗らせたか?」
「大丈夫だ。少々悪寒と邪気を感じただけだ」
「いや大丈夫じゃなくないか?」
──傘どうする? ギリ大丈夫そうか? 荷物になるのは嫌だな。うーん……。
迷いに迷った結果、レイモンドは雨具を持たずに外へと出たが、一分としないうちに判断を誤ったと思い知らされた。
──あーあ。
冷たい霧雨がしっとりと体を濡らす。
〝雨は嫌いよ。でも何故か時々、霧雨を浴びながら歩くのが楽しいと感じるのよね〟
ふと、生前の母の言葉を思い出し、レイモンドはほんの少しだけ感傷的な気分になった。
──わかる気がするよ。
自宅を出て数分歩き、十字路に差し掛かる。行き交う者たちは皆、何かしら雨具を使用している。
「ほら、風邪引いちゃうわよ」
呆れたような少し苛立ったような、それでも優しさに溢れる声の持ち主へと目をやる。左からやって来た四本腕の女性が、隣を歩く、自分の息子であろう同じく四本腕の小さな男児に傘を差し出していた。
〝風邪引くわよ、レイ。あの苦いお薬が飲みたいの?〟
「風邪引くぞ、レイ」
素っ気ないようで温かな言葉と共に、友人が右から姿を現した。
「待たせたか? ティト」
「いや、今来たところだ」
「お前こそ平気なのか」
「俺にはこれがある」
ティトは、すっぽりと頭を覆っているパーカーのフードを指で摘んだ。
「そのパーカー……もう何年着てるっけ?」
「二五年目だ」
「もういい加減、新しいの買えよな。何だったらまたおれが──」
「充分着られる。それに、とても気に入っている」
「そりゃ、プレゼントした甲斐があったよ」
「で……何があった、レイ。浮かない顔をしているのは、雨のせいだけではないだろう」
「ああ……やっぱわかるか? 流石はティト先生」レイモンドは苦笑し、小さく溜め息を吐いた。「店長がさ、店閉めるって言うんだ」
昨日、レイモンドはバイト先の薬屋の店主から、近々店を畳むと告げられた。経営難というわけではなかったが、店主は高齢であり、体調を崩しやすくなったため、田舎で隠遁生活するのだという。
「せっかくそれなりに楽しかったのによ。新しく探すの面倒臭いっての。だいたい、何でもっと早めに相談を……」
レイモンドがぶつくさと独り言のように文句を呟き続けるのを、ティトは普段の彼らしく黙って聞いていたが、〈ハルピュイア亭〉の前まで来ると静かに口を開いた。
「〈シルフィーネ〉はどうだ」
「てぇ~んちょお~う」
「何よ咲良。暇過ぎて死にそうだから何かしらのハプニングが起こりませんかねぇ~、なんて口振りじゃない」
「わ、凄い! 一言一句全て合ってる!」
「わはは、マジッスか!」
〈シルフィーネ〉は今日も暇だ。雨が降っているからという理由もあるかもしれないが、まあ基本的にはいつも暇だ。
店長のセルミアと新人バイトの咲良はレジカウンターに肘を突いたり突っ伏したりし、古株バイトの骸骨のジョージは、既婚女性同士の禁断の恋愛を描いた小説を立ち読みしつつ、黒縁眼鏡をエプロンの裾で拭いたりしていた。
「ねえ店長、どうしてこんなに暇なのに、バイト募集してたんですか? ぶっちゃけわたし必要でした?」
「忙しい時は忙しいのよ。まだあなたは知らないだけ。フフッ」
「へえ~……?」
「え、自分もまだ知らないですよ店長」
「あら、そうだったかしら?」
その後も客は来ず、二時間後には早番のジョージが帰宅した。咲良とセルミアは、あまりに暇過ぎて頭がどうにかなりそうだと意見を一致させると、暖簾の向こうの小部屋に引っ込んでゴロゴロと寝転がった。
「今日はこのままお客さん来ないのかなー……せめてレモン君とかティト君が冷やかしにでも来てくれれば……」
「買ってくれれば最高なんだけど。あの無口なリザードマンの方は望みありよ。新しく気になってる本があるみたいだしね」
「リザードマン?」咲良は小首を傾げた。
「ティトよ。あれ、聞いてない? あの子元々リザードマンなんだけど、変身能力者だから普段は人間型で生活してるのよ」
「マジですか!?」咲良は興奮して起き上がった。「わたしトカゲ大好きなんですよ! しかもリザードマン!?」
セルミアも起き上がり、
「一度だけ見た事あるわ。あの緑色の目が金色へと変化して、瞳孔が縦長に伸びて……体は更にちょっと大きくなって、肌の質感も変わって尻尾も生えて……あっという間に、人間型からトカゲ人間型よ!」
「ヤダァ~ッもうスケベ! 超見たいってばコノヤロ~ッッ!」
「スケベ……?」
「フヒヒヒッ……今度会った時が最期よティト君……絶対にわたしの前で脱い──変身してもらっちゃうからねんっ! グヘーッヘヘヘヘエッッ!」
咲良の下品な笑い声が〈シルフィーネ〉店内に響き渡っていた頃。
雨が止み〈ハルピュイア亭〉周辺の店を見て回っていたレイモンドとティトは、途中で喉が渇いたのでカフェのテラス席でザクロジュースを飲んでいた。
「──っしゅっ」
「ん? ティト、今のくしゃみか」
「ああ」
「相変わらず小さいな、お前のは。ファーヴの何十分の一だ? ていうか、風邪拗らせたか?」
「大丈夫だ。少々悪寒と邪気を感じただけだ」
「いや大丈夫じゃなくないか?」
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