【改稿版】骨の十字架

園村マリノ

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第一章

#1-6-3 お喋りカラスと双子③

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 緋雨が邪悪な気配を追ってやって来たのは、磨陣市西朝倉にしあさくらの一軒家だった。
 二階の一室の窓をすり抜けて侵入する。雑誌やら漫画やらが床の上に散在しており、壁には所狭しと様々なポスターが貼られている。奥のベッドには少女が眠っており、邪悪な気配はこの少女から発せられていたが、少女自身が元凶ではない事くらいすぐにわかった。

 ──まだ間に合うはずだ。

 緋雨は翼で少女にそっと触れ、意識を集中させた。他者の夢の中に入り込むのは何十年ぶりだろうか。元の姿に戻る時程ではないがそれなりに魔力を消費するし、意識だけが入り込むので本体は無防備になる。それに、夢の中でヘマをすれば自分も対象者も心身共に傷付けかねないので、無闇に使うべき能力ではないのだ。
 意識が遠のいてゆく。吸い込まれるような、ゆっくり回転しながら落ちるような感覚。
 気付くと緋雨は、別の部屋のベッドの上にいた。素早く周囲を見回す。間取りや家具の配置は少女の部屋とよく似ているが、床の上は綺麗に片付いており、ポスターは一枚も貼られていない。とりあえず夢の中への侵入は成功したようだ。
 緋雨は本来の姿に戻った。カラスの姿だと何かと不便で、現にこの部屋のドアから出るのには人間の手があった方が楽だ。ドアは二つある。一つは少しだけ頭を下げれば出られるサイズだが、もう一つは一メートルと五、六〇センチ程しかない。

 ──問題はいつまでこの姿を保てるか、だ。

 突然、何処からか女性の悲鳴が上がった。緋雨は大きな方のドアから外に出た。

「何だこれは……」

 外には石畳の歩道が続いていた。両端をレンガの壁に挟まれ、道幅が狭い。道なりに走って進むと、すぐに別れ道に差し掛かった。左の道を選び更に進むと、またも別れ道。どうやら迷路になっているらしい。
 緋雨は苛立ちを覚えつつも、とりあえず勘で進んだ。壁には所々、白いスプレーでピエロの顔が落書きされている。

「やはりこの気配はピエロのもので間違いないようだな……ふん、こんなもんにいちいち付き合ってられるか!」

 緋雨は行き止まりの壁を蹴り壊し、ずんずんと先へ進んだ。再び行き止まりとなっても同じように破壊し進む、それを何度も繰り返す。

 ──何処だ? ……クソッ、このままでは姿が持たぬ……!

 何度目かの壁の破壊の直後、緋雨はカラスの姿に戻ってしまった。

「ええい畜生!」

 元の姿を長時間保ち続ける、いや、完全に戻ってカラス生活とおさらばするには、もっと魔力が必要だ。ピエロを始末し、その魔力を吸収すれば不可能ではないかもしれない。那由多がピエロの化け物の噂を聞き付け、どうにかしたいと相談を持ち掛けて来た際に強く反対しなかったのは、そのためだ。

 ──!?

 突然、低く大きな音が響いた。

 ──銃声か?

 最悪の事態を覚悟しつつ、緋雨は音の出所を探した。少女が命を落とせばこの夢の世界も崩壊するはずだが、今のところは何の変化もない。しばらく道なりに進むとまたも行き止まりとなったが、今までの壁とは異なり、カラスなら通れるサイズの穴が真ん中に空いていたので、向こう側を覗いた。

 ──!

 最初に視界に入ったのは、散弾銃ショットガンらしき物を構えて立つピエロだった。

「ケケッ、強がったって無駄さ。次は外さない……楽に死にたきゃ動くなよ」

「この状況で、動くなって言われて動かない馬鹿が何処にいるのよ。次撃ったらあんたの目玉がなくなるよ!」

 ピエロの視線の先を辿ると、少女の顔をした大きな人面鳥の姿もあった。とりあえず今のところは無事らしい。随分と強気だ。姿も変えているという事は、この夢の真の支配者だという自覚があるのだろうか。

「ほら……ちょこまか動くなって」ピエロの声は苛立っていた。

「動こうが動くまいが、あんたが下手糞だから当たらないんだよ」少女は鼻で笑い、挑発するように動き回る。

「それは言えてるな」

 予期せぬ第三者の声に、ピエロは構えを乱した。緋雨は素早く穴を抜けて頭に飛び掛かり、キャップ越しに爪を立てた。大きな悲鳴が上がり、散弾銃はピエロの手から滑り落ちると煙のように消え失せた。抵抗をものともせず、しっかり爪を食い込ませたまま呪文を唱える。

「近付くな。危険だ」

 そっとこちらに来ようとしていた人面鳥は、緋雨の指示に素直に従った。
 破魔の光がピエロを足元から照らす。次の瞬間には強く光輝く炎がピエロの全身を包み、断末魔と共にあっという間に焼き尽くしてしまった。

「……何も残ってないけど、殺ったの?」

「あまり手応えがなかった」緋雨は床の上に降りた。「本体ではなかったな」

「はあ? 嘘でしょ」

 二人を嘲笑うように耳障りな笑い声が響いた。振り向くと、緋雨の数十メートル後方の柱に背を預けるピエロの姿があった。

「あいつ……!」

 ピエロは手を振ると、そのまま柱に吸い込まれるようにして姿を消した。

「逃げられた! 何だよもう!」人面鳥は地団駄を踏んだ。

「気を付けろ。まだ近くに潜んでいるかもしれん」

「もういないよ。間違いなくあいつは外に逃げた」

 人面鳥は一瞬で人間の少女の姿に戻ると、踵で床をコツコツと鳴らした。すると少女から半径二メートル程の床一面に、緋雨と少女の本体が存在する、現実世界の部屋の内部が映し出された。少女はしゃがみ、部屋の様子を窺った。

「……良かった、部屋にもいない。とりあえず亜子ちゃんは無事ね……それとあんたも」

 映像が消え少女が立ち上がると、その後方から少女がもう一人走って来た。

「真子ぉー! 無事ぃ!?」

「無傷よ」

 緋雨は少女たちを交互に見やった。頭のてっぺんからつま先まで、そして発する声までもが瓜二つだ。

「ムカデがすばしっこくてさ! あれ、そのカラスは? 真子が創り出したの?」

 後からやって来た少女の無邪気な問いに、真子と呼ばれた少女はかぶりを振った。

「外から来た」

 緋雨が答えると、後からやって来た少女は目を丸くした。

「邪悪な気配を察知したのでやって来たのだ。我が倒したと思ったのは本体ではなく分身で、本体にはその後逃げられてしまった。もっとも、全くの無傷ではないだろう」

「亜子ちゃんの本体は無事よ。それにしても、一度に二人も部外者に侵入されるなんて」真子は睨むように緋雨を見やった。「二度と誰も入って来られないように対策考えとかないと!」

「真子、カラスさんは助けてくれたんでしょ!」亜子と呼ばれた少女は慌ててたしなめた。

「どうやら我は必要なかったようだな」

「ううん、そんな事! とても助かったよ、お喋りカラスさん! ねえ真子?」

 真子は答えずそっぽを向いた。

「我はただの喋るカラスではない。緋雨という立派な名もある。氷の雨ではないぞ、緋色の雨だ」

「ま、まさか血の雨を降らせるって事!?」

「そう解釈されたのは初めてだな……。ところでお前たち、双子には間違いないようだが、ただの双子でもないな。二人分の魂が一人の体に……?」

「うん、まあそんなところ」

 亜子は何でもないという風に答えたが、真子の表情はそれ以上の詮索は許さないと物語っていた。

「あのピエロは磨陣市内の中高生を狙っているようだ。念のため今後も警戒を続けるんだな」

「え、何でそんな……」

「外の世界って物騒なのね」真子が亜子に向き直る。「まあ、夢の中なら妹のあたしが守ってあげるから安心して」

「うん、ありがとっ。あ、カラスさんも有難う。お喋り出来るなんてほんと凄いねっ」

「だからただのカラスではない。元はお前たちと同じような人間の姿で──」

「女の子だったの?」

「おっさんでしょ、どうせ」

「どうせとは何だ、どうせとは。……まあいい。とりあえず用は済んだので帰る。出口を頼む」

 真子が壁に近付いて触れると、木製の扉が浮かび上がった。

「ついでだから開けてあげる」

「それは有難い」

 扉の先は何処かの廊下──少女の家だろう──に続いており、その先は光で何も見えなくなっていた。

「じゃあね、緋雨さん!」

 笑顔で手を振る亜子と、腕を組んで仏頂面の真子に見送られ、緋雨は扉を通り抜け、光の中に消えた。


「……む……」

 ほんの数秒かそこらで、緋雨の意識は現実世界に戻っていた。少女──亜子の方か──はまだ眠っている。
 緋雨は自分の羽根を一枚抜くと、亜子の枕元にそっと置き、部屋を後にした。

 ──磨陣には、まだまだ我の知らない興味深い事象が沢山あるようだな。

 帰路に就く前に、念のためにピエロの居場所を探ってみたが、気配は全く感じられなかった。少なくとも今夜中は大人しくしているだろう。
 そしてすっかり忘れかけていた、ピエロとは別の強力な気配の持ち主。こちらももう一度探ってみようかと考えた緋雨だったが、結局やめ、真っ直ぐ帰宅した。思いの外疲れていた。
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