【改稿版】骨の十字架

園村マリノ

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第一章

#1-4-4 ヴードゥーの精霊④

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「サムディ、いる?」

 日付が変わる数分前、茶織は手にした骨の十字架に向かって呼び掛けた。一〇秒程待つも、何の反応もない。

「呼び方が悪かった? でも特定の召喚方法があるなんて聞いてないから。いるんでしょ。出て来て」

 今度は骨の十字架ではなく、部屋全体に呼び掛け、一〇秒程待った。返事はないが、微かに気配を感じられた。不貞腐れているのだろう。茶織は内心舌打ちした。

「あら、いないのかしら。残念。さっきは慌ただしかったから、改めてゆっくりお喋りしたいと思ったんだけど──」

 バロン・サムディが、部屋の角に姿を現した。まるで空間に見えない裂け目でも存在し、そこからそっと出て来たような、唐突だが少々地味な登場だった。

「離れてるじゃない。もっとこっちに来て」

 サムディがゆっくり近付いて来ると、茶織は畳に腰を下ろし、膝を崩した。

「綾兄の話を聞かせて」

「え、ワシとのお喋りは──」

「お喋りじゃない。間違った事言った? ほら早く」

 茶織は手振りで自分の前に座るよう促した。サムディは明らかに気乗りしていなかったが、睨み付けると、しぶしぶ向かい合うように腰を下ろし、胡座を掻いた。

「ワシとお喋りって……もっと、こう、お互いのあんな秘密やこんな秘密を教え合う、とかじゃないのか……」

「あんたと綾兄は、ハイチで出会ったんでしょ。綾兄があんたを召喚したって事?」キリがないので、茶織はいちいち反応するのをやめた。

「いんや、召喚よんだのは別のヤツ」

「それでどうして、ゲデのリーダーのあんたが綾兄に付いて行く事になったの? ハイチを離れて平気なわけ?」

「平気よん。え、サオリ、ワシを心配──」

「しているわけじゃなくて、純粋な疑問」

 ほんの僅かな温かみも感じられない機械的な口調に、サムディは肩を竦めた。

「誰か人間がワシを召喚しようとして、他の精霊がワシのフリして召喚者に憑依しても、基本だぁーれも気が付かない。たまにバレちゃう時もあるけど、怒られないし、むしろ皆楽しんでるね」

「緩いわね」

「ハイチの人間は陽気でノリのいいヤツが多いから、ワシ大好きよ」

 茶織は綾鷹の土産話を思い出した。彼の口振りでは、ハイチを気に入っているようだった。この緩さが合っていたのかもしれない。

「アヤタカ……アイツも陽気で愛想のいいヤツだけど、ホントは結構腹黒ちゃんだよな。笑顔の裏に上手~く隠してる」

「……は?」

「一度憑依して、アイツの内側をじっくり覗き見てやろうとしたんだけど、あっさりかわされちゃっ──ヒョエッ!」

 茶織は無意識のうちにサムディの胸倉を掴んで引き寄せていた。

「綾兄が腹黒? 適当な事言ってるんじゃないわよ。あんな聖人君子みたいな人間いないわよ、宇宙の果てまで探してもね! どこに目玉付けてんのよあんた。え?」

「サ、サオリ様落ち着いてくんろ……離してちょ……」

 茶織はサムディをたっぷり睨み付け、軽く払うように手を離すと、汚物に触れてしまったとばかりにパジャマの裾で何度も拭った。

「それ、地味に傷付くなあ……」

「あんたに綾兄の何がわかるのよ。こっちは何年の付き合いだと思ってんの?」

「んーと、三〇年くらい? 冗談ですごめんなさいこれから秘孔突きますみたいな構えを解いてください!」

 聞きたい事を全て聞き終わるまでに、果たして何度血管が切れそうになるのだろうか。そんな茶織の心境を知ってか知らずか、サムディはゆっくり肩を揺らしてリズムを取りながら、次の質問を待っている。

「……あんたさっき、霊力だの魔力だのって言ったわね。綾兄にもそんな力が?」

「あるよ、あるある。それも相当なもんだ」

「わたしにもあるとも言ったわよね。あんたの姿も見えるし、会話も出来る。よくわからないけど、本当に珍しい事なの? 探せば意外と多いんじゃないの?」

「そうかねえ。まあ、ワシは人間界ではハイチしか行った事なかったし、そうなのかもねえ。何にせよサオリは、アヤタカと血が繋がってんだから不思議じゃない。ワシ程じゃないけど、アヤタカは魔法も使えるんだし、サオリだって──」

「ちょっと待って」茶織は手で制した。「魔法?」

「そ、魔法。しかも攻撃魔法。これはもっと珍しい事だね。魔力や霊力が高くても、そこまで出来る人間って滅多にいない。というか、ワシが初めて見たのはアヤタカだったかな。『若い頃から沢山練習してきたんだ』ってさ」

 予想だにしなかった方向へと話が進んでゆき、茶織はすっかり困惑していた。サムディが冗談を言ってからかっているのであれば蹴飛ばしてやらなければ気が済まないが、不思議と全く信じられないわけでもなかった。

「おーい、大丈夫?」

 無遠慮に頬を突っつく白手袋の指は、へし折ってやろうかと茶織が掴む前に引っ込められた。

「気安く触らないで」

「ほーい……」

「やっぱりからかってんの?」

「ワシは事実しか申し上げておりませーん」

 ──イラつく。

 茶織は叫び出したい衝動を何とか自制し、何も考えないようにしながらゆっくり深呼吸した。交流といえばすれ違った際の挨拶程度だが、アパートの大家や他の住人たちとの関係は悪くはない。しかし、深夜のたった一回の発狂で崩壊してしまう可能性は充分にあるのだ。

 ──まさか、綾兄がサムディこいつをわたしに預けた本当の理由って……

「ただの厄介払い!?」

「へ? 何が?」

「何でもない。こっちの話よ。はい次。あんたと綾兄が出会った経緯は? 元々呼び出したのは別人なんでしょ」

「そ。ワシを召喚よんだのはハイチ人の男。ジャンなんちゃらかんちゃら、とか名乗ってたかな。そいつは、ハイチで一、二を争う魔力を持つ魔術師を自称していた。まあ実際、ワシを憑依させずにそのまま召喚したんだから、少なくともド素人ではないわな。
 で、ジャンなんちゃらはこう言った──『私と共にハイチはおろか、世界中を支配しないか』と。ヤツ曰く、愚かで身勝手な人類には、あのデュバリエのような支配者が必要で、自分が第二のデュバリエとして世界を治めたいんだと。……サオリ、退屈過ぎて死にそうって顔してるけど、アヤタカが出て来ないから?」

「よくわかったわね」

「まあまあ、ここからだから。……で、ジャンなんちゃらがアホみたいな絵空事を語っていたところに、サオリたんお待ちかね、アヤタカの登場だ。アヤタカはワシらの前に遠慮なく割って入ったかと思うと、いきなりワシが欲しいと言い出した。何と大胆な告白! いやホントよん……指ポキポキ鳴らさないで……。
 ワシには妻のブリちゃんがいるし、野郎には興味がない、さあ困ったもんだ。それに最初にワシを召喚よんだのはジャンなんちゃらの方だし。当然ながらヤツはキレて、『今すぐこの場から失せないとタダじゃ済まさないぞ、黄色い猿』とアヤタカを脅した。……ワシが言ったんじゃないからね?」

 茶織は、いつかそのジャンなんちゃらに遭遇する事があれば、その時は必ずこの手で地獄に送ってやると決めた。

「しかし、アヤタカは怯まなかったし、退かなかった。それどころかアイツ、こう反論した──『そっちこそ、バロン・サムディは諦めて失せな。さもなくば今ここで、二度とお喋りも散歩も出来ないようにしてやる。好きな方を選べ、クソ三流魔術師が』……ってね。あ、クソじゃなくてゲスだったかな──」

「綾兄がそんな汚い言葉使いするわけない! やっぱりあんた、作り話してんじゃないの!?」

「だから事実だよう!」サムディは胡座を掻いたまま宙を移動し、今にも飛び掛からんばかりの茶織から距離を取った。

「だいたい、デュバリエ? って誰よ」

「え、サオリ、あの独裁者を知らないの?」

 茶織は仏頂面で頷いた。

「ハイチを暴力と絶望で支配して、長い間国民を苦しめた人間の男。泣く泣く他国に亡命せざるを得なくなった人間が多くいたけど、それはまだマシだね。死に追いやられた人間も沢山いた」サムディの声は低かった。「おまけに、野郎はワシの姿を真似ていた。そのせいでワシやヴードゥーそのものを、邪神や邪教と勘違いする人間が増えちまった」

 茶織もヴードゥーをほとんど知らず、怪しげなイメージを持っているだけだった。ホラー映画では邪教扱いだし、ゾンビだってもはや完全に別物だ。
 サムディは無表情で、真っ黒いサングラスの奥は相変わらず見えなかったが、茶織は察した──この精霊ゲデのリーダー格は、デュバリエの件にかなり腹を立てている。

「で、話を戻すけど」

 何事もなかったかのように続けるサムディの様子に、茶織の肩からゆっくりと力が抜けた。無意識のうちに強張らせていたのだと気付かされ、内心驚く。

「ワシはデュバリエなんて嫌いだし、人間の支配だとかも興味ないから、ジャンなんちゃらの話には全然乗り気じゃなかった。それに、アヤタカの方が面白そうなヤツだと感じたから、ジャンなんちゃらに別れを告げた。しかしヤツが素直に、はいそうですかと納得するワケもなく──」

 怒り狂い、襲い掛かってきたジャンなんちゃらを、サムディワシとアヤタカの即席イケメンペアペアールは見事な連携で、華麗にドラマチックに、そしてスタイリッシュに叩きのめした。映画フィルムを一本撮れてしまえそうな程に壮絶だったその戦いっぷりを、もっと詳しく聞かせてあげたいのは山々だが、そうすると夜が更けてしまうだろうからまた別の機会に。
 砂塵舞う蒸し暑いハイチの大地で戦うその勇姿は、間違いなく観る者全てを魅了し、脳裏に焼き付いて離れられなくさせただろう。しかし残念な事に、その場に観客はいなかった。
 ジャンなんちゃらを追い払った後、アヤタカに、一緒に日本ジャポンに来ないかと誘われた。どんな所かと聞けば、他国の様々な文化や宗教をごちゃ混ぜにして楽しめる、飯も酒も美味い国だというではないか──と、サムディは熱く語った。

「だからワシは即答したね、『憑いていく』と」

「……どうして綾兄はあんたを必要としたの」

 そして、どうして茶織わたしではなかったのか。そんな茶織の気持ちを知ってか知らずか、サムディは得意げに、

「ワシの力が色々と頼りになりそうだって。良ければ仕事も手伝ってほしい、ってさ。わかってるよね! ヒョヒョヒョ」

 茶織はハッと顔を上げた。「そう、それよそれ。綾兄の仕事って何なの」

「祓い屋みたいなもんだとかって──」

「祓い屋!?」

 サムディはコクコクと頷いた。「仕事用の偽名もあるらしいよん。確かハジメ、だったっけかな。本名を名乗るのはあまり賢明ではないとかって」

「偽名……」

「でね、日本に着いたらまた召喚するからって言われたから引っ込んだんだけど、その後全然音沙汰なかったから、ぺトロ王国でのんびりゴロゴロ待機してた。んで、ようやく召喚ばれた気がしたと思ったら、アヤタカに似た、ちょっと気の強そうな顔の──いや何でもない。……ってサオリ、聞いてる?」

 ──本当に……ちっとも知らなかった。

 突飛な内容ばかりではあったが、今の茶織にはもう、サムディが作り話で自分をからかっているとは微塵も考えられなかった。

「他に聞きたい事は?」サムディは再び茶織の前に腰を下ろした。

「綾兄が次に向かった場所に心当たりは? まあ多分、一旦は日本に戻って来たんだろうけど」

 日本に、茶織わたしの元に。それでも祓い屋の叔父は、そんな重要な事実を秘密にし続けていたのだ。

「ない。……睨むなって。仕方ないでしょっ」

 茶織の爪が畳に食い込む。「……本当にもう……」

「んっ?」

「覚えてなさいよ……次会ったらどうしてやろうか……泣いて許しを請おうったって許さないわよ、綾鷹ぁ……!」

「ヒョエッ……サ、サオリ、あんまり怖い顔ばっかりだと、小皺が増えるよ」

「やかましい!」

失礼致しましたパルドン!」

 今ここで、このお喋りで気色悪い男をサンドバッグにすれば、多少の鬱憤は晴れるだろう。しかしそれはそれで大人げないし、そもそも茶織にそんな気力はもう残っていなかった。

「もういい。疲れた。寝るから引っ込んで」

「およっ、さっきまで眠ってたのに?」

「誰のせいで疲れたと思ってるの」

「え、あの道化師クラウンでしょ?」

 溜め息すら出なかった。茶織は無言で立ち上がり、手で払うような仕草をした。

「もしあのピエロがまた現れたら呼ぶから。こちらから呼ばない限りは、絶っっ対に、勝手に出て来るんじゃないわよ。いいわね」

「ほーい……んじゃ、おやすみボンニュイ

 サムディは空気に溶け込むように姿を消した。茶織はしばらくの間警戒し、その場を動かずにいた。突然勝手に現れ何かしようものなら、サンドバッグじゃ済まさないつもりだった。
 やがて、少しずつではあるが睡魔が顔を覗かせるようになったので、素直に従う事にした。


 茶織は綾鷹と二人、C県の大型テーマパークへと遊びに来ていた。中学校の卒業遠足で初めて訪れた以来だ。

「楽しかったな、今の幽霊マンション。ヴードゥーのゾンビや精霊たちまで出て来るとは思わなかったよ」

「コンセプトが滅茶苦茶だったわ。あんなアトラクションだったっけ?」

「次は何乗る?」

 綾鷹の子供のような無邪気な笑顔に、茶織の口元も自然と綻ぶ。「何だっていいよ。綾兄に任せる」

「あ、観覧車が空いてるよ。行こう」

 綾鷹と並んで歩きながら、茶織はこの上ない幸せを噛み締めていた。端から見れば、自分たちは恋人同士なのかもしれないし、そう勘違いされるのも、まあ悪くはない。
 観覧車には、すぐに乗る事が出来た。綾鷹の隣に座ろうとしたが、考え直して対面に移動した。どうせなら真正面から、そこら辺の男たちが霞む程に男前な顔立ちをじっくり眺めたい。外の景色なんてどうでも良かった。
 腰を下ろした直後、茶織は硬直した。
 実年齢よりも若く見え、男らしさと可愛らしさを兼ね揃えた、俳優やアイドルも足元に及ばない、宇宙一美しい叔父の顔。それが今は、まるで老人のように皺だらけで、蝋のように真っ白だ。色素のやや薄い濁りなき瞳は、サングラスで隠されてしまっている。

やあサリュ!」

 山高帽に燕尾服という少々場違いな服装。

「夢の中も現実世界も、今のところ異状なーし!」

 やや高めの声は軽い調子で、このままずっと聴いていると苛立ちそうだ。

「いやあ、それにしてもサオリって、改めてこうやってよく見ると、やっぱりアヤタカに似てるねえ! そうやって眉間に皺を寄せた難しい表情しても……ん、どうしたサオリ、体プルプルさせちゃって。寒いの? あれ、その握り締めた手は──」

 茶織の拳が、バロン・サムディの顔面に勢い良くめり込んだ。
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