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第一章
#1-1-2 茶織②
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綾鷹は約束を守り、次の年の冬に会いに来た。そしてそれ以降も、一年に最低でも一度は帰国し、数日間の滞在中に遊園地や映画館、大型ショッピングモールやゲームセンターなどに連れて行ってくれた。初めて出会った時のように公園で過ごす事もあった。
「茶織、今日もお父さんとお母さんは仕事?」
「わかんない……多分そう」
茶織の両親は相変わらず、一人娘にろくな関心を示さず、ベビーシッターや使用人たちに世話を任せきりだったが、早い段階から両親の愛情を諦めていた茶織にとっては好都合だった。友達と遊ぶ、図書館で勉強するなどと適当な理由を口にすれば、仮の保護者たちは疑わずに家を送り出してくれたし、何の詮索もしてこなかったので、かえって綾鷹に会いやすかったのだ。
高校卒業後、茶織は道脇一族とは無関係の中小企業に就職した。K県磨陣市内の営業所に配属されたため、都内郊外の実家を出て、磨陣市雷徒町に引っ越し、アパートで一人暮らしを始めた。
給料や福利厚生、人間関係は悪くなかった。ところが、茶織の入社直後辺りから、会社が相次いでトラブルやアクシデントに見舞われるようになり、驚く程あっという間に経営が傾いていった。本社開発部による社運を賭けた一大プロジェクトでの大損失、経営陣の対立、長年の取引相手との決裂など、大小様々、挙げていたらキリがなかった。
中でも茶織の印象に残っているのは、社長の息子の一人が会社の資金の一部を持ち出し、愛人と逃亡した事件だ。しかもその愛人とは茶織の同期で、とてもそんな事をしでかすようには見えなかったので、これには流石に驚いた。
その結果、翌年の七月一八日──つい三箇月前だ──会社はとうとう倒産してしまった。こんなにも簡単に駄目になってしまうものなのか、と茶織は他人事のように考えた。
その後の茶織は、求職中とは名ばかりでまともに就職活動をせず、貯金と失業手当てでやりくりしながら何の代わり映えもない日々を過ごしていた。唯一の楽しみといえば、最愛の叔父との再会だ。一箇月前、ようやく帰国を告げるポストカードが届き、三日後の九月二一日に、約一年振りの再開を果たした。
茶織が実家を出てからは、綾鷹は帰国してもホテルには宿泊せず、茶織の自宅で寝泊まりするようになっていた。それは今回も同じだったが、唯一違う点は、従来なら数日から一週間程で日本を去っていたのだが、今回はまだ仕事が入っていないという理由で、滞在期間が少々長いという事だった。
新しい仕事が入ったと綾鷹に告げられたのは、一〇月八日の昼頃だった。茶織の気持ちは沈んだ。仕事なんて辞めてずっと一緒にいてほしい、せめて日本国内で働いてほしい──それが本音だったが、困らせたくはなかったので、今まで通り、表面上は素直に聞き入れた。
一〇月一五日、綾鷹の出発の日。フライトは夜遅くのため、自宅で一緒に夕食を取り、その後くつろぐだけの時間があった。
「ねえ綾兄、もう何十回も聞いてるけど、また聞くよ」
物置から綾鷹用に格上げされた四畳半の部屋で、胡座を掻きながら男性用ファッション雑誌に目を通している叔父に、茶織は駄目元で尋ねた。
「綾兄の仕事って一体何なの?」
初めて尋ねたのは葬儀から二回目の再会の日だったと茶織は記憶しているが、その時もそれ以降も、いくら頼んでも大雑把な答えしか得られずに今日に至っている。
「あれ、もう何十回も答えているけれど、忘れちゃったのかな。俺の仕事は〝人助け〟だって」
案の定、今回も大雑把で少々意地の悪い回答だった。
「もう、何で? そんなにわたしが信用出来ない? これも何十回も言ってるけど」
「それにも何十回も答えているけれど、そうじゃないんだよ。いずれちゃんと話すから……って言うと、いずれっていつなのよって怒られちゃうんだよな」
笑う綾鷹に茶織は、綾鷹以外の人間の前では絶対に見せる事のない、子供のような膨れっ面をしてみせた。
数十分後、身支度を整えていた綾鷹は、自分のリュックサックの中からある物を取り出した。
「綾兄、それ……十字架?」
「ああ、骨で出来た十字架。動物の骨らしいんだけれど、何の骨かは俺も知らない。この間まで滞在していたハイチで手に入れたんだ。ヴードゥーのアイテムだよ」
「ヴードゥー……」茶織はゆっくり小首を傾げた。「怪しい宗教や呪いというイメージが強いわ。確かゾンビも元々はヴードゥーよね。本来は人を食べたり、感染させたりはしないんだっけ」
「そう、よく知ってるね。でもイメージに関しては、誤解なんだな。多くの人間が茶織と同じように答える──邪教、呪術、黒魔術、死神……って。まあ確かにそういう面もあるけれど、実際はもっと陽気な感じだし、極端に恐ろしいものではないんだよ」
「へえ……」
綾鷹がそう言うのなら間違いはないのだろうと、茶織はすんなり信用した。
「ハイチって国はね、様々な問題を抱えているし、ヴードゥーと同じでネガティブなイメージを持たれやすいけれど、俺が出会ったハイチの人々は、それでも前向きでタフで、明るく気のいい人たちばかりだったよ」
いつか連れて行ってよ。私も一緒にあちこち旅して回りたい──それくらいのわがまま言ったって許されるだろう。茶織はそう考え、実際に口にするつもりだったのだが、直後に綾鷹の話が全く予想外の展開を迎えたため、言わずじまいとなる。
「で、この骨の十字架は、ヴードゥーの精霊ゲデのリーダー、バロン・サムディを象徴するアイテムの一つなんだけれど、ただの十字架じゃないんだ」
綾鷹は得意げにそう言ったものの、ふと神妙な面持ちになり、骨の十字架を茶織の手に握らせた。
「茶織、これを持っているんだ。何か困った事件が起こって、万が一それに巻き込まれてしまったら……その身に危険が迫ったら、その時はサムディを呼び出すんだ」
「……え?」
「格好良く言うなら〝召喚〟だね。サムディは変な奴だけれど何だかんだで頼りになる。ああ、酒と煙草が大好きだから、ちょっと金が掛かるかもしれな──」
「ちょちょちょっ、ちょっと綾兄!」茶織は思わず大声で制止した。「ねえ、一体何の話? よくわかんないよ」
「今言った通りさ……睨まないでくれよ、いや本当にもう、今言った通りなんだ……っと、もうそろそろ行かないと」
困惑する茶織をよそに、綾鷹は身支度を整え終えると部屋を出た。
「あ、あのね綾兄」
玄関まで来ると、茶織は綾鷹のパーカーの裾を掴んで引き止めた。グレー一色のシンプルなこのパーカーは、茶織が高校一年生の夏にアルバイトで得た人生初の給料でプレゼントした物で、今ではだいぶ使用感がある。
「今ので理解出来る人間って、まずいないと思うの。バロン・サムディを召喚? その前に困った事件て何なの」
「ああ……ちゃんと詳しく説明するべきなんだろうけれど、それだと時間が掛かる」
「時間ならあったじゃない」
「あー……うん、まあ、そう言われればそうかもしれない……ね」
茶織が綾鷹に本気で怒りを覚えたのは、これが初めてだった。裾を掴む手に自然と力が入る。
「いずれ話す。絶対に。だから今は一旦納得してくれ……な?」
綾鷹の表情と口調は穏やかだったが、有無を言わせぬ迫力があった。納得出来るわけがなかったが、茶織は仕方なく手を離した。
「ごめんな」
茶織は返事をせず、目を伏せた。気まずい空気が漂う。
「色々とお世話様」やがて綾鷹が静かに口を開いた。「次また帰国する前にも、ポストカードを送るよ」
外に出た綾鷹は、すぐにはドアを閉めなかった。
「……早く行きなよ」茶織は目を伏せたまま冷たく言い放った。
「元気でな」
静かにドアが閉まる。階段を下りる足音が徐々に遠ざかってゆく。
茶織はドアにもたれ掛かり、大きく溜め息を吐いた。
──絶対に追わない。追わないから。
手にした骨の十字架をぼんやりと見つめる。
──追わない。追わないったら追わない、絶対に!
十数秒後、茶織は骨の十字架を手にしたまま、自宅を飛び出していた。最寄り駅まで一〇分足らずの一本道では会えず、駅に着くと許可を取って構内に入り、一面二線のプラットホームをくまなく探したものの、綾鷹の姿は見当たらなかった。
既に電車で去った後なのだろうか。しかしいくら何でも早過ぎる。タクシーに乗った? K県内に空港はなく、東京かC県の大型空港を利用するはずだが、ここからは距離があり運賃が相当高額になるので、可能性は低そうだ。
──誰かが車で迎えに来た……?
仕方なく諦めて自宅に戻った茶織は、自室のノートパソコンの横に骨の十字架を置くと、倒れ込むように畳の上に横たわった。充電中のスマートフォンが目に入る。
──そういえばわたし、綾兄の連絡先、知らないんだよな。
中学一年生の晩夏に綾鷹と再会した際、電話番号とメールアドレスを教え、サプライズも嬉しいけれど、今後は帰国が決まったら連絡を入れてほしいと伝えた。ところが綾鷹は、やり取りが道脇一族に発覚してしまう恐れがあるとして、一度も連絡を寄越す事はなかったし、彼自身の連絡先も教えてはくれなかった。もやもやするが、確かに言われた通りだと思い、茶織はとりあえず納得した。
今年の六月に二〇歳になり、茶織の父名義だったスマートフォンを即解約、自分名義で新規契約し、先日の綾鷹帰国当日に早速新たな連絡先を教えたものの、またも綾鷹の連絡先は教えてもらえなかった。プライベート用の携帯電話はつい最近壊れてしまいそのまま、仕事用の連絡先は、あくまでも仕事用なので教えられない、という理由だった。
──もしかして……避けられてる?
怒りが沸々と湧いてきた。可愛くてか弱い姪が、困った事件とやらに巻き込まれるかもしれないと懸念しておきながらも仕事とやらを優先し、変な十字架を置いて海外に旅立った。その仕事とやらの内容は明かさないし、連絡先も教えない。不可解な点が多過ぎる。
もっとも、今の今までろくに疑問を抱かなかった自分も自分だ。どうしても綾鷹の前だと判断力が鈍ってしまう。
──よくよく考えてみたら、連絡先どころか、綾兄自身の事をろくに知らないじゃない。
怒りが徐々に鎮まると、今度は大きな喪失感にさいなまれた。茶織は横たわったまま、人知れず涙した。
今では綾鷹がいない寂しさよりも、怒りが圧倒的に勝っている。頭が重いのも、胸の奥がモヤモヤしてスッキリしないのも、些細な事で苛立ってしまうのも、ついやけ食いしてしまったり就職活動する気が余計に起こらなくなってしまっているも、全部意地悪な叔父のせいだ。
「次の再会が楽しみね」
道脇茶織は、いつまでも落ち込んでいたり、くよくよ悩み続けるような人間ではなかった。
「今度再会した時こそ、絶対に全部喋ってもらうから。覚悟しておきなさいよ、道脇綾鷹!」
茶織は骨の十字架をへし折らんばかりに強く握り締め、鬼気迫る表情で宣言した。
「茶織、今日もお父さんとお母さんは仕事?」
「わかんない……多分そう」
茶織の両親は相変わらず、一人娘にろくな関心を示さず、ベビーシッターや使用人たちに世話を任せきりだったが、早い段階から両親の愛情を諦めていた茶織にとっては好都合だった。友達と遊ぶ、図書館で勉強するなどと適当な理由を口にすれば、仮の保護者たちは疑わずに家を送り出してくれたし、何の詮索もしてこなかったので、かえって綾鷹に会いやすかったのだ。
高校卒業後、茶織は道脇一族とは無関係の中小企業に就職した。K県磨陣市内の営業所に配属されたため、都内郊外の実家を出て、磨陣市雷徒町に引っ越し、アパートで一人暮らしを始めた。
給料や福利厚生、人間関係は悪くなかった。ところが、茶織の入社直後辺りから、会社が相次いでトラブルやアクシデントに見舞われるようになり、驚く程あっという間に経営が傾いていった。本社開発部による社運を賭けた一大プロジェクトでの大損失、経営陣の対立、長年の取引相手との決裂など、大小様々、挙げていたらキリがなかった。
中でも茶織の印象に残っているのは、社長の息子の一人が会社の資金の一部を持ち出し、愛人と逃亡した事件だ。しかもその愛人とは茶織の同期で、とてもそんな事をしでかすようには見えなかったので、これには流石に驚いた。
その結果、翌年の七月一八日──つい三箇月前だ──会社はとうとう倒産してしまった。こんなにも簡単に駄目になってしまうものなのか、と茶織は他人事のように考えた。
その後の茶織は、求職中とは名ばかりでまともに就職活動をせず、貯金と失業手当てでやりくりしながら何の代わり映えもない日々を過ごしていた。唯一の楽しみといえば、最愛の叔父との再会だ。一箇月前、ようやく帰国を告げるポストカードが届き、三日後の九月二一日に、約一年振りの再開を果たした。
茶織が実家を出てからは、綾鷹は帰国してもホテルには宿泊せず、茶織の自宅で寝泊まりするようになっていた。それは今回も同じだったが、唯一違う点は、従来なら数日から一週間程で日本を去っていたのだが、今回はまだ仕事が入っていないという理由で、滞在期間が少々長いという事だった。
新しい仕事が入ったと綾鷹に告げられたのは、一〇月八日の昼頃だった。茶織の気持ちは沈んだ。仕事なんて辞めてずっと一緒にいてほしい、せめて日本国内で働いてほしい──それが本音だったが、困らせたくはなかったので、今まで通り、表面上は素直に聞き入れた。
一〇月一五日、綾鷹の出発の日。フライトは夜遅くのため、自宅で一緒に夕食を取り、その後くつろぐだけの時間があった。
「ねえ綾兄、もう何十回も聞いてるけど、また聞くよ」
物置から綾鷹用に格上げされた四畳半の部屋で、胡座を掻きながら男性用ファッション雑誌に目を通している叔父に、茶織は駄目元で尋ねた。
「綾兄の仕事って一体何なの?」
初めて尋ねたのは葬儀から二回目の再会の日だったと茶織は記憶しているが、その時もそれ以降も、いくら頼んでも大雑把な答えしか得られずに今日に至っている。
「あれ、もう何十回も答えているけれど、忘れちゃったのかな。俺の仕事は〝人助け〟だって」
案の定、今回も大雑把で少々意地の悪い回答だった。
「もう、何で? そんなにわたしが信用出来ない? これも何十回も言ってるけど」
「それにも何十回も答えているけれど、そうじゃないんだよ。いずれちゃんと話すから……って言うと、いずれっていつなのよって怒られちゃうんだよな」
笑う綾鷹に茶織は、綾鷹以外の人間の前では絶対に見せる事のない、子供のような膨れっ面をしてみせた。
数十分後、身支度を整えていた綾鷹は、自分のリュックサックの中からある物を取り出した。
「綾兄、それ……十字架?」
「ああ、骨で出来た十字架。動物の骨らしいんだけれど、何の骨かは俺も知らない。この間まで滞在していたハイチで手に入れたんだ。ヴードゥーのアイテムだよ」
「ヴードゥー……」茶織はゆっくり小首を傾げた。「怪しい宗教や呪いというイメージが強いわ。確かゾンビも元々はヴードゥーよね。本来は人を食べたり、感染させたりはしないんだっけ」
「そう、よく知ってるね。でもイメージに関しては、誤解なんだな。多くの人間が茶織と同じように答える──邪教、呪術、黒魔術、死神……って。まあ確かにそういう面もあるけれど、実際はもっと陽気な感じだし、極端に恐ろしいものではないんだよ」
「へえ……」
綾鷹がそう言うのなら間違いはないのだろうと、茶織はすんなり信用した。
「ハイチって国はね、様々な問題を抱えているし、ヴードゥーと同じでネガティブなイメージを持たれやすいけれど、俺が出会ったハイチの人々は、それでも前向きでタフで、明るく気のいい人たちばかりだったよ」
いつか連れて行ってよ。私も一緒にあちこち旅して回りたい──それくらいのわがまま言ったって許されるだろう。茶織はそう考え、実際に口にするつもりだったのだが、直後に綾鷹の話が全く予想外の展開を迎えたため、言わずじまいとなる。
「で、この骨の十字架は、ヴードゥーの精霊ゲデのリーダー、バロン・サムディを象徴するアイテムの一つなんだけれど、ただの十字架じゃないんだ」
綾鷹は得意げにそう言ったものの、ふと神妙な面持ちになり、骨の十字架を茶織の手に握らせた。
「茶織、これを持っているんだ。何か困った事件が起こって、万が一それに巻き込まれてしまったら……その身に危険が迫ったら、その時はサムディを呼び出すんだ」
「……え?」
「格好良く言うなら〝召喚〟だね。サムディは変な奴だけれど何だかんだで頼りになる。ああ、酒と煙草が大好きだから、ちょっと金が掛かるかもしれな──」
「ちょちょちょっ、ちょっと綾兄!」茶織は思わず大声で制止した。「ねえ、一体何の話? よくわかんないよ」
「今言った通りさ……睨まないでくれよ、いや本当にもう、今言った通りなんだ……っと、もうそろそろ行かないと」
困惑する茶織をよそに、綾鷹は身支度を整え終えると部屋を出た。
「あ、あのね綾兄」
玄関まで来ると、茶織は綾鷹のパーカーの裾を掴んで引き止めた。グレー一色のシンプルなこのパーカーは、茶織が高校一年生の夏にアルバイトで得た人生初の給料でプレゼントした物で、今ではだいぶ使用感がある。
「今ので理解出来る人間って、まずいないと思うの。バロン・サムディを召喚? その前に困った事件て何なの」
「ああ……ちゃんと詳しく説明するべきなんだろうけれど、それだと時間が掛かる」
「時間ならあったじゃない」
「あー……うん、まあ、そう言われればそうかもしれない……ね」
茶織が綾鷹に本気で怒りを覚えたのは、これが初めてだった。裾を掴む手に自然と力が入る。
「いずれ話す。絶対に。だから今は一旦納得してくれ……な?」
綾鷹の表情と口調は穏やかだったが、有無を言わせぬ迫力があった。納得出来るわけがなかったが、茶織は仕方なく手を離した。
「ごめんな」
茶織は返事をせず、目を伏せた。気まずい空気が漂う。
「色々とお世話様」やがて綾鷹が静かに口を開いた。「次また帰国する前にも、ポストカードを送るよ」
外に出た綾鷹は、すぐにはドアを閉めなかった。
「……早く行きなよ」茶織は目を伏せたまま冷たく言い放った。
「元気でな」
静かにドアが閉まる。階段を下りる足音が徐々に遠ざかってゆく。
茶織はドアにもたれ掛かり、大きく溜め息を吐いた。
──絶対に追わない。追わないから。
手にした骨の十字架をぼんやりと見つめる。
──追わない。追わないったら追わない、絶対に!
十数秒後、茶織は骨の十字架を手にしたまま、自宅を飛び出していた。最寄り駅まで一〇分足らずの一本道では会えず、駅に着くと許可を取って構内に入り、一面二線のプラットホームをくまなく探したものの、綾鷹の姿は見当たらなかった。
既に電車で去った後なのだろうか。しかしいくら何でも早過ぎる。タクシーに乗った? K県内に空港はなく、東京かC県の大型空港を利用するはずだが、ここからは距離があり運賃が相当高額になるので、可能性は低そうだ。
──誰かが車で迎えに来た……?
仕方なく諦めて自宅に戻った茶織は、自室のノートパソコンの横に骨の十字架を置くと、倒れ込むように畳の上に横たわった。充電中のスマートフォンが目に入る。
──そういえばわたし、綾兄の連絡先、知らないんだよな。
中学一年生の晩夏に綾鷹と再会した際、電話番号とメールアドレスを教え、サプライズも嬉しいけれど、今後は帰国が決まったら連絡を入れてほしいと伝えた。ところが綾鷹は、やり取りが道脇一族に発覚してしまう恐れがあるとして、一度も連絡を寄越す事はなかったし、彼自身の連絡先も教えてはくれなかった。もやもやするが、確かに言われた通りだと思い、茶織はとりあえず納得した。
今年の六月に二〇歳になり、茶織の父名義だったスマートフォンを即解約、自分名義で新規契約し、先日の綾鷹帰国当日に早速新たな連絡先を教えたものの、またも綾鷹の連絡先は教えてもらえなかった。プライベート用の携帯電話はつい最近壊れてしまいそのまま、仕事用の連絡先は、あくまでも仕事用なので教えられない、という理由だった。
──もしかして……避けられてる?
怒りが沸々と湧いてきた。可愛くてか弱い姪が、困った事件とやらに巻き込まれるかもしれないと懸念しておきながらも仕事とやらを優先し、変な十字架を置いて海外に旅立った。その仕事とやらの内容は明かさないし、連絡先も教えない。不可解な点が多過ぎる。
もっとも、今の今までろくに疑問を抱かなかった自分も自分だ。どうしても綾鷹の前だと判断力が鈍ってしまう。
──よくよく考えてみたら、連絡先どころか、綾兄自身の事をろくに知らないじゃない。
怒りが徐々に鎮まると、今度は大きな喪失感にさいなまれた。茶織は横たわったまま、人知れず涙した。
今では綾鷹がいない寂しさよりも、怒りが圧倒的に勝っている。頭が重いのも、胸の奥がモヤモヤしてスッキリしないのも、些細な事で苛立ってしまうのも、ついやけ食いしてしまったり就職活動する気が余計に起こらなくなってしまっているも、全部意地悪な叔父のせいだ。
「次の再会が楽しみね」
道脇茶織は、いつまでも落ち込んでいたり、くよくよ悩み続けるような人間ではなかった。
「今度再会した時こそ、絶対に全部喋ってもらうから。覚悟しておきなさいよ、道脇綾鷹!」
茶織は骨の十字架をへし折らんばかりに強く握り締め、鬼気迫る表情で宣言した。
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