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太陽
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「ねえ見て、馬がいるよ、馬!」
「あ、あの雲! 何かチュパカブラみたいな形してない?」
「小腹空いた! ソフトクリーム食べようよ!」
恋人と観光牧場にやって来た。
到着早々、まるで子供みたいに無邪気にはしゃぐ彼を見て、来て良かったなあとわたしは思った。
「ねえ、後で羊のイベントがあるらしいよ。観に行こうよ」
「お、牛がいっぱい。何頭いるか数えてみよっかな」
「あ、お土産どうする? 最後でいいかな。何か美味しそうなお菓子が欲しいんだよねー……」
彼はわたしの命の恩人でもある。
つい最近までのわたしは、まるで生ける屍状態だった。
その元凶は、わたしが今年やっと退職した会社にあった。
大嘘ばかりの求人広告に釣られ、最初の会社から転職したわたしは、初日から酷い働き方を強要された。仕事内容に見合わない安い手取り、言い掛かりに近い上司の激しい叱責、足を引っ張ろうとする同期の嫌がらせに、身勝手な顧客の暴走とその尻拭い。
心身共に疲れ果て、最悪の選択を取ろうと考えていたわたしの異変にいち早く気付き、救ってくれたのが、転職の少し前に婚活パーティーで出会い、付き合い始めてからまだ日の浅かった彼だったのだ。
「あれ、疲れてる?」
彼が心配そうに顔を覗き込んで来た。
「ううん、そんな事ないよ!」
「そう? ならいいんだけど。あっちこっち動き回っちゃったから、少し休もうか」
「大丈夫だよ。他にも見て回りたい所があるんでしょ」
「無理しない、無理しない」
彼に腕を引かれ、屋内の休憩スペースへ。向かい合って腰を下ろすと、彼はわたしをじっと見つめた。
「な……何?」
「辛かった時の事、思い出してた?」
「……うん、まあちょっとね。ごめん」
「何で謝るの。思い出すななんて言わないし、辛くなったら辛くなったって言っていいんだから」
彼はそう言うと、わたしが大好きな、心がとっても暖かくなる素敵な表情で笑いかけてくれた。
「あなたは太陽みたいね」
「え、僕が? それは君だよ」
「え、わたしが?」
それは絶対にないよと、わたしは苦笑した。現に割と最近まで、太陽どころか光を通さないブラックホール、あるいは底なし沼状態だったのだし、子供の頃だってそんなに……。
いや、そういえば小学生くらいまでは、それなりに明るかったし、行動的だったっけ。意地悪な奴がいたら我慢出来ずにぶっ叩いたり、蹴飛ばしたりもしていたな……。
しかしそれは遠い遠い昔、世の中に溢れる嫌なものを、まだあまり知らなかった頃の話だ。
僕はとても暗い子供だった。
自分の子供の気持ちがいまいち理解出来ない、冷徹さを愛情と勘違いした両親の影響なのか、それは自分でもわからない。
とにかくよくいじめられたり、騙されたり、いいように利用された。年齢が二桁にもならないうちから、自らの死について考えるようになっていたっけ。
一一歳の春、父が女を作って家を出て行ってしまった。母は母で僕を自分の両親、つまり僕の祖父母の家に預けっぱなし。
僕は転校する事になった。
最初の一箇月弱は、何とか上手くやっていた。ところが何処からか僕の家庭の噂が広まり、僕は一部のクラスメートから執拗ないじめを受ける羽目になってしまった。
ああ、またこれだ。僕は何処に行っても、何をしていても、こういう仕打ちを受ける。お母さんはどうして僕を産んだんだ。僕の事が嫌いなんだから、もっと早いうちに殺してくれれば良かったのに。そうすれば僕は、今こうして苦しむ事もなかったというのに。
しかし、ある日を境に僕の運命は少しずつ変わっていった。
僕はいつも通りに学校に通い、いつも通りにいじめられていた。
数人の男子生徒に空き教室に連れ込まれ、抵抗出来ないように体を押さえ付けられると、ゴミを無理矢理食べさせられそうになった。
くしゃくしゃに丸められたティッシュペーパーを口に入れられそうになったその時、ドアが勢い良く開き、一人の女子生徒が現れた。
「いい加減にしなさいよ、この馬鹿共が!」
同じクラスの、僕に普通に接してくれる女の子だった。とっても明るく活発で、よく面白い話をしては周りの子を笑わせている。僕とは正反対で、太陽みたいに輝いているその子に、僕は密かに憧れていた。
女の子は僕たちの元に走り寄ると、言い訳しようとしていたリーダー格の男子の顔面をグーでぶん殴った! いつも僕の泣き顔を楽しんでいたリーダー格は、その一撃で大泣きした。その次に横で唖然としているリーダー格の腰巾着を蹴飛ばすと、逃げ出した残り数人を鬼のような形相で追い掛けて行った。
大騒ぎになったものの、頼りにならなかった担任の代わりに、何人かのクラスメートが証言してくれたり、他の教師たちが擁護してくれたお陰で、女の子は必要以上に咎められる事はなく、僕へのいじめもなくなった。
でも、僕は学校へ通えなくなってしまった。いじめはなくなったものの、周囲の哀れむような視線と、疎ましいという空気を感じ取ってしまい、耐えられなくなってしまったのだ。
そして数箇月後、僕は女の子にちゃんとしたお礼を言えないまま、母の再婚と共に引っ越し、転校した。
もう会える事はないかもと思っていた君と、まさか婚活パーティーで再会し、しかもお付き合いまで出来るようになるとは思いも寄らなかった。
けれど残念ながら、君は僕を覚えていなかった。
しかも君は──僕の太陽は、悪い会社と人間たちのせいで傷付けられ、徐々に曇っていった。見て見ぬ振りなんて出来るわけがない!
君が再び輝きを取り戻してくれて、本当に良かったよ。
曇りそうになっても大丈夫。その度に、僕がまた輝かせてあげるから。
今の僕だって、あの時の君のお陰で、輝いていられるのだから。
「あ、あの雲! 何かチュパカブラみたいな形してない?」
「小腹空いた! ソフトクリーム食べようよ!」
恋人と観光牧場にやって来た。
到着早々、まるで子供みたいに無邪気にはしゃぐ彼を見て、来て良かったなあとわたしは思った。
「ねえ、後で羊のイベントがあるらしいよ。観に行こうよ」
「お、牛がいっぱい。何頭いるか数えてみよっかな」
「あ、お土産どうする? 最後でいいかな。何か美味しそうなお菓子が欲しいんだよねー……」
彼はわたしの命の恩人でもある。
つい最近までのわたしは、まるで生ける屍状態だった。
その元凶は、わたしが今年やっと退職した会社にあった。
大嘘ばかりの求人広告に釣られ、最初の会社から転職したわたしは、初日から酷い働き方を強要された。仕事内容に見合わない安い手取り、言い掛かりに近い上司の激しい叱責、足を引っ張ろうとする同期の嫌がらせに、身勝手な顧客の暴走とその尻拭い。
心身共に疲れ果て、最悪の選択を取ろうと考えていたわたしの異変にいち早く気付き、救ってくれたのが、転職の少し前に婚活パーティーで出会い、付き合い始めてからまだ日の浅かった彼だったのだ。
「あれ、疲れてる?」
彼が心配そうに顔を覗き込んで来た。
「ううん、そんな事ないよ!」
「そう? ならいいんだけど。あっちこっち動き回っちゃったから、少し休もうか」
「大丈夫だよ。他にも見て回りたい所があるんでしょ」
「無理しない、無理しない」
彼に腕を引かれ、屋内の休憩スペースへ。向かい合って腰を下ろすと、彼はわたしをじっと見つめた。
「な……何?」
「辛かった時の事、思い出してた?」
「……うん、まあちょっとね。ごめん」
「何で謝るの。思い出すななんて言わないし、辛くなったら辛くなったって言っていいんだから」
彼はそう言うと、わたしが大好きな、心がとっても暖かくなる素敵な表情で笑いかけてくれた。
「あなたは太陽みたいね」
「え、僕が? それは君だよ」
「え、わたしが?」
それは絶対にないよと、わたしは苦笑した。現に割と最近まで、太陽どころか光を通さないブラックホール、あるいは底なし沼状態だったのだし、子供の頃だってそんなに……。
いや、そういえば小学生くらいまでは、それなりに明るかったし、行動的だったっけ。意地悪な奴がいたら我慢出来ずにぶっ叩いたり、蹴飛ばしたりもしていたな……。
しかしそれは遠い遠い昔、世の中に溢れる嫌なものを、まだあまり知らなかった頃の話だ。
僕はとても暗い子供だった。
自分の子供の気持ちがいまいち理解出来ない、冷徹さを愛情と勘違いした両親の影響なのか、それは自分でもわからない。
とにかくよくいじめられたり、騙されたり、いいように利用された。年齢が二桁にもならないうちから、自らの死について考えるようになっていたっけ。
一一歳の春、父が女を作って家を出て行ってしまった。母は母で僕を自分の両親、つまり僕の祖父母の家に預けっぱなし。
僕は転校する事になった。
最初の一箇月弱は、何とか上手くやっていた。ところが何処からか僕の家庭の噂が広まり、僕は一部のクラスメートから執拗ないじめを受ける羽目になってしまった。
ああ、またこれだ。僕は何処に行っても、何をしていても、こういう仕打ちを受ける。お母さんはどうして僕を産んだんだ。僕の事が嫌いなんだから、もっと早いうちに殺してくれれば良かったのに。そうすれば僕は、今こうして苦しむ事もなかったというのに。
しかし、ある日を境に僕の運命は少しずつ変わっていった。
僕はいつも通りに学校に通い、いつも通りにいじめられていた。
数人の男子生徒に空き教室に連れ込まれ、抵抗出来ないように体を押さえ付けられると、ゴミを無理矢理食べさせられそうになった。
くしゃくしゃに丸められたティッシュペーパーを口に入れられそうになったその時、ドアが勢い良く開き、一人の女子生徒が現れた。
「いい加減にしなさいよ、この馬鹿共が!」
同じクラスの、僕に普通に接してくれる女の子だった。とっても明るく活発で、よく面白い話をしては周りの子を笑わせている。僕とは正反対で、太陽みたいに輝いているその子に、僕は密かに憧れていた。
女の子は僕たちの元に走り寄ると、言い訳しようとしていたリーダー格の男子の顔面をグーでぶん殴った! いつも僕の泣き顔を楽しんでいたリーダー格は、その一撃で大泣きした。その次に横で唖然としているリーダー格の腰巾着を蹴飛ばすと、逃げ出した残り数人を鬼のような形相で追い掛けて行った。
大騒ぎになったものの、頼りにならなかった担任の代わりに、何人かのクラスメートが証言してくれたり、他の教師たちが擁護してくれたお陰で、女の子は必要以上に咎められる事はなく、僕へのいじめもなくなった。
でも、僕は学校へ通えなくなってしまった。いじめはなくなったものの、周囲の哀れむような視線と、疎ましいという空気を感じ取ってしまい、耐えられなくなってしまったのだ。
そして数箇月後、僕は女の子にちゃんとしたお礼を言えないまま、母の再婚と共に引っ越し、転校した。
もう会える事はないかもと思っていた君と、まさか婚活パーティーで再会し、しかもお付き合いまで出来るようになるとは思いも寄らなかった。
けれど残念ながら、君は僕を覚えていなかった。
しかも君は──僕の太陽は、悪い会社と人間たちのせいで傷付けられ、徐々に曇っていった。見て見ぬ振りなんて出来るわけがない!
君が再び輝きを取り戻してくれて、本当に良かったよ。
曇りそうになっても大丈夫。その度に、僕がまた輝かせてあげるから。
今の僕だって、あの時の君のお陰で、輝いていられるのだから。
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