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月
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怖い。
周囲の人間が怖い。
僕を自由にさせてくれない両親が怖い。
僕が苦しんだり痛がると笑う兄が怖い。
気分屋ですぐに僕を無視する妹が怖い。
怖い。
様々な出来事が怖い。
地球の環境破壊が怖い。
敵対国間の争いが怖い。
世界的な流行病が怖い。
怖い。
あらゆるものが怖い。
僕に向けられる視線が怖い。
外から聞こえる騒音が怖い。
乾燥した大地の亀裂が怖い。
カラスの低い鳴き声が怖い。
庭の荒れ果てた廃墟が怖い。
時の流れのその早さが怖い。
何の希望もない未来が怖い。
いつからこうなってしまったのだろう。
病んでいるという自覚はある。
カウンセリングを受けた方がいいのだろうけれど、それすら怖くて一歩踏み出せない。
そんな僕にも、全く怖くなく、安らぎを得られるものがある。
月だ。
月は誰よりも、何よりも僕に優しい。
僕にとって月は全てで、その姿が見えない夜は、いつも以上に気が沈んでしまう。
今夜は満月。
空は晴れていて、邪魔する雲もない。
窓を開け、「やあ」と呼び掛けると、月は「こんばんは」と、美しい声と微笑みを返してくれた。
やはり満月が一番いい!
三日月だと何だか憂鬱そうだし、半月だとちょっと気紛れなところがあるし、二六夜の月だと互いの声が聞き取り辛くなってしまうから。
「親がまた僕が望んでいない事を強制させようとしてきたんだ。妹の機嫌も悪くてさ。外に出ても、耳障りな音や声ばかりだし、嫌な感情が溢れてる!」
僕の嘆きに、月は黙って耳を傾けてくれる。
「いつまでこんな生活が続くんだろう。生き辛いよ。人間になんて生まれてきたくなかった。君の一部として生まれたかったかな。あるいは、空の一部として生まれ、君が浮かぶのを支えたかった……」
僕が無言になり月を見つめると、月も優しい眼差しで僕を見つめ返してくれた。始めのうちは照れ臭かったけれど、最近ではだいぶ慣れた。
「私の元へ来ない?」
しばらく経ってから、月がそう言った。
「是非」僕は答えた。断る理由が見付からない。「君の元へ行きたい」
「今すぐにと言ったら急過ぎるかしら。私が完全に満ちている時でないと、あなたを迎えるだけの力が出せないの」
「構わないよ。今すぐ、頼む」
「わかったわ」月は優しく微笑んだ。
直後、柔らかく、それでいて力強い光が月から降り注ぎ、僕を包んだ。
体が少しずつ変化してゆくのがわかる。
それでもやっぱり、少しも怖くない。
僕は目を閉じた。
このところ、下の兄の様子がだいぶおかしい。
まあ元々ちょっと変な奴だったけど、最近はどんどん悪化しているような気がする。
今日も、一人でぶつくさ言っている声が部屋から聞こえてくる。
正直イラつくんだよね。今日は朝から気分が晴れなくて、ちょっとした事でもキレたくなるくらいだから余計に。
……うん、やっぱり何か言ってやらなきゃ気が済まない。
わたしは兄の部屋のドアをノックした。
……返事はない。
もう一度ノックした。
……やはり返事はない。
ほんっとイライラする!
「ねえちょっと!」
わたしは勢い良くドアを開けた。
部屋には誰もいない──否、窓付近に小さな気配。
──え?
窓の縁に、一羽の白ウサギがいた。
いつの間に飼っていたのか。というか、兄は何処に? まさか隠れている?
わたしが白ウサギに近付こうとしたその時。
白ウサギは、開けっ放しになっていた窓から飛び出した。
わたしは小さく悲鳴を上げ、慌てて窓から外を覗いた。
白ウサギは落下してはいなかった。
光に包まれながら空を飛んでいた!
わたしが呆然としているうちに、白ウサギは満月の方へと高く高く飛んでゆき、やがて見えなくなった。
この時わたしは直感した。
あの白ウサギはわたしがよく知る人物であり、そしてもう二度と戻っては来ないだろうと。
周囲の人間が怖い。
僕を自由にさせてくれない両親が怖い。
僕が苦しんだり痛がると笑う兄が怖い。
気分屋ですぐに僕を無視する妹が怖い。
怖い。
様々な出来事が怖い。
地球の環境破壊が怖い。
敵対国間の争いが怖い。
世界的な流行病が怖い。
怖い。
あらゆるものが怖い。
僕に向けられる視線が怖い。
外から聞こえる騒音が怖い。
乾燥した大地の亀裂が怖い。
カラスの低い鳴き声が怖い。
庭の荒れ果てた廃墟が怖い。
時の流れのその早さが怖い。
何の希望もない未来が怖い。
いつからこうなってしまったのだろう。
病んでいるという自覚はある。
カウンセリングを受けた方がいいのだろうけれど、それすら怖くて一歩踏み出せない。
そんな僕にも、全く怖くなく、安らぎを得られるものがある。
月だ。
月は誰よりも、何よりも僕に優しい。
僕にとって月は全てで、その姿が見えない夜は、いつも以上に気が沈んでしまう。
今夜は満月。
空は晴れていて、邪魔する雲もない。
窓を開け、「やあ」と呼び掛けると、月は「こんばんは」と、美しい声と微笑みを返してくれた。
やはり満月が一番いい!
三日月だと何だか憂鬱そうだし、半月だとちょっと気紛れなところがあるし、二六夜の月だと互いの声が聞き取り辛くなってしまうから。
「親がまた僕が望んでいない事を強制させようとしてきたんだ。妹の機嫌も悪くてさ。外に出ても、耳障りな音や声ばかりだし、嫌な感情が溢れてる!」
僕の嘆きに、月は黙って耳を傾けてくれる。
「いつまでこんな生活が続くんだろう。生き辛いよ。人間になんて生まれてきたくなかった。君の一部として生まれたかったかな。あるいは、空の一部として生まれ、君が浮かぶのを支えたかった……」
僕が無言になり月を見つめると、月も優しい眼差しで僕を見つめ返してくれた。始めのうちは照れ臭かったけれど、最近ではだいぶ慣れた。
「私の元へ来ない?」
しばらく経ってから、月がそう言った。
「是非」僕は答えた。断る理由が見付からない。「君の元へ行きたい」
「今すぐにと言ったら急過ぎるかしら。私が完全に満ちている時でないと、あなたを迎えるだけの力が出せないの」
「構わないよ。今すぐ、頼む」
「わかったわ」月は優しく微笑んだ。
直後、柔らかく、それでいて力強い光が月から降り注ぎ、僕を包んだ。
体が少しずつ変化してゆくのがわかる。
それでもやっぱり、少しも怖くない。
僕は目を閉じた。
このところ、下の兄の様子がだいぶおかしい。
まあ元々ちょっと変な奴だったけど、最近はどんどん悪化しているような気がする。
今日も、一人でぶつくさ言っている声が部屋から聞こえてくる。
正直イラつくんだよね。今日は朝から気分が晴れなくて、ちょっとした事でもキレたくなるくらいだから余計に。
……うん、やっぱり何か言ってやらなきゃ気が済まない。
わたしは兄の部屋のドアをノックした。
……返事はない。
もう一度ノックした。
……やはり返事はない。
ほんっとイライラする!
「ねえちょっと!」
わたしは勢い良くドアを開けた。
部屋には誰もいない──否、窓付近に小さな気配。
──え?
窓の縁に、一羽の白ウサギがいた。
いつの間に飼っていたのか。というか、兄は何処に? まさか隠れている?
わたしが白ウサギに近付こうとしたその時。
白ウサギは、開けっ放しになっていた窓から飛び出した。
わたしは小さく悲鳴を上げ、慌てて窓から外を覗いた。
白ウサギは落下してはいなかった。
光に包まれながら空を飛んでいた!
わたしが呆然としているうちに、白ウサギは満月の方へと高く高く飛んでゆき、やがて見えなくなった。
この時わたしは直感した。
あの白ウサギはわたしがよく知る人物であり、そしてもう二度と戻っては来ないだろうと。
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