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正義

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「納得いかねえよ! 何であたしだけ悪者扱いなんだよ!」
 学年主任の男性教師に羽交い締めされながらも、必死で暴れ吠えまくる、問題児として有名な女子生徒。その正面には、問題児を汚いもののように見やる、優等生の仲良し女子生徒三人組と、生徒指導担当の中年女性教師。
 新米教師の私は、他の教師たちの後ろで成り行きを見守っていた。

 事の発端は、優等生三人組の会話だった。彼女たちは、自分たち以外に数人しか残っていない放課後の教室で、他の生徒たちの悪口を言い合っていた。そして、問題児の女子生徒と、彼女の母親をボロクソに貶して盛り上がっていたところで、悪口の対象本人が現れ、三人組に暴力を振るってしまったのだった。

 生徒指導室に呼ばれた四人がそれぞれ事情を説明し終えると(勿論一悶着あった)、学年主任と生徒指導担当は、暴力を振るった問題児に一週間の謹慎処分を言い渡した。ところが、酷い悪口を言っていた三人組に対しては、叱るどころか口頭注意もせず、大した怪我もしていないのに何度も気遣うような言葉を掛けた。

 問題児の女子生徒が怒り狂うのは当然だ。自分だけでなく、自分を女手一つで育ててくれている母親まで、勝手な憶測を元に悪く言われたのだから。
 私だって、これはおかしいと思った。しかし他の教師たちは異を唱えようとしない。

 何故かって、答えは簡単。
 優等生三人組それぞれの父親は、市議会議員に大病院の院長、この街に本社を置く超大手企業の重役──要するに有力者なのだ。

「ふざけんな! そいつら三人は甘やかすのかよ! 差別じゃねえか!」
「貴様、いい加減にしろよ!」学年主任が怒鳴った。「少しは反省したらどうだ!」
「あいつらにだってさせろよ! 親が金持ちなら何してもいいってのかよ!」
「何ですか、その態度は。あなたの暴力のせいで、三人は心身共に傷を負ったのですよ」
 生徒指導担当がそう言うと、優等生三人組は揃って俯いた。気まずさからか、傷付いていますアピールか──私には後者にしか見えなかった。
「これっぽっちも反省の色が見られない……一週間の謹慎では足りませんね」生徒指導担当は、これ見よがしに大きな溜め息を吐いた。「あなたのお母様も呼んで、今後あなたの処分をどうするか、じっくり相談しなきゃならないみたいですね。退学も覚悟しておきなさい」

「はあ!?」
 そう不満の声をはっきり口にしたのは、問題児の女子生徒だけでなく、もう一人。

 ……って、私かーい!

「……あら、あなたもご不満が?」生徒指導担当は、馬鹿にしたようにうっすら笑みを浮かべ、私を見やった。
「や……えっと、その……」
 その場にいる全員の視線が私に集まる。

 ……あれ?

 一人だけ、見覚えのない顔。
 無表情で私をじっと見つめる、中性的な顔立ちの謎の人物は、私と目が合うと無言で頷いてみせた。
 何故だかわからないけど、その瞬間、勇気が湧いた。

「はい、納得いきませんね!」
 私がきっぱり言うと、生徒指導担当のこめかみがピクピクと痙攣し、周囲の教師たちはギョッとした顔を見せた。構うものか!
「確かに暴力を振るうのは良くない事です。今回は軽~い怪我で済みましたが、一歩間違えれば大惨事だったかもしれませんから。
 でも! 同じ立場になったら、皆さんどうですか? 自分だけでなく、関係ないはずの自分の母親まで憶測だけで勝手に酷く貶されて、皆さん黙っていられますか? しかも貶した相手は何のお咎めもなく気遣われている……おかしいと思わないんですか!?」
「黙りなさい!」
 生徒指導担当が私に詰め寄り怒鳴った。唾が飛んだんですけど。
「あなたは何馬鹿な事を言っているの! どんな事情があったって、暴力を振るう方が悪い。だから私は厳しい判断を下したのです!」
「それだけじゃないでしょう」私は今度は静かに言った。「あの三人のお父さんたちが、有力者だからでしょう。贔屓しているわけですよ、あなたは。いえ、むしろビビッているんでしょうかね」
 生徒指導担当はわなわなと震え出した。
 ヤバイかも?
 それでも私の口から飛び出す言葉は、簡単には止まりはしなかった。
「あ、図星ですね? どっちを認めました? 贔屓、それともビビリ? ああ、両方ですかね! ひーいーき! ひーいーき! ビービーリ! ビービーリ! いよっ、妖怪しわくちゃヒイキビビリ! 権力の犬! ワンワンッ!」
 生徒指導担当は何か言い出しそうに口を開き掛けた。ところが彼女から飛び出したのは、言葉ではなく平手打ちだった。

 生徒指導室内は今までで一番の騒ぎになった。学年主任は、羽交い締めにしていた問題児の女子生徒を放すと、私に二発目を喰らわせようとしていた生徒指導担当を慌てて止めた。
「よくも侮辱したわね、この新入りの小娘が! しかもそんなくだらない憶測で! 訴えてやるから覚悟しておきなさい!」
 おいおい……。

「あれ、それっておかしくないですか」反論しようとした私よりも先に、今まで黙っていた一人の男性教師が口を挟んだ。「先生、さっきこう言っていましたよね。『どんな事情があったって、暴力を振るう方が悪い』って」
 すると、他の教師たちも次々と、苦笑混じりに声を上げ始めた。
「そうですよ、さっき自分でそう言ったばかりじゃないですか! 逆に傷害罪であなたが訴えられるのでは?」
「自分も不公平な判断に反対です!」
「あんた、それでも教師か!」
 発狂した生徒指導担当は、慌てた学年主任ともう一人によって、何処かに連れられて行った……。


 あー……終わったかも。
 
 帰り道をとぼとぼと歩きながら、私は深い溜め息を吐いた。
 今日起こった騒動は確実に、優等生三人組の口から父親たちに告げられるだろう──恐らくは、自分たちに都合良く話を変えたうえで。
 せっかく子供の頃からの夢だった教師になれたのに、一年目で終了かあ……。
「就活、始めるか……」
「先生」
「わっ!?」
 背後から声を掛けて来たのは、問題児の女子生徒だった。
「あ、あらお疲れ様。これから帰り?」
「先生、有難う」
 ……えっ?
「あたしの事、庇ってくれたよね」
「あ、ああ、あれね。なーんか、黙っていられなくなっちゃって」
「でもごめん……あたしのせいで、色々敵に回しちゃったよね……」
 私は女子生徒の肩にそっと手を置いた。
「気にしなくていいの! もし私が教師を続けられなくなっても構わない。私は、間違った事をしたとは思っていないから」
「先生……」
 一緒に何か食べて帰ろうか、と言おうとしたその時。
「クビになんてさせませんよっ!」
 近くの茂みや木々の陰から、今日私と一緒に声を上げてくれた先生たちが現れた。え、ちょ、いつの間に──……
「自分の気持ちを代弁してくれて有難うございました! 自分は、怖くて何も言い出せなかった」
「わたしもですっ! でも今日の一件で吹っ切れました! 今後は、おかしいと思った事はおかしいって、はっきり言います!」
「我々はあなたの味方です! 何かあれば、一緒に戦います!」
 通行人たちが振り返ってこちらを見ている。嬉しいやら、恥ずかしいやら。
「……あ、有難うございます……」

 この後私たちは、駅近のラーメン屋で一緒に夕食を取った。じゃんけんで一人負けした私が全額支払う事になったけど、たまにはいいか。

 そういえば、生徒指導室で見た、あの謎の人物は誰だったのだろう。騒ぎが大きくなってからすっかり忘れてしまっていたけど、生徒指導担当が何処かに連れて行かれる時にはもういなかった気がする。

 
 それから先、私は定年まで教師を勤め上げた。
 その間にも様々な出来事があったし、生徒間のトラブルの対応だって多々あった。
 正直に言うと、私は自分への甘えから、問題を起こした生徒に処分を下す時、問題の大きさに関係なく好感度の高い生徒の方を庇ってしまいそうになった事が何度かある。
 けれど、その度に私は、あの謎の人物──中性的で無表情な顔──を思い出し、公平で最良の処分を下したのだった。
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