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隠者
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俺の人生は、昔から悲惨だった。
家では両親に、学校ではクラスメートや教師に、精神的に虐げられ。
会社では、同僚に手柄を横取りされた挙句、翌年には景気を理由にリストラされ。
社会人になってからずっと付き合っていた恋人は、俺の親友とデキていた挙句、子供が出来たからと去って行った。
トドメに、体調不良が長引いたので病院に出向いたところ、不治の病を宣告された。命に関わるというわけではないが、死ぬまで付き合う事になる、厄介なヤツなんだとさ。
こんなどん底状態で、明るく前向きに生きろってか? 無理無理。
とりあえず独りになりたい……いや、元々独りだったわな。思わず乾いた笑いが出た。
俺は全財産(といっても僅かな貯蓄のみだが)を持って、二度と戻らない、あてどない旅に出た。
観光名所など寄る気にはなれず、なるべく人気のない、寂れた土地を選んだ。訪れた先で現地の人間に声を掛けられても余計な話はせず、また一箇所に長期間滞在する事もなかった。
誰にも邪魔されず、自給自足しながら山奥で暮らしたいなあ。虫はそんなに嫌いじゃない。食う物に困ったり、荒天に見舞われたり、熊に襲われたりして人生が終わる事になっても、別に構いやしない。
旅を続けながら、何だかんだで半年が過ぎたある日の夕方。
俺はある人里離れた山の中で小さな小屋を見付け、住人である老人に、一晩でいいから泊まらせてくれと懇願した。小屋の中に通され、出された茶を飲みながら、気付くとボロ泣きしながら自分の過去を全て話していた。
老人は一切口を挟まず、黙って俺の話を聞いてくれていたが、俺が一通り話し終え、嗚咽が落ち着くと、静かに言った。
「思い出したのではないか? 過去に何度も差し出されていた救いの手を、自ら払い退けてしまっていた事を」
……ああ、その通りだ。
心身共に虐げられていたあの頃、近所の駄菓子屋のおっちゃんとおばちゃんが、何かと声を掛けてくれていたっけ。ある程度勘付いていたのだろう。
「その怪我はどうしたんだ、本当に大丈夫なのか」
「何かあったらいつでも言うんだよ」
「お家に帰りたくなかったら、いつでもここに来な」
それなのに俺は、最後まで打ち明けず、馬鹿みたいにしっかり家に帰り、学校も休まず通い、そのうち駄菓子屋を避けるようになったのだ。
同僚に手柄を横取りされ、上司に訴えてもまともに取り合って貰えず、社内で孤立しかけていた俺に味方してくれた社員が二人いた。翌年俺のリストラが決定すると、本気で悔しがってくれていた。
それなのに俺は、こう言い放った──同情するフリはやめてくれよ。どうせ内心では、自分じゃなくて良かったと思っているんだろ!
仕事を失い、自暴自棄に陥っていた俺を、恋人は献身的に支えてくれていたんだ。親友だって、俺の身を案じて、しょっちゅうやって来たり、連絡をくれたのだ。
それなのに俺は、あの二人への感謝の気持ちも忘れ、当たり散らした──俺の気持ちなんてちっともわからないくせに、偉そうに! 見下すんじゃねえ! 偽善者共が!
ああ、俺、最低最悪だな。
不幸な境遇だったとはいえ、自分の事しか考えちゃいなかったんだ。
病に侵されたのも、そんな俺に対する天罰に違いない。
今更悔やんだって遅いよな。
そう呟いた俺に、老人はちょっと呆れたような顔で、それでも静かに言った。
「この年寄りの前でそれを言うのかい」
いや、それはその……。でも、そうでしょう。時間は元には戻らない。時間だけじゃない、取り戻せないものが多過ぎる。
「そりゃあそうだ。何せ過去なのだから。しかし、これから先、未来はどうだ?」
未来……。
「こんなところでもたもたしていたら、あっと言う間にこうだぞ」
俺をじっと見据える老人の目。……何でだ、今日会ったばかりだというのに、昔から知っているような気がするぞ。誰かに似ている。よく見れば、目どころかその顔の全てが。誰だ、一体誰だ、ああ、喉まで出掛かっているというのに何故──……
「この年寄りから言う事は、もう何もない。さあ、行きなさい。そしてもう二度と、ここには足を踏み入れなさんな」
気付くと俺は、自宅に戻っていた。
あの後、老人の元からどうやって帰って来たのか。そもそもあの山は何処にあって、どうやって行ったのか。老人は、どんな顔と声をしていたんだっけか。数年経った今でも、未だに全く思い出せないままだ。はっきり覚えているのは、老人の言葉だけだ。
もう一度尋ねようと試みても、恐らくは不可能だろう。そんな気がする。
俺は旅から戻った後、地道に仕事を探しながら通院した。
今では、かつて俺と似たような境遇だったオヤジさんとその奥さんに出会い、二人の小さな飲み屋でバイトしている。不治の病も、以前より数値が良くなってきているらしく、医者が驚いていた。
出勤前、身だしなみをチェックしながら、鏡を覗く。そこには勿論、よく見知った俺の顔。
時々、何故かはわからないが、そうやって自分の顔をじっくり見ると、ほんの一瞬だがあの老人の顔を思い出せそうになる事がある。
家では両親に、学校ではクラスメートや教師に、精神的に虐げられ。
会社では、同僚に手柄を横取りされた挙句、翌年には景気を理由にリストラされ。
社会人になってからずっと付き合っていた恋人は、俺の親友とデキていた挙句、子供が出来たからと去って行った。
トドメに、体調不良が長引いたので病院に出向いたところ、不治の病を宣告された。命に関わるというわけではないが、死ぬまで付き合う事になる、厄介なヤツなんだとさ。
こんなどん底状態で、明るく前向きに生きろってか? 無理無理。
とりあえず独りになりたい……いや、元々独りだったわな。思わず乾いた笑いが出た。
俺は全財産(といっても僅かな貯蓄のみだが)を持って、二度と戻らない、あてどない旅に出た。
観光名所など寄る気にはなれず、なるべく人気のない、寂れた土地を選んだ。訪れた先で現地の人間に声を掛けられても余計な話はせず、また一箇所に長期間滞在する事もなかった。
誰にも邪魔されず、自給自足しながら山奥で暮らしたいなあ。虫はそんなに嫌いじゃない。食う物に困ったり、荒天に見舞われたり、熊に襲われたりして人生が終わる事になっても、別に構いやしない。
旅を続けながら、何だかんだで半年が過ぎたある日の夕方。
俺はある人里離れた山の中で小さな小屋を見付け、住人である老人に、一晩でいいから泊まらせてくれと懇願した。小屋の中に通され、出された茶を飲みながら、気付くとボロ泣きしながら自分の過去を全て話していた。
老人は一切口を挟まず、黙って俺の話を聞いてくれていたが、俺が一通り話し終え、嗚咽が落ち着くと、静かに言った。
「思い出したのではないか? 過去に何度も差し出されていた救いの手を、自ら払い退けてしまっていた事を」
……ああ、その通りだ。
心身共に虐げられていたあの頃、近所の駄菓子屋のおっちゃんとおばちゃんが、何かと声を掛けてくれていたっけ。ある程度勘付いていたのだろう。
「その怪我はどうしたんだ、本当に大丈夫なのか」
「何かあったらいつでも言うんだよ」
「お家に帰りたくなかったら、いつでもここに来な」
それなのに俺は、最後まで打ち明けず、馬鹿みたいにしっかり家に帰り、学校も休まず通い、そのうち駄菓子屋を避けるようになったのだ。
同僚に手柄を横取りされ、上司に訴えてもまともに取り合って貰えず、社内で孤立しかけていた俺に味方してくれた社員が二人いた。翌年俺のリストラが決定すると、本気で悔しがってくれていた。
それなのに俺は、こう言い放った──同情するフリはやめてくれよ。どうせ内心では、自分じゃなくて良かったと思っているんだろ!
仕事を失い、自暴自棄に陥っていた俺を、恋人は献身的に支えてくれていたんだ。親友だって、俺の身を案じて、しょっちゅうやって来たり、連絡をくれたのだ。
それなのに俺は、あの二人への感謝の気持ちも忘れ、当たり散らした──俺の気持ちなんてちっともわからないくせに、偉そうに! 見下すんじゃねえ! 偽善者共が!
ああ、俺、最低最悪だな。
不幸な境遇だったとはいえ、自分の事しか考えちゃいなかったんだ。
病に侵されたのも、そんな俺に対する天罰に違いない。
今更悔やんだって遅いよな。
そう呟いた俺に、老人はちょっと呆れたような顔で、それでも静かに言った。
「この年寄りの前でそれを言うのかい」
いや、それはその……。でも、そうでしょう。時間は元には戻らない。時間だけじゃない、取り戻せないものが多過ぎる。
「そりゃあそうだ。何せ過去なのだから。しかし、これから先、未来はどうだ?」
未来……。
「こんなところでもたもたしていたら、あっと言う間にこうだぞ」
俺をじっと見据える老人の目。……何でだ、今日会ったばかりだというのに、昔から知っているような気がするぞ。誰かに似ている。よく見れば、目どころかその顔の全てが。誰だ、一体誰だ、ああ、喉まで出掛かっているというのに何故──……
「この年寄りから言う事は、もう何もない。さあ、行きなさい。そしてもう二度と、ここには足を踏み入れなさんな」
気付くと俺は、自宅に戻っていた。
あの後、老人の元からどうやって帰って来たのか。そもそもあの山は何処にあって、どうやって行ったのか。老人は、どんな顔と声をしていたんだっけか。数年経った今でも、未だに全く思い出せないままだ。はっきり覚えているのは、老人の言葉だけだ。
もう一度尋ねようと試みても、恐らくは不可能だろう。そんな気がする。
俺は旅から戻った後、地道に仕事を探しながら通院した。
今では、かつて俺と似たような境遇だったオヤジさんとその奥さんに出会い、二人の小さな飲み屋でバイトしている。不治の病も、以前より数値が良くなってきているらしく、医者が驚いていた。
出勤前、身だしなみをチェックしながら、鏡を覗く。そこには勿論、よく見知った俺の顔。
時々、何故かはわからないが、そうやって自分の顔をじっくり見ると、ほんの一瞬だがあの老人の顔を思い出せそうになる事がある。
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