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第四章

07 旧木宮家へ

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 一一月二三日、一三時二七分、舞翔市松竹町。

「……ここか」

「そうみたいね」

 ケイと凪は、旧木宮家の目の前に立っていた。深緑色の屋根に黄土色の壁紙の、ごく普通の二階建ての一軒家だが、全ての窓に雨戸が閉まっているためか、昼間にも関わらずに妙に暗く見えた。



 約一時間半前。
 ケイと凪が聞き込みをしようとインドカレー屋〈アグニ〉を訪れると、店主の親族に不幸があったという理由で臨時休業していた。しかし〈アグニ〉から十数メートル離れた裏路地に、個人経営の小さな喫茶店〈MARYマリー〉があり、幸いにも女性店主が旧木宮家の場所を知っていたのだった。

「あの家に何の用事があるの?」

 訝しげな店主に、ケイは亡くなった木宮家の息子とかつて同級生であった事を伝えた。

「わたしたち、友人のお墓の場所も知らないんです。せめて、かつて住んでいたという家を見てみたくて」

「そうだったの! あらやだ、それは悪い事言っちゃったわね……」

「死んだ息子の幽霊が出るって、この辺りの住民には有名だって噂を聞きました」凪が言った。「それは事実で間違いなさそうですか」

「ええ、実はそうなのよね……まああたしは見た事ないけどね」

 店主は少々気まずそうに答えた。

「それを聞き付けた若い子たちが肝試ししようとして、勝手に中に入ろうとして警察沙汰になった事もあったわ。てっきりあなたたちもその類いなのかと思っちゃって。ごめんなさいねえ……」

「食事が終わったら、場所を教えていただけますか?」

「いいわよ。簡単に地図も描いといてあげる」

「有難うございます。あ、それじゃあ注文いいですか? クラブハウスサンドとホットフルーツティーを二人分」

 その後運ばれてきた注文の品は、店主なりの気遣いなのか、写真で掲載されていたものよりも圧倒的に量が多かった。



「……で、だ」凪は旧木宮家から隣のケイに向き直った。「どうやって中に入るつもりだ? 鍵は掛かっているだろ」

「ピッキング」

「え?」

「ピッキングするわ。道具なら持って来たから」

 ケイは背中のリュックに手を回して軽く叩いた。

「前にやり方を教わった事があるの。多分出来るわ」

「おいおい……てか何で教わるんだよそんな事……」

「あら、じゃあ凪はどうするつもりだったの」

「緋山が何も策を考えていないようなら、窓ガラスをちょっと割って鍵を開けるつもりだった。でも雨戸閉まってるから無理だな」

「同レベルじゃない……」

「ところで、どんなアイテムを買ったんだ」

「ああ、そうね。今用意しておかないと」

 ケイはリュックを肩から外し、中から二人分の黒水晶のブレスレット、ふだ、矢を取り出した。

「はい、ちゃんと持っておいてね」

「札と矢は前回効いたもんな。これで全部か?」

「いえ、まだあるわよ。今回はこれ」

 ケイは新たにリュックの中からアイテムを取り出し、掌に乗せた。それは薄い木で出来た二つの形代かたしろだった。

「店長が自らの念で生み出した、所謂式神で、いざという時に自動召喚されて守ってくれるんですって。わたしと凪には少なからず霊感があるみたいだから、もしかしたら式神の姿も見えるんじゃないかって」

「式神? その店長、陰陽師なのか?」

「詳しくは聞かなかったけど、そうなんじゃないかしら。今更疑うの?」

「そうじゃないが、式神だの陰陽師だのって、いまいち現実味がさ」

 凪は苦笑すると、ケイの掌から自分用のアイテムを全て受け取った。

「それを言ったら、これから対峙するであろう相手もでしょう」

「……そうだな」

 二人はブレスレットを装着すると、改めて旧木宮家に向き直った。

「準備はいい?」

「ああ」

 周囲に人気ひとけのない事を確認すると、二人は小さな階段を上り、ドアの真正面に立った。

「ちょっと待ってて……」

 ケイがリュックからピッキング道具を探している間、凪は何気なくドアノブを掴んだ。

「……おい」

「なあに? あれ、何処やって──」

「開いてるぞ」

「え?」

 ケイが顔を上げると、ギィと軋む音と共に、凪が玄関ドアをゆっくり開けるところだった。

「え、ちょ、何で!?」

「しっ!」凪は口元に人差し指を立てた。「わかんねえ。今何気なく回してみたらさ……」

 二人は顔を見合わせた。手間が掛からず助かったが、状況的には素直に喜べなかった。

「俺たち以外に、真っ昼間から肝試しにきた連中がいるってか?」

「まさか」

「だよな。最初から開けて待っていたんだ……木宮が、いや〝アイツ〟がな」

 二人は改めて意を決すると、ゆっくりと中へ入った。
 一階には、右側手前に六畳の和室、奥にLDKがあり、左側に階段や浴室、トイレ、収納スペースがあった。
 ケイと凪は洗面所と浴室に向かったが、洗面台自体が設置されていなかった。

「……鏡やその代わりになりそうなものは、全部撤去されていそうだな」

 和室とLDKも調べてみたが、鏡だけでなく家具や備品は一切見当たらなかった。

「上に行くぞ」

 凪が先頭を切って二階へと上った。部屋は左右に一つずつあり、その間に収納スペースがある。

「とりあえず左の部屋から見るか」

 ケイが頷くと、凪は左の部屋へ向かい慎重にドアを開けた。六帖程の洋室だ。廊下よりも若干生暖かい空気が押し寄せて来る。

「ここにも何もないようだな」

「ええ……」

「反対側に行くぞ。しかし、もし向こうにも何もなかったらどうするか」

「手鏡なら持って来たから、それを使いましょうか」

「果たしてそれで出てくるかな……最近さっぱりだったしな」

 その心配は無用だという事は、もう一つの部屋に入った瞬間にわかった。

「おい……何で……」

 最後の部屋も洋室で、先程の部屋と一階の和室よりも広いという以外は大差はないように思えた──ある一点を除いて。

「やっぱり最初から待っていたんだな……俺たちの事を」

 凪の声は微かに震えていたが、ケイの体はそれ以上だった。

 二人の視線の先、部屋の奥の壁際にあった物──それは、高さが天井ギリギリまである、大きなアンティークの姿見だった。

〝真実を見よ〟

 ケイの耳の奥で、ラファエラの声が聞こえたような気がした。
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