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第三章
06 初恋
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二一時三九分。
凪を駅まで送った帰り道、ケイのスマホが再び着信を告げた。ディスプレイに表示されている番号は先程と同じだ。
迷ったケイだったが、道の脇に避けると通話ボタンを押した。
「……もしも──」
「優一郎そこにいるんでしょ!?」
鼓膜を突き破らんばかりの怒声に、ケイは危うくスマホを落としそうになった。
「な、何……?」
耳元から離したスマホの向こうで、女性が一方的にああだこうだと騒ぎ立てている。
「あの、失礼ですがどちら様ですか」
相手方が徐々に落ち着いてきたところで、ケイは恐る恐る尋ねた。
「優君……優一郎の婚約者よ!」
「……ああ……」
〝元〟が付くのではないのかと思いながらケイは答えた。
「ミサさん、でしたっけ」
「……そうよ」
「優一郎がどうかしたんですか」
「とぼけないで!」
「怒鳴らないでください。本当に何の事だかわからないのですが」
「……何日も前から優君と連絡が付かないから、一昨日直接家に行ったのよ! そしたら部屋の電気が消えてて、新聞が溜まってて、帰ってる様子がなかった! あんたの所に転がり込んでるんじゃないの!?」
ケイは顔をしかめた。何やら面倒な事になってきたような気がしてならないし、道ゆく人々がチラチラとこちらを見やるのも落ち着かない。
「残念ながら違いますよ」
「嘘だ!」
「先月の三〇日にいきなりやって来て、やり直したいとか何とかって言われたんで拒否して追い返しました」
ケイは淡々と答えた。
「二股男なんて、金積まれたって嫌ですからね。その後は一切知りません」
「……そんな事言ったって……騙されないから……」
そう言いながらも、ミサの声色には迷いが感じられた。
「わたしが駄目だったんで、他の女の人の所へ行ったんじゃないですかね。優一郎、あなたとは別れたって言ってましたけど、一方的だったんじゃないですか? 少しはわたしの気持ちがわかっていただけました?」
数秒の沈黙の後、ブツリと電話が切れた。
ケイは溜め息を吐き、スマホをぶん投げたい衝動を抑えると、ミサの電話番号を着信拒否登録した。
──疲れた……。
部屋に戻ると、ケイはフローリングの上に力なく突っ伏した。もう二度と関わるまいとしていた身勝手な男が勝手に現れ、またも心を傷付けられただけでなく、くだらないゴタゴタに巻き込まれかけた。
──今それどころじゃないのに……。
ケイが心配なのは光雅の行方と安否のみ。優一郎がどうなっていようが知った事ではない。
──ほんとにもう……何でわたしはあんなのと何年も……?
大学一年時、まだ優一郎と交際していなかった頃を思い返す。共通の友人を介して知り合ったが、授業やサークルは異なっており、当初はほとんど交流がなかった。意識するようになったのは何がきっかけだった? 食堂でバッタリ出くわした、大学からの帰り道を駅まで一緒に歩いた、複数サークル合同主催のバーベキューに参加し同じグループになった……。
冬のある日、メッセージで優一郎に呼び出されて直接告白を受けた時、ケイは二つ返事で了承した。話したい事がある、という文面を目にした時から既に内容を察しており、期待に胸を膨らませて待ち合わせ場所に向かったのだ。
つまり、それまでの間に互いに好意を寄せていた事は間違いないだろう。しかし、今となっては美しくも何ともない記憶を辿っても、決定打となるような出来事は思い付かなかった。単に優一郎の人柄──優しく思いやりがあり、一見頼りないようだがいざという時は率先して行動する──に徐々に惹かれていったのかもしれない。
──今思えば美化し過ぎていたわね……。
優しく思いやりがあるのは、ケイに対してだけではなかった。それ自体は何ら悪い事ではないが、優柔不断でもあり、頼み事をされると断り切れず、恋人であるケイより知人の女性を優先させ、モヤモヤさせられた事が何度かあった。あまり深く考えずに動いたり、友人とその恋人のトラブルに首を突っ込んで出しゃばり、相手方に困惑された事だってあった。
当時のケイはそれらをあまり気にしなかったし、むしろそんな優一郎は本当に素敵な人だと惚れ直していたくらいだ。
──恋って恐ろしいわね……。
盲目的になれたのは、優一郎が人生初の恋人だったからだろうか。初恋だったからだろうか。
──初恋……?
ケイはゆっくり体を起こすと、その場で胡座を掻いた。
──本当にそうだったっけ?
そう思った途端、突然亡き友人との思い出が次から次へと溢れ出してきた。休み時間や登下校中のたわいない会話と笑顔、メッセージでのやり取り、休日に二人だけで行ったショッピングモールにゲームセンター、映画館……。
〝ケイちゃん、それってもうデートじゃん!〟
〝そんなんじゃないわよ。ただ一緒に出掛けるだけ〟
〝そういうのをデートって言うんだよ!〟
そしてつい最近鏡越しに行われた、数年振りの会話。
〝ケイ、無茶はしないように〟
「ああ……!」
ケイは口を両手で押さえ、大きなショックに体を震わせた。高校時代の──いや、あの当時から今に至るまでずっと、木宮光雅に恋心を抱いていたのだという事実に、今更ながら気付いてしまったからだ。
「どうして……どうして今まで……」
どうして今まで気付かなかったのか。
「……違う」
本当はとっくに気付いていたのだ、光雅に対する自分自身の想いに。けれどもケイは、それを心の奥底に封印し、決して正面から見つめようとは、ましてや光雅本人に打ち明けようとはしなかった。
その理由はただ一つ──この想いが完全な一方通行で、大切な友情を壊すような事にでもなったら恐ろしかったからだ。
ケイは立ち上がって部屋の角の方まで移動すると、伏せて放ってあった手鏡を拾い上げた。
「光雅君……今どうしているの? 無事なの?」
鏡面に映るのは、今にも泣き出しそうな自分自身。いくら待ち続けても、亡き友人は、想い人は、その姿を現さなかった。
凪を駅まで送った帰り道、ケイのスマホが再び着信を告げた。ディスプレイに表示されている番号は先程と同じだ。
迷ったケイだったが、道の脇に避けると通話ボタンを押した。
「……もしも──」
「優一郎そこにいるんでしょ!?」
鼓膜を突き破らんばかりの怒声に、ケイは危うくスマホを落としそうになった。
「な、何……?」
耳元から離したスマホの向こうで、女性が一方的にああだこうだと騒ぎ立てている。
「あの、失礼ですがどちら様ですか」
相手方が徐々に落ち着いてきたところで、ケイは恐る恐る尋ねた。
「優君……優一郎の婚約者よ!」
「……ああ……」
〝元〟が付くのではないのかと思いながらケイは答えた。
「ミサさん、でしたっけ」
「……そうよ」
「優一郎がどうかしたんですか」
「とぼけないで!」
「怒鳴らないでください。本当に何の事だかわからないのですが」
「……何日も前から優君と連絡が付かないから、一昨日直接家に行ったのよ! そしたら部屋の電気が消えてて、新聞が溜まってて、帰ってる様子がなかった! あんたの所に転がり込んでるんじゃないの!?」
ケイは顔をしかめた。何やら面倒な事になってきたような気がしてならないし、道ゆく人々がチラチラとこちらを見やるのも落ち着かない。
「残念ながら違いますよ」
「嘘だ!」
「先月の三〇日にいきなりやって来て、やり直したいとか何とかって言われたんで拒否して追い返しました」
ケイは淡々と答えた。
「二股男なんて、金積まれたって嫌ですからね。その後は一切知りません」
「……そんな事言ったって……騙されないから……」
そう言いながらも、ミサの声色には迷いが感じられた。
「わたしが駄目だったんで、他の女の人の所へ行ったんじゃないですかね。優一郎、あなたとは別れたって言ってましたけど、一方的だったんじゃないですか? 少しはわたしの気持ちがわかっていただけました?」
数秒の沈黙の後、ブツリと電話が切れた。
ケイは溜め息を吐き、スマホをぶん投げたい衝動を抑えると、ミサの電話番号を着信拒否登録した。
──疲れた……。
部屋に戻ると、ケイはフローリングの上に力なく突っ伏した。もう二度と関わるまいとしていた身勝手な男が勝手に現れ、またも心を傷付けられただけでなく、くだらないゴタゴタに巻き込まれかけた。
──今それどころじゃないのに……。
ケイが心配なのは光雅の行方と安否のみ。優一郎がどうなっていようが知った事ではない。
──ほんとにもう……何でわたしはあんなのと何年も……?
大学一年時、まだ優一郎と交際していなかった頃を思い返す。共通の友人を介して知り合ったが、授業やサークルは異なっており、当初はほとんど交流がなかった。意識するようになったのは何がきっかけだった? 食堂でバッタリ出くわした、大学からの帰り道を駅まで一緒に歩いた、複数サークル合同主催のバーベキューに参加し同じグループになった……。
冬のある日、メッセージで優一郎に呼び出されて直接告白を受けた時、ケイは二つ返事で了承した。話したい事がある、という文面を目にした時から既に内容を察しており、期待に胸を膨らませて待ち合わせ場所に向かったのだ。
つまり、それまでの間に互いに好意を寄せていた事は間違いないだろう。しかし、今となっては美しくも何ともない記憶を辿っても、決定打となるような出来事は思い付かなかった。単に優一郎の人柄──優しく思いやりがあり、一見頼りないようだがいざという時は率先して行動する──に徐々に惹かれていったのかもしれない。
──今思えば美化し過ぎていたわね……。
優しく思いやりがあるのは、ケイに対してだけではなかった。それ自体は何ら悪い事ではないが、優柔不断でもあり、頼み事をされると断り切れず、恋人であるケイより知人の女性を優先させ、モヤモヤさせられた事が何度かあった。あまり深く考えずに動いたり、友人とその恋人のトラブルに首を突っ込んで出しゃばり、相手方に困惑された事だってあった。
当時のケイはそれらをあまり気にしなかったし、むしろそんな優一郎は本当に素敵な人だと惚れ直していたくらいだ。
──恋って恐ろしいわね……。
盲目的になれたのは、優一郎が人生初の恋人だったからだろうか。初恋だったからだろうか。
──初恋……?
ケイはゆっくり体を起こすと、その場で胡座を掻いた。
──本当にそうだったっけ?
そう思った途端、突然亡き友人との思い出が次から次へと溢れ出してきた。休み時間や登下校中のたわいない会話と笑顔、メッセージでのやり取り、休日に二人だけで行ったショッピングモールにゲームセンター、映画館……。
〝ケイちゃん、それってもうデートじゃん!〟
〝そんなんじゃないわよ。ただ一緒に出掛けるだけ〟
〝そういうのをデートって言うんだよ!〟
そしてつい最近鏡越しに行われた、数年振りの会話。
〝ケイ、無茶はしないように〟
「ああ……!」
ケイは口を両手で押さえ、大きなショックに体を震わせた。高校時代の──いや、あの当時から今に至るまでずっと、木宮光雅に恋心を抱いていたのだという事実に、今更ながら気付いてしまったからだ。
「どうして……どうして今まで……」
どうして今まで気付かなかったのか。
「……違う」
本当はとっくに気付いていたのだ、光雅に対する自分自身の想いに。けれどもケイは、それを心の奥底に封印し、決して正面から見つめようとは、ましてや光雅本人に打ち明けようとはしなかった。
その理由はただ一つ──この想いが完全な一方通行で、大切な友情を壊すような事にでもなったら恐ろしかったからだ。
ケイは立ち上がって部屋の角の方まで移動すると、伏せて放ってあった手鏡を拾い上げた。
「光雅君……今どうしているの? 無事なの?」
鏡面に映るのは、今にも泣き出しそうな自分自身。いくら待ち続けても、亡き友人は、想い人は、その姿を現さなかった。
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