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第三章

05 噂

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 早番上がりだったという凪がケイの部屋にやって来たのは、二〇時過ぎだった。夕飯は食べて来たと言うので淹れたての緑茶と菓子を出したが、お茶をしながらのんびり談笑、という雰囲気でもなかった。

「もう一人、か……」凪は腕を組み、ゆっくりと首を傾げた。「まあ、そいつも生きた人間じゃないんだろうな」

「多分、光雅君が捕まると言って恐れていた相手と同じよね」

「ああ。誰なのかは勿論だが、何で木宮を捕まえようとしているのかも謎だ……相変わらず姿は見せねえし……」凪は小さく唸った。

「新しいお茶いる?」

「おう、貰う」凪は小さく頭を下げて湯呑みを差し出した。「半分で」

「ねえ、凪の話したい事っていうのは?」

 ケイは急須でそれぞれの湯呑みに緑茶を注ぎながら尋ねた。

「ああ、木宮に関係した事なんだが……高校時代、服部恭はっとりきょうって男子がいたの覚えてるか?」

「服部君……名前だけなら。同じクラスになった事はないわ。バスケ部だかバレー部だか、それとも卓球部の子だったかしら」

「バドミントン部だ」凪は笑った。「大会でもいいとこまでいって、朝礼で表彰されてたぞ。覚えてないか?」

「……駄目だわ、全然」ケイは肩を竦めて苦笑した。

「ま、それは別にいいんだ。その服部がさ、昨日の夜、偶然店にやって来たんだ。久し振りに会ったんだしって事で、閉店後に近くの居酒屋に呑みに行ったんだ。高校時代の思い出話に花を咲かせているうちに木宮の話になったんだが、その時にあいつから妙な話を聞いたんだ……」



「木宮かあ……まさか死んじまうとは思わなかった。クラスは違ったけど、そこそこ仲良くしてたし、ありゃあショックだったなあ……」

 服部はどこか年寄り臭い喋り方でしみじみ言った。彼のこの特徴は高校生当時からで、もっさりした容姿も相まり、友人たちからは親しみを込めて〝おっちゃん〟や〝服部のオヤジ〟などとあだ名されていた。ヨレの目立つスーツで生ビールをあおる今の姿も、本人には失礼だが中年男性に見えなくもない。

「木宮はさ、女子だと特に緋山さんと仲良かったんだよな。あの二人って結局付き合ってたのか?」

「いや違うよ」凪は無意識に少々強い口調で断言した。

「ふーん。でもいい感じだったけどなあ」

「……」

「そういやさ、木宮の死因に関しては変な噂があったよな。まあ、眉唾モンだったけど」

「……え?」凪は怪訝そうに服部を見やった。「噂って何、どんな」

「あれ、知らなかった?」

「気になる。教えてくれ」

「話したら思い出すかもしれないぞ」

 女性店員が唐揚げとサラダを運んで来て、服部の前に置いた。

「あ、おねーさん、生おかわりで!」

「かしこまりました」

三塚みつかは?」

「俺はまだいい」店員が去ると、凪は服部の方に身を乗り出すようにした。「で、何だって?」

「何だよ、興味津々だな!」

 服部は笑い出したが、凪の真剣な表情に気付くと目をパチクリさせた。

「三塚、どうしたんだ? 何かあったのか」

「いや……その、実は前々から、木宮は本当に心不全だったのだろうかって疑問に思ってたんだ。だからそういう話は気になっちまってさ」

「そうか。ま、そう思うのは無理ないよな。体が弱かったわけじゃなさそうだし。だからこそあんな噂が立ったのかも……」

「まさか、自殺か?」

 服部はかぶりを振ると、ゆっくりとした口調で答えた。

「幽霊に……呪い殺されたらしいってな」



「呪い殺された!?」ケイは思わず大きな声を上げた。「何よそれ……聞いた事ないわ!」

「俺も完全に初耳だった。内容が突飛過ぎてあまり信用されずに、すぐ消えていったんだろ。服部も、俺と木宮の話をするまで完全に忘れていたらしい」

「どういう意味なの……幽霊に……何があったらそうなるのよ」

 驚愕、困惑、怒り──様々な感情がごちゃ混ぜになり、ケイは軽い目眩を覚えた。バランスを取るようにローテーブルに両手を突き、大きく息を吐き出す。

「……これも、どこまで本当かはわからないんだが……」

 ケイの様子を窺いながら、凪は遠慮がちに切り出した。

「木宮の死んだ祖父じいさんだか曽祖父ひいじいさんだかが霊感強くて、生前は祓い屋をやっていたそうだ。で、木宮はその祖父さんだか曽祖父さんだかを真似して、ある霊を除霊しようと試みたが失敗して呪われ、少しずつ弱ってゆき……って話らしい。
 木宮の両親、木宮が死んだ後割とすぐに何処どっかに引っ越しちまったろ? だから墓参りにも行けないわけだが……その引っ越しも、霊から逃げるためじゃないかって」

 ややあってから、ケイは小さくかぶりを振った。

「少なくとも最後の引っ越しの話は見当違いだと思うわよ」

「まあ、流石にちょっと無理があるよな」

「それもそうだけど……以前、光雅君本人から聞いた事があるの。光雅君の両親は上手くいってなくて、光雅君が成人したら離婚するつもりで少しずつ話を進めていたんですって。光雅君のお母さんは確か東北地方の出身で、そっちに帰りたがっていたとか。光雅君の遺骨は、お母さんの実家のお墓に入ったのかもしれないわ」

 当時、光雅の葬儀は近親者のみで執り行われたため、学校の友人らは誰一人として最後の別れが出来なかった。せめて木宮家の仏壇に線香を上げたり、墓参りには皆で行こうと話し合っていた矢先、光雅の両親が周囲には何も告げずに引っ越してしまい、行方がわからないという事実を担任から聞かされ、一同は肩を落としたのだった。

「そうだったのか……じゃあそっちの方が可能性は高いな。祓い屋だの呪いだのって話はわからないが……いや待てよ」

 凪はハッとしたようにケイを見やった。

「木宮が恐れている〝もう一人〟ってのが、その霊だったりするんじゃないか」

「そんな……まさか……」ケイの声は微かに震えた。

「ラファエラだっけ? 緋山を視た占い師の霊能力が本物なら、辻褄合いそうじゃねえか?」

「それじゃあ光雅君は、亡くなってから七年以上も自分が祓い損ねた霊から逃げているっていうの? 成仏も出来ずに? そもそも、どうしてその噂が広まったの……誰が広めたの?」

「服部はバドミントン部の人間から聞いたように記憶しているそうだが、発信源は不明だ。オカルト好きな奴が面白半分で流したって事も考えられるが──」

「光雅君がわたしたちの前に現れていなければ、そう思えたでしょうね」

 二人は沈黙したが、フローリングの上のケイのスマホが着信を告げたため、それ程長くは続かなかった。

「知らない番号だわ」

「携帯からか?」

「ええ」ケイはスマホを元に戻した。

「出なくていいのか?」

「知らない番号からは出ないようにしているの。本当に重要な用事だったら、もう一度掛かってくるはずよ」
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