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第二章
06 再訪
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一〇月三日、愛陽総合病院。
ケイが休憩スペースに足を運ぶと、パジャマに薄手の上着を羽織った奏子が椅子に座り、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら外の景色を眺めていた。
「叔母さん」
ケイの声に振り向いた奏子の顔には、驚きと嬉しさが入り交じった表情が浮かんでいた。
「ケイ! 今日も来てくれたの?」
「うん、来ちゃった。最初病室に行ったら、正面のベッドのおばさんがこっちだって。あ、おやつもあるよ」
「やだぁ~もうほんと有難う! 嬉しいけど何か悪いわねぇ~。あれ、お母さんとアイリは?」
「待ち合わせはしなかったんだ。もうちょっとしたら来るんじゃないかな」
奏子に促され正面の椅子に腰を下ろすと、ケイは手にしていた小さなビニール袋を差し出した。
「今日は和菓子にしたよ」
「有難う! 後で貰うわ」
「体調はどう? 変わらず?」
「うん、何の異常もなし。来週には退院よ」
「良かった。それじゃあ退院祝いもしないとね」
「嬉しい、ほんっと嬉しい!」奏子はケイの両手を取り、自分の両手で包み込むようにして握った。「もう、叔母さん嬉し過ぎて死んじゃいそうよ」
「死んじゃうってそんな──」
ケイは奏子の目に涙が浮かんでいる事に気付き、ドキリとした。
「どうしたの叔母さん。何かあったの?」
「ごめん……ちょっとね」
「入院生活……退屈で寂しくなっちゃった?」
ケイの問いに、奏子は黙って何処か一点を見つめるだけだった。
──聞かない方が良かったかな。
何か別の話題に変えたいが、これといった内容が思い付かない。奏子に会いに来た一番の目的を達成しなくてはならないが、いきなりその話を切り出すのも不自然だ。
「離婚したいって言われたの」
考えあぐねていたケイに、奏子が静かに言った。
「昨日ね、茉美子が帰った後ちょっとしてから旦那が来たのよ。ここで一方的に自分の希望だけ話して、あたしの話なんてろくに聞かずにすぐ帰って行ったわ」
「そんな……どうして」
「ここ何年か喧嘩ばっかりだったから」奏子は指先で涙を拭うと、自嘲気味に微笑んだ。
何と声を掛けていいかわからず、ケイは沈黙した。母が来てくれればいいのにとさえ思った。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「ううん、そんな。その話、わたし以外の誰かには?」
「旦那が帰った後、茉美子に連絡して全部話したわ。そしたら一緒に住まないかって誘ってくれて。あの子には昔っから助けられっぱなし」
「持つべきは友だね」
「ほんとにね。有難い」奏子は今度は心からの笑みを浮かべて答えた。「でも流石にそこまで甘えるわけにはいかないしさ、旦那とは退院したらもう一度話し合ってみるつもりだけどね」
「そっか……」
奏子は椅子の背もたれに体を預けると、ゆっくり息を吐き出した。ケイは今がいいタイミングだろうと判断し、
「茉美子さんって何処ら辺に住んでるの?」
と何気ない風を装って尋ねた。
「隣の亀見区よ」
「お仕事は浜波市内なの?」
「港北区内よ。〈タイヨウドラッグ〉の副店長」
〈タイヨウドラッグ〉は、K県東部を中心に展開しているドラッグストアだ。ケイの実家の近所にも一店舗あり、実家暮らししていた頃はよく利用していた。
「茉美子さん、またお見舞いには来るかな?」
「次の休みの明後日にまた来てくれるって。あら、茉美子が気になる?」
「あー、ほら、昨日会った時、簡単に挨拶するだけですぐ帰っちゃったでしょ。いい人みたいだから、もうちょっと話したかったかな、なんて」
「じゃあさ、ケイさえ良ければ明後日も来てよ。実はさ、茉美子もケイが気になってたみたいだから喜ぶと思うよ。あ、おやつは気にしなくていいからね」
ケイが答えようと口を開きかけた時、花や見舞いの品を持った母とアイリがやってくるのに気付いた。ケイの表情を見て、奏子も振り向く。
「ああ二人共! 来てくれて有難う!」
「こっちにいたのね、奏子」
母がこちらを見ているのがわかったが、ケイは何も言わずに目を逸らした。
「叔母さん久し振りー! 元気ー?」
「とっても元気! アイリと同じくらいにね!」
アイリが抱き付くと奏子も抱き返し、互いに頬擦りして笑い合った。アイリは昔からケイ以上に奏子に懐いていた。
「その様子だと、術後の経過は良好みたいね」
「おかげさまでね。退屈だから早く退院したいわよ」
「退院したらお祝いしようよ! ね、お母さん」
「そうね、そうしましょうか」
「あら嬉しい! さっきケイもそう言ってくれたの。ねえ?」
ケイは微笑んで頷いた。
「そういえば三人共、お昼ご飯は?」
「私たちはまだ」母が答えた。
「そういえばそろそろお腹空いてきちゃったかも。ケイちゃんは?」
「まだよ」
「じゃあ、何か食べて来たら? 病院の隣にレストランがあるでしょ。スパゲッティが意外と美味しいって聞いたわよ。あたしはまだここにいるから」
「それじゃ、わたしはそろそろ」ケイは立ち上がった。
「え、帰るの?」
奏子は目を丸くし、母はギョッとした様子を見せ、アイリは気まずそうに俯いた。
「何だ、来てくれたばっかりじゃない。それにほら、お昼は?」
「まだあんまりお腹空いてないから」
ケイはそう言いながら軽く腹をさすった。実際にはそろそろ腹時計が鳴り出しそうだった。
「あー……まあ、ちょっと残念だけど、無理には引き留めないわよ……?」
どうやら奏子も何となく察したようだった。
「ごめんね叔母さん。明後日また来るから。茉美子さんにも伝えておいて」
「うん、わかったわ」
「じゃあね」
ケイは奏子に会釈し、目が合ったアイリにも小さく手を挙げると休憩スペースを去った。後方から母の嘆くような声が聞こえたが、知った事ではなかった。
──先に何とか出来ないかしら。
病院を出た後、ケイはスマホで港北区内の〈タイヨウドラッグ〉の店舗数を検索した。幸いにも一店舗のみであり、わかりやすい場所にあるようだった。
ケイはある覚悟を決めた。しかしその前に準備が必要だ。
──確か西区に……。
ケイは今度は別の店を検索し、営業中である事を確認すると、駅へ向かって歩き出した。
ケイが休憩スペースに足を運ぶと、パジャマに薄手の上着を羽織った奏子が椅子に座り、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら外の景色を眺めていた。
「叔母さん」
ケイの声に振り向いた奏子の顔には、驚きと嬉しさが入り交じった表情が浮かんでいた。
「ケイ! 今日も来てくれたの?」
「うん、来ちゃった。最初病室に行ったら、正面のベッドのおばさんがこっちだって。あ、おやつもあるよ」
「やだぁ~もうほんと有難う! 嬉しいけど何か悪いわねぇ~。あれ、お母さんとアイリは?」
「待ち合わせはしなかったんだ。もうちょっとしたら来るんじゃないかな」
奏子に促され正面の椅子に腰を下ろすと、ケイは手にしていた小さなビニール袋を差し出した。
「今日は和菓子にしたよ」
「有難う! 後で貰うわ」
「体調はどう? 変わらず?」
「うん、何の異常もなし。来週には退院よ」
「良かった。それじゃあ退院祝いもしないとね」
「嬉しい、ほんっと嬉しい!」奏子はケイの両手を取り、自分の両手で包み込むようにして握った。「もう、叔母さん嬉し過ぎて死んじゃいそうよ」
「死んじゃうってそんな──」
ケイは奏子の目に涙が浮かんでいる事に気付き、ドキリとした。
「どうしたの叔母さん。何かあったの?」
「ごめん……ちょっとね」
「入院生活……退屈で寂しくなっちゃった?」
ケイの問いに、奏子は黙って何処か一点を見つめるだけだった。
──聞かない方が良かったかな。
何か別の話題に変えたいが、これといった内容が思い付かない。奏子に会いに来た一番の目的を達成しなくてはならないが、いきなりその話を切り出すのも不自然だ。
「離婚したいって言われたの」
考えあぐねていたケイに、奏子が静かに言った。
「昨日ね、茉美子が帰った後ちょっとしてから旦那が来たのよ。ここで一方的に自分の希望だけ話して、あたしの話なんてろくに聞かずにすぐ帰って行ったわ」
「そんな……どうして」
「ここ何年か喧嘩ばっかりだったから」奏子は指先で涙を拭うと、自嘲気味に微笑んだ。
何と声を掛けていいかわからず、ケイは沈黙した。母が来てくれればいいのにとさえ思った。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「ううん、そんな。その話、わたし以外の誰かには?」
「旦那が帰った後、茉美子に連絡して全部話したわ。そしたら一緒に住まないかって誘ってくれて。あの子には昔っから助けられっぱなし」
「持つべきは友だね」
「ほんとにね。有難い」奏子は今度は心からの笑みを浮かべて答えた。「でも流石にそこまで甘えるわけにはいかないしさ、旦那とは退院したらもう一度話し合ってみるつもりだけどね」
「そっか……」
奏子は椅子の背もたれに体を預けると、ゆっくり息を吐き出した。ケイは今がいいタイミングだろうと判断し、
「茉美子さんって何処ら辺に住んでるの?」
と何気ない風を装って尋ねた。
「隣の亀見区よ」
「お仕事は浜波市内なの?」
「港北区内よ。〈タイヨウドラッグ〉の副店長」
〈タイヨウドラッグ〉は、K県東部を中心に展開しているドラッグストアだ。ケイの実家の近所にも一店舗あり、実家暮らししていた頃はよく利用していた。
「茉美子さん、またお見舞いには来るかな?」
「次の休みの明後日にまた来てくれるって。あら、茉美子が気になる?」
「あー、ほら、昨日会った時、簡単に挨拶するだけですぐ帰っちゃったでしょ。いい人みたいだから、もうちょっと話したかったかな、なんて」
「じゃあさ、ケイさえ良ければ明後日も来てよ。実はさ、茉美子もケイが気になってたみたいだから喜ぶと思うよ。あ、おやつは気にしなくていいからね」
ケイが答えようと口を開きかけた時、花や見舞いの品を持った母とアイリがやってくるのに気付いた。ケイの表情を見て、奏子も振り向く。
「ああ二人共! 来てくれて有難う!」
「こっちにいたのね、奏子」
母がこちらを見ているのがわかったが、ケイは何も言わずに目を逸らした。
「叔母さん久し振りー! 元気ー?」
「とっても元気! アイリと同じくらいにね!」
アイリが抱き付くと奏子も抱き返し、互いに頬擦りして笑い合った。アイリは昔からケイ以上に奏子に懐いていた。
「その様子だと、術後の経過は良好みたいね」
「おかげさまでね。退屈だから早く退院したいわよ」
「退院したらお祝いしようよ! ね、お母さん」
「そうね、そうしましょうか」
「あら嬉しい! さっきケイもそう言ってくれたの。ねえ?」
ケイは微笑んで頷いた。
「そういえば三人共、お昼ご飯は?」
「私たちはまだ」母が答えた。
「そういえばそろそろお腹空いてきちゃったかも。ケイちゃんは?」
「まだよ」
「じゃあ、何か食べて来たら? 病院の隣にレストランがあるでしょ。スパゲッティが意外と美味しいって聞いたわよ。あたしはまだここにいるから」
「それじゃ、わたしはそろそろ」ケイは立ち上がった。
「え、帰るの?」
奏子は目を丸くし、母はギョッとした様子を見せ、アイリは気まずそうに俯いた。
「何だ、来てくれたばっかりじゃない。それにほら、お昼は?」
「まだあんまりお腹空いてないから」
ケイはそう言いながら軽く腹をさすった。実際にはそろそろ腹時計が鳴り出しそうだった。
「あー……まあ、ちょっと残念だけど、無理には引き留めないわよ……?」
どうやら奏子も何となく察したようだった。
「ごめんね叔母さん。明後日また来るから。茉美子さんにも伝えておいて」
「うん、わかったわ」
「じゃあね」
ケイは奏子に会釈し、目が合ったアイリにも小さく手を挙げると休憩スペースを去った。後方から母の嘆くような声が聞こえたが、知った事ではなかった。
──先に何とか出来ないかしら。
病院を出た後、ケイはスマホで港北区内の〈タイヨウドラッグ〉の店舗数を検索した。幸いにも一店舗のみであり、わかりやすい場所にあるようだった。
ケイはある覚悟を決めた。しかしその前に準備が必要だ。
──確か西区に……。
ケイは今度は別の店を検索し、営業中である事を確認すると、駅へ向かって歩き出した。
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