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第5話 Who's he
02 途切れ途切れに
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「今日の晩御飯は何?」
「回鍋肉よ」
「ピーマンが細切りの?」
「それは青椒肉絲。回鍋肉はキャベツがメインのやつ」
よく晴れた空と乾いた空気の、一一月最後の日曜日。
特に何の用事もなく、自室で暇を持て余していた理世は、少々高めのカップアイスのご褒美に釣られ、母親と共に近所のスーパーまでやって来た。
野菜・果物コーナーから肉・魚コーナーまで時間を掛けて食材を探してから、ようやく冷凍食品コーナー付近までやって来ると、理世は冷凍陳列棚の前を陣取った。
上段にはクッキー&クリーム、マカダミアナッツ、トリプルチョコレートにミックスベリー。よく選ぶ味なので、たまには違うものを選びたい。下段にはバニラ、ストロベリー、抹茶、そしてコーヒー。
ほぼ無意識に扉を開き、手を伸ばした。
「決まった?」
母親の声がして、理世は我に返った。
「あー……ごめん、ちょっと待って」
理世が手に取ろうとしていたのは、コーヒー味だった。何年か前に初めて食べたがあまり好きになれず、それ以降は一度も選んだ事がなかった。
──もう、直接言ってよね。
すぐ後ろ、あるいは隣にいるはずの男に、口には出さず抗議する。
──ほら、病院の時みたいに。
「まだ時間掛かるなら先行ってるわよ、向こうでお惣菜見てるから」
「ねえ、アイス二つじゃ駄目?」
「ええ? 一個にしておきなさいよ」
「じゃあ飲み物なら?」
「何飲みたいの」
「アイスコーヒー。プラカップに入ってるやつ」
「しょうがない。後で持ってきな」
「ありがと」
──それで我慢してね。
理世は再び扉を開けてストロベリー味を手に取ると、まだ大して離れていない母親の後を追った。
表道を通った行きと異なり、帰りは人気のない裏道を進んだ。かつては複数の住居兼個人商店が存在していたが、理世が高校を卒業するまでの間に商店は全て姿を消し、ちょっとしたシャッター通りと化してしまった。
理世が大学でのたわいない出来事を話していると、母親のスマホがトートバッグの中から着信を告げた。
「悪い、ちょっと持ってて」
右手に持った食料品でいっぱいの大きなビニール袋を娘に渡すと、理世の母親はトートバッグを漁った。
「重いから早くしてねー」
「相手の要件次第。あ、志乃ちゃんからだ」
志乃は母親の中学時代からの友人で、理世とも面識がある。
「もしもーし! 久し振り! 元気だったー?」
「お母さん、住宅街なんだからもうちょい抑えて……」
声を落としはしたが、興奮を抑え切れない様子で立ち止まったまま喋り続ける母親を置いて、理世はゆっくり進んでいった。
──重い……重過ぎる。
「今ねー、娘と近所に買い物行った帰り道なの。うん、大学一年」
──わたしがいるからって、醤油とみりんと牛乳と大根を一緒に買うなんて!
大して進まないうちに、理世は足を止めて両手の荷物をコンクリートにそっと置いた。バランスを崩しかけた大根を、しゃがみ込んで何とか直す。
「そうよねーあっと言う間。確か志乃ちゃんがうちの子に最後に会ったの、七、八年くらい前じゃなかった? そうそう、小学生で……」
──あ、マズい。早くしないとアイス溶けちゃう!
「お母さん、わたし先に帰──」
立ち上がりながら振り向いた理世の目に入ってきたのは、母親の姿ではなかった。黒いレザージャケットとロングスカート姿で、目元の化粧が濃く、長い黒髪をハーフアップにしている若い女は、つい最近初めて知り合った双子の片割れだ。
──マリアさん……それともユリアさん……?
「あー、見付け── あの──におね──けど」
女の声は、電波の入りが悪いスマホのように途切れ途切れだ。そして途切れる度に、連動してその姿も歪んだりぼやけたりする。
「えと、三島、さん? 一体何が──」
「あー、いまいち上手く──と伝えられ──」
理世は恐る恐る、マリアまたはユリアに近付いていった。
「大学生のおねーさん、あなた何処に住んで──住所──」
「え……?」
何故そんな事を知りたいのか。そもそもどういう原理でここに姿を現し、会話しているのか。疑問と疑念が脳内で渦巻き、やがてそれはじわじわと恐怖そのものとなって、理世の足を止めさせた。
──何か嫌だ。
見慣れた周囲の景色でさえ、何か別の不安定な要素に思えた。
──わたし、この人が……この人たちが苦手だ。
「磨陣市内でいいの? それか大学──」
「黙れ」理世の口から、本人の意思とは裏腹に飛び出したのは、苛立ったような低い男の声だった。「答える義理はねえ」
「あら、出て来てくれたの」マリアまたはユリアの声が弾んだ。「一番用が──は、あなたの方──」
「失せろ」
「あなたの事、もっと詳しく──」
「失せろと言ったのが聞こえなかったか」
「つれないわね」
「死にてえようだな」
暖かみなんて微塵も感じられない、鋭い刃物のような言葉が紡がれるのを、理世は黙って聞いている事しか出来なかった。刃先を向けられたのは対面の女だというのに、自分自身が切り付けられたような痛みが心臓をチクチクと刺激する。
「……まあいいわ、近いうちに探し出すから」
双子の片割れが空気に溶け込むようにして消えると、スマホを片手にきょとんした母親の姿が現れた。その数メートル後方からは、腰の曲がった老人がゆっくり歩いてくる。
「理世? どしたの、荷物も下に置きっぱなしで」
「……あ、ああうん」理世は曖昧に微笑んだ。「ちょっと重たくなっちゃって。電話終わった?」
「うん。志乃ちゃん、この間長崎を一人旅したんだって。お土産買ったから、近いうちに会おうって連絡だったの。待たせたわね」
「ううん、別に」
理世は荷物を放置した場所まで戻ると、両手に持ち直した。中身が増えたわけでもないのに、重みが増したように感じられた。
「片方持つわよ」
「いいよ、早く帰ろ」
自然と早歩きになった。
「回鍋肉よ」
「ピーマンが細切りの?」
「それは青椒肉絲。回鍋肉はキャベツがメインのやつ」
よく晴れた空と乾いた空気の、一一月最後の日曜日。
特に何の用事もなく、自室で暇を持て余していた理世は、少々高めのカップアイスのご褒美に釣られ、母親と共に近所のスーパーまでやって来た。
野菜・果物コーナーから肉・魚コーナーまで時間を掛けて食材を探してから、ようやく冷凍食品コーナー付近までやって来ると、理世は冷凍陳列棚の前を陣取った。
上段にはクッキー&クリーム、マカダミアナッツ、トリプルチョコレートにミックスベリー。よく選ぶ味なので、たまには違うものを選びたい。下段にはバニラ、ストロベリー、抹茶、そしてコーヒー。
ほぼ無意識に扉を開き、手を伸ばした。
「決まった?」
母親の声がして、理世は我に返った。
「あー……ごめん、ちょっと待って」
理世が手に取ろうとしていたのは、コーヒー味だった。何年か前に初めて食べたがあまり好きになれず、それ以降は一度も選んだ事がなかった。
──もう、直接言ってよね。
すぐ後ろ、あるいは隣にいるはずの男に、口には出さず抗議する。
──ほら、病院の時みたいに。
「まだ時間掛かるなら先行ってるわよ、向こうでお惣菜見てるから」
「ねえ、アイス二つじゃ駄目?」
「ええ? 一個にしておきなさいよ」
「じゃあ飲み物なら?」
「何飲みたいの」
「アイスコーヒー。プラカップに入ってるやつ」
「しょうがない。後で持ってきな」
「ありがと」
──それで我慢してね。
理世は再び扉を開けてストロベリー味を手に取ると、まだ大して離れていない母親の後を追った。
表道を通った行きと異なり、帰りは人気のない裏道を進んだ。かつては複数の住居兼個人商店が存在していたが、理世が高校を卒業するまでの間に商店は全て姿を消し、ちょっとしたシャッター通りと化してしまった。
理世が大学でのたわいない出来事を話していると、母親のスマホがトートバッグの中から着信を告げた。
「悪い、ちょっと持ってて」
右手に持った食料品でいっぱいの大きなビニール袋を娘に渡すと、理世の母親はトートバッグを漁った。
「重いから早くしてねー」
「相手の要件次第。あ、志乃ちゃんからだ」
志乃は母親の中学時代からの友人で、理世とも面識がある。
「もしもーし! 久し振り! 元気だったー?」
「お母さん、住宅街なんだからもうちょい抑えて……」
声を落としはしたが、興奮を抑え切れない様子で立ち止まったまま喋り続ける母親を置いて、理世はゆっくり進んでいった。
──重い……重過ぎる。
「今ねー、娘と近所に買い物行った帰り道なの。うん、大学一年」
──わたしがいるからって、醤油とみりんと牛乳と大根を一緒に買うなんて!
大して進まないうちに、理世は足を止めて両手の荷物をコンクリートにそっと置いた。バランスを崩しかけた大根を、しゃがみ込んで何とか直す。
「そうよねーあっと言う間。確か志乃ちゃんがうちの子に最後に会ったの、七、八年くらい前じゃなかった? そうそう、小学生で……」
──あ、マズい。早くしないとアイス溶けちゃう!
「お母さん、わたし先に帰──」
立ち上がりながら振り向いた理世の目に入ってきたのは、母親の姿ではなかった。黒いレザージャケットとロングスカート姿で、目元の化粧が濃く、長い黒髪をハーフアップにしている若い女は、つい最近初めて知り合った双子の片割れだ。
──マリアさん……それともユリアさん……?
「あー、見付け── あの──におね──けど」
女の声は、電波の入りが悪いスマホのように途切れ途切れだ。そして途切れる度に、連動してその姿も歪んだりぼやけたりする。
「えと、三島、さん? 一体何が──」
「あー、いまいち上手く──と伝えられ──」
理世は恐る恐る、マリアまたはユリアに近付いていった。
「大学生のおねーさん、あなた何処に住んで──住所──」
「え……?」
何故そんな事を知りたいのか。そもそもどういう原理でここに姿を現し、会話しているのか。疑問と疑念が脳内で渦巻き、やがてそれはじわじわと恐怖そのものとなって、理世の足を止めさせた。
──何か嫌だ。
見慣れた周囲の景色でさえ、何か別の不安定な要素に思えた。
──わたし、この人が……この人たちが苦手だ。
「磨陣市内でいいの? それか大学──」
「黙れ」理世の口から、本人の意思とは裏腹に飛び出したのは、苛立ったような低い男の声だった。「答える義理はねえ」
「あら、出て来てくれたの」マリアまたはユリアの声が弾んだ。「一番用が──は、あなたの方──」
「失せろ」
「あなたの事、もっと詳しく──」
「失せろと言ったのが聞こえなかったか」
「つれないわね」
「死にてえようだな」
暖かみなんて微塵も感じられない、鋭い刃物のような言葉が紡がれるのを、理世は黙って聞いている事しか出来なかった。刃先を向けられたのは対面の女だというのに、自分自身が切り付けられたような痛みが心臓をチクチクと刺激する。
「……まあいいわ、近いうちに探し出すから」
双子の片割れが空気に溶け込むようにして消えると、スマホを片手にきょとんした母親の姿が現れた。その数メートル後方からは、腰の曲がった老人がゆっくり歩いてくる。
「理世? どしたの、荷物も下に置きっぱなしで」
「……あ、ああうん」理世は曖昧に微笑んだ。「ちょっと重たくなっちゃって。電話終わった?」
「うん。志乃ちゃん、この間長崎を一人旅したんだって。お土産買ったから、近いうちに会おうって連絡だったの。待たせたわね」
「ううん、別に」
理世は荷物を放置した場所まで戻ると、両手に持ち直した。中身が増えたわけでもないのに、重みが増したように感じられた。
「片方持つわよ」
「いいよ、早く帰ろ」
自然と早歩きになった。
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