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第4話 縁

11 記憶

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 遠くの喧騒をぼんやり聞きながら、理世は河川の通る街中を一人で歩いていた。そろそろ西の空に沈もうとしている太陽は、最後の足掻きと言わんばかりに、強い光で街中を照らし続けている。
 塗装があちこち剥がれている短い橋を渡り、右に曲がって河川の上陸方向へと進み始めようとしたところで、理世ははたと気付いて足を止めた。
 
 ──……そういえばここら辺って……何処だっけ?

 記憶を巡らせる。アパート、マンション、民家、雑居ビルなどがあちこちに並んではいるが、特にこれといって惹かれるものはない。磨陣市内だったとは思うが、馴染みはない。しかし割と最近、誰かと一緒に歩いた事があるような気もする。

 ──そもそも、何で歩いているんだっけ?

 疑問はそのまま、無意識のうちに再び歩き出す。自分の意志のようでいてそうではない奇妙な感覚だが、抗えないし、抗おうという気も起きない。
 しばらく進むと、ラベンダー色の建物の前を通り掛かった。〈HOTEL イマジナリー〉と赤紫色の文字で書かれた看板は錆びており、敷地内の雑草が伸び放題かつゴミの不法投棄が多いところを見ると、とっくの昔に廃業したきりのようだ。

 ──ラブホテルの廃墟……そうだ、この先をもう少し歩いて……。

 更に数十メートル進むと、十字路が見えてきた。大通りに出るらしく、自動車が多く行き交っている。理世はその一本手前の、プレハブや古びた民家が建っている地点まで来ると足を止めた。

 ──……!

 三階建てのコンクリートビルと二階建てのプレハブの間の、何の変哲もない脇道。

 ──ああ、そうだ。ここを入っていったら──

「いだいいだいいだいいだい!!」

 すぐ近くで男の悲鳴が上がったかと思うと、理世の視界はぐにゃりと歪んだ。直後に正常に戻ると浜波市内の一角におり、片手だけで易々と鈴川の左手を捻り上げ、空いたもう片手で胸倉を掴んで壁に押し付けていた。

「もうとっくに一〇秒経ってんだよ、オッサン」
理世は若い男の声で言葉を発した。

「ひっ……!」

「生まれて来た事を後悔しな」

 意思に反して、理世の両手──よく見れば骨ばった男の手だ──が怯え切った鈴川の首を締め上げる。

 ──駄目!

 叫んでいるつもりだが、声は出なかった。

 ──駄目だよ、やめて!

 理世は、繰り返し必死に訴えた。

 ──やめて、お願いだから! 絶対に殺しちゃ駄目!!
 
 理世の口が舌打ちし、鈴川の首元から手が離れた。鈴川は咳き込み、怯え切った目で理世を見据えて唇を震わせ、

「も、もう会いませんから! 雑賀さんには二度と……!」

「そんな目するなよ。抉りたくなるだろ」

 若い男は淡々と、しかしどこか愉快そうに答えた。鈴川がヒュッと喉を鳴らすと、実際に口元を歪めた。

 ──もう、そんな事言って!

「うるせえ」

 鈴川は、わけがわからないといった表情を浮かべた。

 ──もう大丈夫。大丈夫だから。

 理世は宥めるように若い男に語りかけた。

 ──守ってくれて有難う。

「……失せろ」

 鈴川はガクガクと激しく何度も頷くと、慌ただしく走り去っていった。その背中をぼんやりと見送っているうちに、理世の意識は夢から覚醒するように徐々にはっきりとしてゆき、やがて完全に主導権を取り戻していた。

「……今日はもう帰ろう。ね?」

 行き止まりから出て、元来た道をゆっくりと戻る。鈴川が途中で待ち伏せしているのではないか、駅前の交番辺りから警官を連れて戻って来るのではないかという不安も過ったが、無事に浜波駅まで辿り着き、電車に乗る頃には杞憂となっていた。



「あの野郎、やっぱ叩っ殺したい!!」

 昼休み、大学の食堂。
 熱々のシーフードカレーとコップのフチギリギリまで注がれた水を乗せたトレーを運んで来たまひろは、着席するなり鼻息荒く物騒な事を口にして、周囲に座る何人かを振り向かせた。

「ま、まあまあ落ち着いて……」

 一足先にBLTサンドセットを味わっていた理世は、慌てて友人を宥めた。

「はあ……わたしって何でこう、男運ないんだろ? 長続きしないんだろ? ああもう、あのクソ野郎! いただきます!」

「まさかだよね……池田さんがそんな人だったなんて」

 カナデとのハロウィンデートの予定を、体調不良を理由に当日の朝にドタキャンされたは、他にやる事もなく、一日中自宅でゴロゴロしていた。ところが夕方頃、カナデからの[MINE]の誤爆──〝マイちゃん、今日のハロウィンナイトは目一杯楽しもうね! ホテルも超楽しみ〟──をきっかけに彼の二股を知ると一転、慌ただしい修羅場と化してしまった。
 メッセージで問い質しても埒が明かず、通話や直接会う事を渋るカナデに対し、まひろは彼が通う大学や内定先に暴露すると脅迫し、何とか通話に漕ぎ着けたのだった。

「元々彼女がいたのに遊び相手を探してたなんて、本当に最低だね」

「一応、街コン運営には通報しておいたよ。まだ返事は来てないけど」

「出禁にしてくれるといいね」

「うん。まあでも、懲りずに他の場所でもやりそうだけどね、ああいうヤツは! 地獄に堕ちろどクズ! ああ美味しい!」

「石塚、食べるか怒るかどっちかにすればぁ~?」

 まひろの後ろの席から、理世たちと同じ学科の男子、濱田はまだが茶化すように声を掛けてきた。連んでいる他の男子たちは、遠慮がちにまひろを見やっている。

「ショックで食欲落ちるってわけじゃないんだな。むしろやけ食いでパワーアップみたいな?」

「へっ、うるせーやい」

「俺もシーフードカレーにすれば良かったかな。美味そう」

「じゃあそのうどん寄越せ。可哀想なわたしに恵め」

「後で何か奢ってやるよ。ジュースとか」

「同情するなら金をくれ!」

「家ないのか?」

「まひろ、お疲れ」離れたテーブルから、まひろと仲のいい別の学科の女子、赤池あかいけがやって来た。

「あー、みったんお疲れ~」

「話、ちょっと聞こえてたよ。これ食べて元気出しな」

 赤池は、個包装されている大手メーカーのチョコチップクッキーをまひろに差し出した。

「わーん、みったんありがと~!」

 ──クッキー……。

 理世はキュロットのポケットからスマホを取り出し、昨日撮ったばかりの写真を表示した。運ばれてきた直後の可愛らしいハロウィンパフェ。紅芋クリームの上にちょこんと乗っているジャック・オー・ランタン型のクッキーは、この撮影直後に忽然と姿を消した。

 ──ねえ、憑依霊さん。

 返事がないのは承知の上で、理世は口に出さずに問い掛けた。

 ──もしかしてだけど……あなたが食べちゃった?

「みったん誰か紹介して~。てか今度合コンやろ!」

「急だなおい」

「理世ちゃんもまた一緒にさ! ね?」

「えっ? あ、ああ、うん……?」

「あれ、もう必要ない感じ? もしかして高橋さんと進展あり?」

「ううん、そうじゃないけど……とりあえず今はいいかなって」
 
 元々まひろのように本気で相手を欲していたわけではない。そのうえ鈴川との一件もあり、精神的に疲れてしまった。出会いだの恋愛だのは、しばらく考えないでおきたかった。

「やっぱ四対四ぐらいかな? 一年だけじゃなくて先輩方も一緒がいいよねー。あとお店はね、お酒とコーヒーどっちもやってるいい感じの所を知ってるんだけど──……」

 若干引き気味の赤池を巻き込んで合コン計画を熱く語るまひろを尻目に、理世は黙々とBLTサンドを食べ進めた。




 



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