放っておけない 〜とあるお人好しの恐怖体験〜

園村マリノ

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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱

03 アヤネ

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 コンビニ前の横断歩道で赤信号に引っ掛かった理世は、待つ間にスマホで芸能ニュースの一覧に目を通していた。

矢須田昌嗣やすだまさし 年下グラドルと真剣交際〟

 ──あ、モカが好きな俳優さんだ……ショック受けるかな。

RED-DEADレッドデッド 年内解散〟

 ──確かボーカルが大怪我負って、活動休止中だったんだっけ。

〝太陽テレビ藤巻ふじまきアナ 破局認める〟

 ──そっとしといてあげればいいのに。

〝東京動物園パンダ すくすく成長〟

 ──こういうニュースだけ流れる世の中にならないかなあ……。

 記事を開き、子パンダの動画へのリンクをタップしかけたところで、鳥の囀りが青信号への変化を告げた。

 ──帰ったら観よっと。

 スマホをショルダーバッグにしまい、横断歩道を渡り始めた時だった。

「アヤネ」

 耳元で低い声が聞こえ、理世は飛び上がらんばかりに驚いた。ほとんど歩みを止めた状態で振り返るも、至近距離どころか、自分と同じ方向へ渡る歩行者は一人もいない。反対に、コンビニ側からやって来る歩行者は数人おり、チラリと視線を向けてきたが、すぐに興味を失ったようだった。
 理世は横断歩道を渡り終えるともう一度振り返ってみたが、声の主らしき姿は見受けられなかった。

 ──空耳……だったのかな。

「いらっしゃいませー!」

 コンビニに入ると、レジに立つ店員たちに明るい挨拶で出迎えられた。オーナーが徹底しているのか、昔からこの駅前店には愛想が良く親切な店員しかおらず、近隣住民からの評判も高い。
 女性アイドルグループの代表曲が流れる店内を奥へと進み、スイーツコーナーへ。何種類もの誘惑が理世を歓迎しているようだった。

 ──んふふ、何にしようかな~っと。

「アヤネ」

 またも耳元で低い声がした。理世は反射的に振り返り、それからキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回したが、誰の姿もなければ、逃げたような気配もなかった。レジの若い女性店員と目が合うと、微笑みながら小首を傾げられたので、笑顔で小さく頭を下げて誤魔化した。

 ──一体何なの……?

 短時間に二度も空耳が、それも同じ単語が聞こえるだろうか。

 ──アヤネ……

 理世はハッと息を呑んだ。

 ──深町亜矢音?

 奥付がなく、検索しても情報が一切出て来ない謎の小説『生者の苦痛、死者の憂鬱』。その主人公と同名なのは、単なる偶然だとは思えなかった。

 ──あの本に何かあるの……?

 理世は何も購入せず、店員たちの挨拶を背に店を出た。

 ──帰ったら、あの本をもう一度調べてみよう。

 信号は赤に変わったばかりだったが、その間に子パンダの動画や芸能ニュースに目を通そうという気にはなれなかった。目の前を通り過ぎてゆく自動車をぼんやり見やりながら、早く青になってくれと祈る。

「それでさーアキトの奴、カッコつけてんだか照れてんだか知んねーけど、アンザイさんが来たら急に口数少なくなっちまって」

「両方じゃね?」

「ハハッ、見たかったわぁ~その場面」

 駅の方から中学生くらいの三人の少年がやって来て、理世より車道寄りの位置で足を止めた。

「え、ていうかマジでアキトはアンザイさんの事好きなワケ?」

「間違いなくそうだろアレは。アイツは何も言ってねーけど、見てるとすぐわかるぞ、アヤネ」

「でも多分アンザイさんは、三組のカドクラの事が好きなんだよなー、アヤネ」

「あーやっぱそうだよな、アヤネ」

 理世は思わず三人を凝視したが、何事もなかったように会話を続けている。

 ──聞き間違い? でも今、確かに……。

 鳥の囀りと共に信号が変わると、三人はじゃれ合いながら走り去っていった。

 ──どうしよう。

 理世は立ち止まったまま、無意識に両耳を塞ぐように手を持っていった。

 ──こんな調子じゃ、家に帰ってからだって──……

「アヤネ」

 三度目だからだろうか、今度はそれ程驚かなかった。しかし同時に、これまでとは違う点にも気付いてしまった事で、理世の全身に鳥肌が立った。

 ──……いる。

 青信号が点滅し、鳥の囀りが連続した短い警告音へと変わる。

 ──今度は、後ろに、いる。

 見たくない、見てはいけない──本能がそう訴えているにも関わらず、理世は恐る恐る振り向いていた。

「アヤネ」

 青白い顔をした男の生首が宙に浮いていた。

「ア、ヤ、ネ」

 目が合うと、生首はニタリと笑った。



 キッチンで夕飯の仕込みを終えた理世の母親がリビングに戻ると、夫は釣り雑誌を膝に置き眠っていた。

 ──ちょっと遅いわね。

 理世と電話でやり取りしてから、かれこれ四〇分以上が経過している。〈ムーンドラッグ〉から駅前のコンビニまでは、彼女の足なら七、八分で到着するはずだ。コンビニから自宅までは一〇分少々。スイーツ選びや会計に多少時間が掛かったのだとしても、もうとっくに帰宅していておかしくない。

 ──いらないとは言ったけど、やっぱり洗剤買ってくれてるのかしら。

「う……うう……」

 夢で魘されているのか、理世の父親は苦しそうな唸り声を上げた。

「お父さん? 大丈夫?」

「う……な、ま、くび……」

「生首?」

「はっ!?」
 
 理世の父親が目を覚ますと同時に玄関のドアが開き、理世が慌ただしい様子で帰宅した。

「お帰り」

「ただいま! でもまたすぐ出掛ける!」

「ええ? どうしたの」

「ちょっと急用!」

 理世は走って部屋に入り、ほんの数秒でまた出て来た──昨日のフリーマーケットで手に入れた青い本を手にして。

「じゃ、行って来る!」

「それはいいけど、何処まで?」

「えっと……図書館! この本についてちょっと調べたくって」

「ふーん?」

「あ、スイーツは用事が終わったら買うから! じゃ!」

 理世が帰宅時と同様に慌ただしく出て行くと、寝惚け眼の父親が玄関の方に振り向き、

「あれ、母さん理世は何処行くって?」

「図書館だって」

「へえ……」

「ねえお父さん、今さっき魘されてたみたいだけど、何か怖い夢でも見たの?」

「ん? ああ……何だっけ」

「生首がどうとかって」

「え、俺そんな事言ってたのか?」

「言ってた」

「そういや確かに嫌な夢を見ていた気もするけど……駄目だ、全然思い出せねえや」






 
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