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第2話 イワザワさん
06 怒り
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〈FOUR SEASONS〉一階。
高級ブランド店が並ぶ人通りの多い通路をある程度まで進むと、理世は足を止めた。
「……いた」
理世の視線の先には、黒色のノースリーブのワンピースに焦茶色のサンダルという、この時季には少々寒そうな服装をした少女が一人。
少女は理世に気付くとニヤリと笑い、壁から背を離した。
「意外と早かったね。まさか今日来るとは思わなかった」
「やっぱりあなたの仕業なのね?」
「そうだよ」
悪びれる様子を見せない少女に戸惑いながらも、理世は隣まで歩み寄った。
「何でわかったの? イワザワさんが偽者だって」
「お友達から聞いたの、都市伝説のイワザワさんがどんな存在なのかを。基本的にはちょっとした悪戯を好むだけのはずなのに、度が過ぎてておかしいなって」
「なるほどね」
「なるほどねって……」
理世は、徐々に込み上げてくる怒りを抑えた。度の過ぎた悪戯は悪い事だが、年端もいかない少女──本当の姿なのかはわからないが──を強く責めたくなかった。
「ねえ、どうしてあんな事したの?」
少女は答えない。
「……どうしてわたしだったの? 目の前を通り掛かったから?」
少女はやはり答えない。
理世は動揺した。少女が意地の悪い笑みを浮かべてだんまりを決め込んでいるからではない──自分自身の内側が、少女の三つ編みを引きちぎってやりたくてうずうずしている事に気付いたからだ。怒りを通り越したこんな乱暴な感情を覚えるのには慣れていなかった。
──落ち着け。落ち着けわたし。
「怒ってるんだよね」
「……そりゃあ──」
「それに、口より先に手が出るタイプだもんね、そっちは」
「……わたし、凄く怖かったわ。暗闇に無理矢理引っ張り込まれそうになったり、後を追い掛けられたり」
理世は少女の言葉を敢えて無視し、努めて優しい口調で語りかけた。自分に取り憑いている幽霊の事を言ったのだろう。詳細が気にはなったが、いちいち反応していると本題をはぐらかされそうだ。
「あなただって、同じ事されたら嫌でしょ? もう危ない悪戯はやめてほしいの」
「嫌だ」
「あ……あのね──」
少女はヒラリと身を翻すと、東側エリアの方へと駆け出し、通路の角で止まった。
「ちょ、ちょっと!」
理世が思わず出した大声に、周囲の客たちが振り向く。
「謝ってなんかやんなーい。どうしてもっていうんなら、捕まえてみなよ!」
「ええっ!?」
少女はあっかんべえすると、角を曲がって消えた。
「う、嘘ぉ……」
理世はよろめき、壁にもたれ掛かった。治まりかけていた脇腹の痛みが、じわじわとぶり返してきている。
──何で?
涙が溢れてきた。最初はただ買い物に来ただけだったというのに。
──何で意地悪するの?
理世の脳裏に、ほとんど忘れかけていたはずの古い嫌な記憶が朧げに蘇った。
小学校に入学してからあまり日が経たない頃。放課後、仲良くなったばかりのクラスメート、エリとリエに、この後一緒に遊ばないかと誘われたが、習い事があったので断った。すると二人は途端に態度を変え、ああだこうだと屁理屈をこね、なじってきた。理世は怖くなり、急いでいるからとそそくさとその場を後にした。
学校を出て大して進まないうちに、二人が走って追い掛けてきて、理世にわざとぶつかって笑った。無視すると、余計に気に入らなかったのか、わざわざ戻ってきてまたぶつかり、笑った。
それをしつこく何度も繰り返され、とうとう理世が泣き出すと、二人はようやく去っていった。
一番納得いかなかったのは、翌日、理世が二人に謝罪させられた事だ。当時、今以上に気弱だった理世は、従う他になかった。
「仕方ないなぁ~。理世ちゃんも反省しているみたいだしぃ~、許してやろう!」
二人とは三年時のクラス替えで離れ、中学校に上がってからは完全に疎遠となった。エリは高校入学後に悪いグループと連むようになりやがて中退、リエは足に難病を患い、自力での歩行に支障をきたしていると、去年か一昨年頃に風の便りに聞いた。
──こんな事、今思い出して……。
「あなた、大丈夫?」
声がした方へ向くと、三メートル程離れた位置から、八〇代くらいの腰の曲がった老婆が心配そうに理世を見ていた。
「具合悪いの?」
「あ、いえ……大丈夫です」
理世は壁から離れ、老婆に微笑んだ。
「そう? ならいいわ。ごめんなさいね、余計なお節介だったわ」
「い、いえそんな事! 有難うございました」
老婆は笑顔で小さく頭を下げると、ゆったりとした足取りで去っていった。
──しっかりしなきゃ。
理世は大きく深呼吸すると、少女が駆け出した方へと歩き出した。
──感傷に浸っている暇はないよね。追い掛けなきゃ、あの子を。
ショルダーバッグの中でスマホが震えた。取り出して確認すると、新規メモ画面に〝親切な人〟からのメッセージが三つも記されていた。
〝がきをつかまえろ〟
〝いためつけろ〟
〝ぜったいにゆるすな〟
──そっか……さっきのは、あなただったのね。
つい先程、少女に対して覚えた乱暴な感情。あれは自分のものではなかったのだと理解すると、理世は安堵の溜め息を吐いた。
──頭にきたのはわかるけど、そんな事は出来ないよ、憑依霊さん。
角を曲がり、ジュエリーショップや金券ショップの間を進んでゆき、途中の上りエスカレーター付近で一旦足を止める。
──根拠はないけど……上に行った気がする。
このだだっ広いショッピングモールの中で、よりによって生きた人間ではない存在と鬼ごっことは、骨が折れそうだ。しかしそれでも、たとえ丸一日掛かってでも絶対に捕まえてみせると決心し、理世はエスカレーターへと進んだ。
高級ブランド店が並ぶ人通りの多い通路をある程度まで進むと、理世は足を止めた。
「……いた」
理世の視線の先には、黒色のノースリーブのワンピースに焦茶色のサンダルという、この時季には少々寒そうな服装をした少女が一人。
少女は理世に気付くとニヤリと笑い、壁から背を離した。
「意外と早かったね。まさか今日来るとは思わなかった」
「やっぱりあなたの仕業なのね?」
「そうだよ」
悪びれる様子を見せない少女に戸惑いながらも、理世は隣まで歩み寄った。
「何でわかったの? イワザワさんが偽者だって」
「お友達から聞いたの、都市伝説のイワザワさんがどんな存在なのかを。基本的にはちょっとした悪戯を好むだけのはずなのに、度が過ぎてておかしいなって」
「なるほどね」
「なるほどねって……」
理世は、徐々に込み上げてくる怒りを抑えた。度の過ぎた悪戯は悪い事だが、年端もいかない少女──本当の姿なのかはわからないが──を強く責めたくなかった。
「ねえ、どうしてあんな事したの?」
少女は答えない。
「……どうしてわたしだったの? 目の前を通り掛かったから?」
少女はやはり答えない。
理世は動揺した。少女が意地の悪い笑みを浮かべてだんまりを決め込んでいるからではない──自分自身の内側が、少女の三つ編みを引きちぎってやりたくてうずうずしている事に気付いたからだ。怒りを通り越したこんな乱暴な感情を覚えるのには慣れていなかった。
──落ち着け。落ち着けわたし。
「怒ってるんだよね」
「……そりゃあ──」
「それに、口より先に手が出るタイプだもんね、そっちは」
「……わたし、凄く怖かったわ。暗闇に無理矢理引っ張り込まれそうになったり、後を追い掛けられたり」
理世は少女の言葉を敢えて無視し、努めて優しい口調で語りかけた。自分に取り憑いている幽霊の事を言ったのだろう。詳細が気にはなったが、いちいち反応していると本題をはぐらかされそうだ。
「あなただって、同じ事されたら嫌でしょ? もう危ない悪戯はやめてほしいの」
「嫌だ」
「あ……あのね──」
少女はヒラリと身を翻すと、東側エリアの方へと駆け出し、通路の角で止まった。
「ちょ、ちょっと!」
理世が思わず出した大声に、周囲の客たちが振り向く。
「謝ってなんかやんなーい。どうしてもっていうんなら、捕まえてみなよ!」
「ええっ!?」
少女はあっかんべえすると、角を曲がって消えた。
「う、嘘ぉ……」
理世はよろめき、壁にもたれ掛かった。治まりかけていた脇腹の痛みが、じわじわとぶり返してきている。
──何で?
涙が溢れてきた。最初はただ買い物に来ただけだったというのに。
──何で意地悪するの?
理世の脳裏に、ほとんど忘れかけていたはずの古い嫌な記憶が朧げに蘇った。
小学校に入学してからあまり日が経たない頃。放課後、仲良くなったばかりのクラスメート、エリとリエに、この後一緒に遊ばないかと誘われたが、習い事があったので断った。すると二人は途端に態度を変え、ああだこうだと屁理屈をこね、なじってきた。理世は怖くなり、急いでいるからとそそくさとその場を後にした。
学校を出て大して進まないうちに、二人が走って追い掛けてきて、理世にわざとぶつかって笑った。無視すると、余計に気に入らなかったのか、わざわざ戻ってきてまたぶつかり、笑った。
それをしつこく何度も繰り返され、とうとう理世が泣き出すと、二人はようやく去っていった。
一番納得いかなかったのは、翌日、理世が二人に謝罪させられた事だ。当時、今以上に気弱だった理世は、従う他になかった。
「仕方ないなぁ~。理世ちゃんも反省しているみたいだしぃ~、許してやろう!」
二人とは三年時のクラス替えで離れ、中学校に上がってからは完全に疎遠となった。エリは高校入学後に悪いグループと連むようになりやがて中退、リエは足に難病を患い、自力での歩行に支障をきたしていると、去年か一昨年頃に風の便りに聞いた。
──こんな事、今思い出して……。
「あなた、大丈夫?」
声がした方へ向くと、三メートル程離れた位置から、八〇代くらいの腰の曲がった老婆が心配そうに理世を見ていた。
「具合悪いの?」
「あ、いえ……大丈夫です」
理世は壁から離れ、老婆に微笑んだ。
「そう? ならいいわ。ごめんなさいね、余計なお節介だったわ」
「い、いえそんな事! 有難うございました」
老婆は笑顔で小さく頭を下げると、ゆったりとした足取りで去っていった。
──しっかりしなきゃ。
理世は大きく深呼吸すると、少女が駆け出した方へと歩き出した。
──感傷に浸っている暇はないよね。追い掛けなきゃ、あの子を。
ショルダーバッグの中でスマホが震えた。取り出して確認すると、新規メモ画面に〝親切な人〟からのメッセージが三つも記されていた。
〝がきをつかまえろ〟
〝いためつけろ〟
〝ぜったいにゆるすな〟
──そっか……さっきのは、あなただったのね。
つい先程、少女に対して覚えた乱暴な感情。あれは自分のものではなかったのだと理解すると、理世は安堵の溜め息を吐いた。
──頭にきたのはわかるけど、そんな事は出来ないよ、憑依霊さん。
角を曲がり、ジュエリーショップや金券ショップの間を進んでゆき、途中の上りエスカレーター付近で一旦足を止める。
──根拠はないけど……上に行った気がする。
このだだっ広いショッピングモールの中で、よりによって生きた人間ではない存在と鬼ごっことは、骨が折れそうだ。しかしそれでも、たとえ丸一日掛かってでも絶対に捕まえてみせると決心し、理世はエスカレーターへと進んだ。
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