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第1話 301号室
03 バッジを失くして
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「あ、三〇分経ったよ。そろそろお暇しよ」
生徒の大半から嫌われていた中学時代の英語教師に対する愚痴と悪口が途切れると、スマホを目にしたモカが理世に言った。
「えー、もう? まだまだ全然話し足りないよ」
「それはあたしも同じ。でも仕方ないよ。病院に迷惑掛けたら、ナナポタの心象が悪くなる」
「じゃあ、続きは退院したら」
「そうそう。落ち着いたら、また三人で会おうよ。ね、ナナポタ」
ナナノは、どこかぎこちなく微笑んだ。
「……どした?」
「……その、昨日、先生に言われたんだけど……」ナナノは小さく息を吐くと、意を決したように続けた。「手術で取った腫瘍、悪性の可能性もゼロじゃなさそうだって」
理世とモカは、思わず言葉を失った。
「最初に恐らく良性だろうって言って期待させといて、そりゃあないよね。結果は退院から二週間後に聞きに行くんだけどさ、今からビクビクしてる。すぐに色々と悪い方に考えちゃって」
「……きっと大丈夫」
理世はナナノの元まで来ると、自分より大きく、それでいて指の細い白い右手を、両手で包むように握った。
「御利益があるって有名な神社でお祈りしてきたんだから。お賽銭だって、一三〇五円入れてきたし!」
「え、そんなに?」
「何でそんな半端なのさ」
ナナノは目を丸くし、モカは苦笑した。
「手持ちのお金全部」
「なるほどねー……」
モカはナナノの左手を取った。
「可能性がゼロじゃないってだけで、確定じゃないんだ。あんた、中学時代から何かと運良かったじゃんか。信じようよ、自分を」
「ああ、そういえばナナポタって強運の持ち主だよね。初めて一人で遊びに行った東京で道に迷っちゃったけど親切なイケメン二人組に道案内されたり、倍率が滅茶苦茶高い声優さんのコンサートチケットが三回連続で当選したり、カラスに糞落とされても超ギリギリで汚れずに済んだり──」
「よく覚えてるね! 今言われるまでうち自身が忘れてたよ!」
モカが吹き出すと、理世とナナノもつられて笑った。
「ありがと。本当に有難う、二人共」ナナノはパジャマの袖で目頭を拭うと、大きく頷いた。「そうする。信じるよ」
理世とモカは、スタッフステーションのナースや事務員に挨拶してからエレベーターに乗り込んだ。
ナナノはエントランスまで見送りに行くつもりでいてくれたが、タイミング悪く、手術に携わった麻酔科医が術後の様子を窺いにやって来た。無理をさせたくないという考えもあり、二人はその場で別れの挨拶をして病室を後にしたのだった。
「ナナポタ、良性だといいね」
「そうだね」
A棟一階、エントランス。
モカはバッジをハンドバッグから外すと、理世に手を差し出した。
「一緒に返してくるよ。出口で待ってて」
「あ、じゃあお願い……あれっ!?」
理世のショルダーバッグから面会バッジが消えていた。
「ヤバッ、何処かで落としちゃったみたい!」
「え!?」
二人で足元を確認し、元来た通路を辿ってみるも、見付からない。
「というかあんた、ちゃんと付けたの?」
「うん、間違いないよ。三人で喋ってる時に。エレベーターか三階かな……」
「探しに行こ」
「ううん、わたし一人で行くよ。モカは座って待ってて」
「一人で平気?」
「どうしても見付からなかったら、ナースさんにも聞いてみるよ」
「じゃあ、あたしはまたこの辺探しとく」
「ごめん、よろしくね」
一人になると、理世は小さく溜め息を吐いた。
モカの手伝いを断ったのは、面倒を掛けてしまうのが申し訳ないという理由だけではなかった。何かと彼女に頼ってしまう、子供っぽい自分に嫌気が差したからだ。
──ナナポタだってしっかりしてるし。わたしだけだなあ……。
帰りに使用したエレベーターの中にも落ちていなかったので、理世はそのまま三階へ向かった。
──病室に落ちてて、ナナポタが拾ってくれてたりして。
エレベーターが到着し、フロアに出てすぐに、理世は違和感を覚えた。
──……暗い。
周辺の明かりが全て消えている。
──停電?
キュッ。
一歩踏み出した足音が、妙に大きく響いた。
──そういえば、何の音も、声も聞こえない……。
スタッフステーションを覗く。帰りにはナースと事務員を合わせて四、五人がいたはずだが、今は誰もいない。
──何かあったの?
理世が真っ先に心配したのは、ナナノの安否だった。エントランスに戻ってモカを呼ぶ事も考えたが、とりあえず301号室に向かった方が早い。
通路を右に数メートル進み、左に曲がる。談話室や浴室、トイレなどを通り過ぎ、突き当たりの右の部屋へ。
「……あれっ!?」
何気なく壁のプレートに目をやった理世は、更なる異変に気付いた。
「嘘……何で……?」
〝ポッター那奈乃〟と表示されていた部分は、ズタズタに切り裂かれ、読めなくなっている。
「ナナポタ……!」
理世は慌てて301号室に入った。とてつもなく嫌な予感がした。
生徒の大半から嫌われていた中学時代の英語教師に対する愚痴と悪口が途切れると、スマホを目にしたモカが理世に言った。
「えー、もう? まだまだ全然話し足りないよ」
「それはあたしも同じ。でも仕方ないよ。病院に迷惑掛けたら、ナナポタの心象が悪くなる」
「じゃあ、続きは退院したら」
「そうそう。落ち着いたら、また三人で会おうよ。ね、ナナポタ」
ナナノは、どこかぎこちなく微笑んだ。
「……どした?」
「……その、昨日、先生に言われたんだけど……」ナナノは小さく息を吐くと、意を決したように続けた。「手術で取った腫瘍、悪性の可能性もゼロじゃなさそうだって」
理世とモカは、思わず言葉を失った。
「最初に恐らく良性だろうって言って期待させといて、そりゃあないよね。結果は退院から二週間後に聞きに行くんだけどさ、今からビクビクしてる。すぐに色々と悪い方に考えちゃって」
「……きっと大丈夫」
理世はナナノの元まで来ると、自分より大きく、それでいて指の細い白い右手を、両手で包むように握った。
「御利益があるって有名な神社でお祈りしてきたんだから。お賽銭だって、一三〇五円入れてきたし!」
「え、そんなに?」
「何でそんな半端なのさ」
ナナノは目を丸くし、モカは苦笑した。
「手持ちのお金全部」
「なるほどねー……」
モカはナナノの左手を取った。
「可能性がゼロじゃないってだけで、確定じゃないんだ。あんた、中学時代から何かと運良かったじゃんか。信じようよ、自分を」
「ああ、そういえばナナポタって強運の持ち主だよね。初めて一人で遊びに行った東京で道に迷っちゃったけど親切なイケメン二人組に道案内されたり、倍率が滅茶苦茶高い声優さんのコンサートチケットが三回連続で当選したり、カラスに糞落とされても超ギリギリで汚れずに済んだり──」
「よく覚えてるね! 今言われるまでうち自身が忘れてたよ!」
モカが吹き出すと、理世とナナノもつられて笑った。
「ありがと。本当に有難う、二人共」ナナノはパジャマの袖で目頭を拭うと、大きく頷いた。「そうする。信じるよ」
理世とモカは、スタッフステーションのナースや事務員に挨拶してからエレベーターに乗り込んだ。
ナナノはエントランスまで見送りに行くつもりでいてくれたが、タイミング悪く、手術に携わった麻酔科医が術後の様子を窺いにやって来た。無理をさせたくないという考えもあり、二人はその場で別れの挨拶をして病室を後にしたのだった。
「ナナポタ、良性だといいね」
「そうだね」
A棟一階、エントランス。
モカはバッジをハンドバッグから外すと、理世に手を差し出した。
「一緒に返してくるよ。出口で待ってて」
「あ、じゃあお願い……あれっ!?」
理世のショルダーバッグから面会バッジが消えていた。
「ヤバッ、何処かで落としちゃったみたい!」
「え!?」
二人で足元を確認し、元来た通路を辿ってみるも、見付からない。
「というかあんた、ちゃんと付けたの?」
「うん、間違いないよ。三人で喋ってる時に。エレベーターか三階かな……」
「探しに行こ」
「ううん、わたし一人で行くよ。モカは座って待ってて」
「一人で平気?」
「どうしても見付からなかったら、ナースさんにも聞いてみるよ」
「じゃあ、あたしはまたこの辺探しとく」
「ごめん、よろしくね」
一人になると、理世は小さく溜め息を吐いた。
モカの手伝いを断ったのは、面倒を掛けてしまうのが申し訳ないという理由だけではなかった。何かと彼女に頼ってしまう、子供っぽい自分に嫌気が差したからだ。
──ナナポタだってしっかりしてるし。わたしだけだなあ……。
帰りに使用したエレベーターの中にも落ちていなかったので、理世はそのまま三階へ向かった。
──病室に落ちてて、ナナポタが拾ってくれてたりして。
エレベーターが到着し、フロアに出てすぐに、理世は違和感を覚えた。
──……暗い。
周辺の明かりが全て消えている。
──停電?
キュッ。
一歩踏み出した足音が、妙に大きく響いた。
──そういえば、何の音も、声も聞こえない……。
スタッフステーションを覗く。帰りにはナースと事務員を合わせて四、五人がいたはずだが、今は誰もいない。
──何かあったの?
理世が真っ先に心配したのは、ナナノの安否だった。エントランスに戻ってモカを呼ぶ事も考えたが、とりあえず301号室に向かった方が早い。
通路を右に数メートル進み、左に曲がる。談話室や浴室、トイレなどを通り過ぎ、突き当たりの右の部屋へ。
「……あれっ!?」
何気なく壁のプレートに目をやった理世は、更なる異変に気付いた。
「嘘……何で……?」
〝ポッター那奈乃〟と表示されていた部分は、ズタズタに切り裂かれ、読めなくなっている。
「ナナポタ……!」
理世は慌てて301号室に入った。とてつもなく嫌な予感がした。
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