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第1話 301号室
02 カラス
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ナナノが入院しているのは、理世とモカの自宅がある磨陣市の西隣、春川市内の大病院だ。
A棟一階、エントランス。
平日の午後のためか閑散としており、理世とモカ以外の見舞い客らしき人間の姿は見受けられない。
面会受付を済ませ、出入口横のコンビニで差し入れ──ナナノの好物である、かぼちゃプリンとペットボトルのアイスティーだ──を購入すると、フロア奥のエレベーターへ。二基あるが、どちらも上階で止まっている。
「バッジ付けた?」
「ううん、まだ。何処に付けとこうかな」
「そのショルダーバッグでいいんじゃない? 今付けちゃいな、こんな感じでさ」
モカは上端に面会バッジを付けた自分のハンドバッグを理世に見せた。
「いつの間に付けたの?」
「コンビニで」
「早いなあ」
「あんたが遅いの」
「えー」
「ほら来ちゃうよ」
「あー、ナナポタのとこ着いたらでいいや……」
301号室前。
理世は壁の白いプレートに目をやった。上部には太い黒文字で部屋番号、下部には一人分のスペースに〝ポッター那奈乃〟と表示されている。
「個室なんだね」
モカはドアハンドルに伸ばしかけた手を止め、
「ああ、言い忘れてたけど、そうみたい」
「大部屋だと他の人たちに気を遣うし、こっちの方がいいかもね」
「そうそう、同室の人の騒音も気にしなくていいし」
別の女性の声が答えると、二人はハッとして振り返った。薄い水色のレンタルパジャマを着た友人の笑顔を目にしただけで、理世の目頭はじんわりと熱くなった。
「ナナポタ!」
二人の声が重なると、ナナノは満面の笑みを浮かべた。
「来てくれてありがと!」
「当然だよ! 間に合って良かった」
「何処行ってたの?」
「動かなきゃ駄目だって言われてるから、フロア一周してたの。切開した部分はまだまだ痛むけどね」
「術後の経過は良好?」
「うん、おかげさまで問題なし。夕方に先生に診てもらって、OK出たら明日の朝退院。ああごめん、部屋入ろっか。暑かったでしょ」
部屋に入ると、ナナノは奥の窓際にある濃いピンク色のソファに座るよう二人に促し、自分はベッドの上に戻ろうとした。
「これ、下のコンビニで二人で買ったんだ。ちょっとだけど、良かったら食べて」モカは差し入れを手渡した。
「わ、ありがと!」ナナノは袋の中を覗くと、目を輝かせた。「これ好きなの覚えててくれたんだ! 後で貰うね!」
ナナノが床頭台の下の小さな冷蔵庫に差し入れをしまう間、理世はソファの左横の狭いスペースに立ち、掃き出し窓の白いカーテンを開き、外を覗いた。
すぐ目の前には狭い道路があり、挟んだ向こう側には同じ病院の別病棟が見える。こちらから見て左へ進むと駅方面で、その反対は緩やかな上り坂となっている。
何気なく坂道の先を見やろうとした理世は、バルコニーの右側に隣接する非常階段に気付いた。
──そういえば病室の横に出入口があったな。
「残念ながらいい景色とは言えないんだよね」ベッドに戻ったナナノが、少々不満そうに言った。「意外と人通りが少なくないから、カーテンはあっても着替える時はちょっと気を遣うよ」
「でも個室だと多少は気が楽なんじゃない?」ソファに腰を下ろしながら理世が尋ねた。「最初からここだったの?」
「ううん、元々大部屋だったんだ。だけどさ、初日に隣のおばさんの独り言と物音が酷過ぎて、次の日に手術控えてるってのに、ほとんど眠れなかったんだ!」
「ありゃ……」
「うわあ、きっつ!」
「術後は一旦個室に移って、特に問題がなければ、その次の日の午後に元の大部屋に戻るって予め説明されてたんだけど、手術前に看護師さんに事情を説明して、このままにしてもらったの。その分お金掛かっちゃうけどさ、あのまま大部屋だったら冗談抜きで発狂してたかも」
「注意してもらわなかったの?」
「真夜中にナースコールして頼んだけど効果なし」
「ああー……」
その他の入院中のエピソードや、理世とモカの近況報告などで会話は弾んだ。中学時代、よくこうやって三人で集まり、たわいない会話をしていた事を思い出し、理世は懐かしさを覚えた。
──まるで当時に戻ったみたい。
「あ、ごめん、ちょっとトイレ」モカが立ち上がった。「ここの使っていい?」
「うん、平気だよ」
モカがトイレに入ると、ナナノは理世に向き直った。
「そういえば理世、モカから聞いたんだけどさ」
「ん?」
「うちのために、神社行ってお祈りしてくれたんだって?」
「ああ、うん、そうだよ。近所にそこそこ有名な神社があって。腫瘍が良性でありますようにって」
「そこまでしてくれるなんて……ほんとにありがとね」
「ううん。友達なんだから、心配するのは──」
最後まで言い終えないうちに、理世は振り向いた。
「ん、どうしたの?」
「うん……ちょっと」
──誰かがいる……?
理世はソファの横に移動すると、再び掃き出し窓のカーテンを開き、非常階段に目をやった。
──あ。
非常階段の手摺に、一羽のカラスが止まっている。
──こんな所に。
カラスは微動だにせず、体と同じまっ黒い目で、理世の方をじっと見ている。
「え、何かある?」
ナナノが身を乗り出すと同時に、モカが戻って来た。
「ん、どしたの理世」
「カラス。カラスが階段のとこにいて、ずっとこっち見てる」理世は友人たちを交互に見ながら答えた。
「どれどれ?」
理世を真ん中にして、改めて三人で非常階段を覗く。
「あれっ」
カラスの姿は消えていた。
「今さっきまでいたんだよ」
「この近くの木に、巣でもあるんじゃない?」
「スズメの鳴き声ならよく聞くんだけどな」
モカとナナノはすぐに興味をなくしたようだったが、理世はあのカラスが、カラスの黒いビー玉のような目が、当分は忘れられそうになかった。
A棟一階、エントランス。
平日の午後のためか閑散としており、理世とモカ以外の見舞い客らしき人間の姿は見受けられない。
面会受付を済ませ、出入口横のコンビニで差し入れ──ナナノの好物である、かぼちゃプリンとペットボトルのアイスティーだ──を購入すると、フロア奥のエレベーターへ。二基あるが、どちらも上階で止まっている。
「バッジ付けた?」
「ううん、まだ。何処に付けとこうかな」
「そのショルダーバッグでいいんじゃない? 今付けちゃいな、こんな感じでさ」
モカは上端に面会バッジを付けた自分のハンドバッグを理世に見せた。
「いつの間に付けたの?」
「コンビニで」
「早いなあ」
「あんたが遅いの」
「えー」
「ほら来ちゃうよ」
「あー、ナナポタのとこ着いたらでいいや……」
301号室前。
理世は壁の白いプレートに目をやった。上部には太い黒文字で部屋番号、下部には一人分のスペースに〝ポッター那奈乃〟と表示されている。
「個室なんだね」
モカはドアハンドルに伸ばしかけた手を止め、
「ああ、言い忘れてたけど、そうみたい」
「大部屋だと他の人たちに気を遣うし、こっちの方がいいかもね」
「そうそう、同室の人の騒音も気にしなくていいし」
別の女性の声が答えると、二人はハッとして振り返った。薄い水色のレンタルパジャマを着た友人の笑顔を目にしただけで、理世の目頭はじんわりと熱くなった。
「ナナポタ!」
二人の声が重なると、ナナノは満面の笑みを浮かべた。
「来てくれてありがと!」
「当然だよ! 間に合って良かった」
「何処行ってたの?」
「動かなきゃ駄目だって言われてるから、フロア一周してたの。切開した部分はまだまだ痛むけどね」
「術後の経過は良好?」
「うん、おかげさまで問題なし。夕方に先生に診てもらって、OK出たら明日の朝退院。ああごめん、部屋入ろっか。暑かったでしょ」
部屋に入ると、ナナノは奥の窓際にある濃いピンク色のソファに座るよう二人に促し、自分はベッドの上に戻ろうとした。
「これ、下のコンビニで二人で買ったんだ。ちょっとだけど、良かったら食べて」モカは差し入れを手渡した。
「わ、ありがと!」ナナノは袋の中を覗くと、目を輝かせた。「これ好きなの覚えててくれたんだ! 後で貰うね!」
ナナノが床頭台の下の小さな冷蔵庫に差し入れをしまう間、理世はソファの左横の狭いスペースに立ち、掃き出し窓の白いカーテンを開き、外を覗いた。
すぐ目の前には狭い道路があり、挟んだ向こう側には同じ病院の別病棟が見える。こちらから見て左へ進むと駅方面で、その反対は緩やかな上り坂となっている。
何気なく坂道の先を見やろうとした理世は、バルコニーの右側に隣接する非常階段に気付いた。
──そういえば病室の横に出入口があったな。
「残念ながらいい景色とは言えないんだよね」ベッドに戻ったナナノが、少々不満そうに言った。「意外と人通りが少なくないから、カーテンはあっても着替える時はちょっと気を遣うよ」
「でも個室だと多少は気が楽なんじゃない?」ソファに腰を下ろしながら理世が尋ねた。「最初からここだったの?」
「ううん、元々大部屋だったんだ。だけどさ、初日に隣のおばさんの独り言と物音が酷過ぎて、次の日に手術控えてるってのに、ほとんど眠れなかったんだ!」
「ありゃ……」
「うわあ、きっつ!」
「術後は一旦個室に移って、特に問題がなければ、その次の日の午後に元の大部屋に戻るって予め説明されてたんだけど、手術前に看護師さんに事情を説明して、このままにしてもらったの。その分お金掛かっちゃうけどさ、あのまま大部屋だったら冗談抜きで発狂してたかも」
「注意してもらわなかったの?」
「真夜中にナースコールして頼んだけど効果なし」
「ああー……」
その他の入院中のエピソードや、理世とモカの近況報告などで会話は弾んだ。中学時代、よくこうやって三人で集まり、たわいない会話をしていた事を思い出し、理世は懐かしさを覚えた。
──まるで当時に戻ったみたい。
「あ、ごめん、ちょっとトイレ」モカが立ち上がった。「ここの使っていい?」
「うん、平気だよ」
モカがトイレに入ると、ナナノは理世に向き直った。
「そういえば理世、モカから聞いたんだけどさ」
「ん?」
「うちのために、神社行ってお祈りしてくれたんだって?」
「ああ、うん、そうだよ。近所にそこそこ有名な神社があって。腫瘍が良性でありますようにって」
「そこまでしてくれるなんて……ほんとにありがとね」
「ううん。友達なんだから、心配するのは──」
最後まで言い終えないうちに、理世は振り向いた。
「ん、どうしたの?」
「うん……ちょっと」
──誰かがいる……?
理世はソファの横に移動すると、再び掃き出し窓のカーテンを開き、非常階段に目をやった。
──あ。
非常階段の手摺に、一羽のカラスが止まっている。
──こんな所に。
カラスは微動だにせず、体と同じまっ黒い目で、理世の方をじっと見ている。
「え、何かある?」
ナナノが身を乗り出すと同時に、モカが戻って来た。
「ん、どしたの理世」
「カラス。カラスが階段のとこにいて、ずっとこっち見てる」理世は友人たちを交互に見ながら答えた。
「どれどれ?」
理世を真ん中にして、改めて三人で非常階段を覗く。
「あれっ」
カラスの姿は消えていた。
「今さっきまでいたんだよ」
「この近くの木に、巣でもあるんじゃない?」
「スズメの鳴き声ならよく聞くんだけどな」
モカとナナノはすぐに興味をなくしたようだったが、理世はあのカラスが、カラスの黒いビー玉のような目が、当分は忘れられそうになかった。
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