放っておけない 〜とあるお人好しの恐怖体験〜

園村マリノ

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プロローグ

取り憑かれてる?

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「ちょっと、お嬢ちゃん」

 老いた弱々しい掠れ声に、雑賀理世さいかりよは反射的にスマホから顔を上げた。目の前に、中肉中背、側頭部にかろうじて白髪が残っているだけの七〇代くらいの男性が立っている。
 何でしょうか、と理世が尋ねるよりも先に、老人が再び口を開く。

「実はね、さっきお金落としちゃって。持っていた分、全部」

「お金を全部?」理世はスマホを持つ左手を下げ、改めて老人に向き直った。

「そうなんだよお。せっかくここまで来たのに、このままじゃ家に帰れない……」

 老人は理世の後方、JR線日張ひばり駅改札を見やり、再び理世に視線を戻した。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。

「だから、電車賃、貸してくれないかねえ」

「いいですよ!」理世は何のためらいもなく、左肩のショルダーバッグから長財布を取り出した。「おいくら必要ですか?」

「五〇〇円」

 財布を開くと、一〇〇円玉に混じって五〇〇円玉が一枚。理世はやはり何のためらいもなく取り出すと、掌に置いて老人の前に差し出した。

「いやあ、どうもね──」

「コラ、アンタ」

 節くれ立った指が五〇〇円玉に触れる直前、大きな手が老人の右肩に置かれた。

「またそんな事やってんのか!」

 一八〇センチ以上はある、がっちりとした体格の若い警察官だ。振り返った老人は、しまったと言わんばかりの表情を見せた。

「詐欺の常習ですよ、この人は」

 きょとんとしている理世に、警察官は淡々と告げた。

「え……?」

「所持金を落としただの盗まれただのって理由で、交通費を貸してほしいってね。連絡先を聞いても、デタラメです。体を触られたと訴える女性の被害者もいるんですよ。あなたは大丈夫でしたか?」

 理世はギョッとして老人を見やったが、不満げに何やらぶつくさ呟いており、視線を合わせようとしない。

 ──そ、そうだったの?

 周囲の人々からの視線が刺さる。理世は自分が咎められているように感じた。

「ほら、とりあえずそこの交番まで来てもらう!」

 去りゆく二人の背中を呆然と見送っていた理世だったが、改札から押し寄せる人波に我に返った。待ち合わせてしている友人の姿はまだ見当たらない。トークアプリに、寝坊したので遅れるとメッセージが届いていたので、もう少し時間が掛かるのかもしれない。

 ──モカに話したら、呆れられちゃうだろうな。

 理世は幼少時から、困っている人間がいると放っておけなかった。たとえ相手が赤の他人だろうが、関わるのはまずそうな外見をしていようが、自分をいじめる奴だろうが関係ない。そしてそのせいで、かえって嫌な思いや損をする事もあった──そう、たった今起こった詐欺未遂みたいに。
 これから会う事になっている中学時代からの友人・大松萌香おおまつもかには、お人好し過ぎると度々指摘されていたし、一応自覚してもいるが、この性質はそう簡単に変えられそうにはない。

「お待たせ!」

 人波が落ち着いた頃、ようやくモカが姿を現し、走って改札を出て来た。タイトな服装にバッチリメイク、ピンクベージュに染めたロングヘアーを後頭部で一つに纏めている。ルーズな服装にナチュラルメイク、真っ黒いショートヘアーの理世とは対照的だ。

「ごめん、目覚ましセットし忘れててさ! んで今ちょっとトイレ行ってた!」

「いいよ、大丈夫。仕事で疲れてるんでしょ」

「まあ、それもあるかもだけど、とにかくごめん。あ、お昼どうする? ちと早いけど〈Remy'sレミーズ〉でも行く?」

「そうだね、お昼にしよう」

 理世がスマホをしまうと、それが合図のように二人は同時に日陰から出た。途端に不快感が全身を襲う。九月に入ったからといって、涼しくなるわけでもなければ、日差しが和らぐわけでもない。

「さっきね、詐欺に遭いかけちゃって」

 目的地に向かう途中、理世はつい先程の出来事を話した。全て聞き終わると、モカは呆れたような表情を浮かべた。

「そういう時はね……駅か交番で頼むように言うんだよ」

「ああ、そっか! 流石はモカ」

 モカは苦笑しながら溜め息を吐いた。

「でも、騙されかけたのはショックだったけど、あのおじいさんがお金を落としてないなら良かったかなって」

「……あ、あのねえ……」

 横断歩道に差し掛かり、信号待ちのために足を止めると、モカは捲し立てるように続けた。

「ほんっともう、お人好しにも程がある! 相手は詐欺の常習で、他に被害者もいたんでしょ? おまわりさんが来てくれなかったら、あたしがもっと遅かったら、五〇〇円無駄にしてたんだよ!?」

「う、うん」理世は圧倒されつつ何度も頷いた。

「そういえばあんた、前回会った時もさ、いかにもガラの悪そうな男に声掛けて、酷い態度取られてたじゃんか!」

「ああ、そうだったね。でもあの人、本当に具合悪そうだったし──」

「もっとこう、人生が破滅しかけるくらい酷い目に遭わないと、あんたのその性格は変わらないんだね」

「ええー……」

 二、三メートル前方に立つ高齢の女性が振り向き、怪訝そうに二人を見やった。モカのキツい口調が気になったのだろう。
 しかし理世は、中学二年時からの付き合いである友人の性格をよく理解している。このキツさは、本気で心配してくれているからこそだ。容姿だけでなく、性格や思考にも違いの多い二人だが、進級後初めての席替えで隣同士になったその日のうちに、すっかり打ち解けていた。



 横断歩道を渡り右へ十数メートル歩き、薄桃色のビルの階段を地下一階まで下りると、ファミレス大手チェーン〈Remy's〉が待ち構えている。

「いらっしゃいませ!」

 ガラス扉を引くと、四〇代半ばくらいの女性店員が二人を出迎えた。胸元の小さな名札には〝店長代理 ささき〟とある。

「お客様は、でよろしいですか?」

「いえ、二人です」

 モカは訂正すると、確認するようにチラリと振り向いたが、自分たち以外は誰の姿もなかった。

「あ、失礼致しました。二名様、こちらへどうぞ」

 店内奥、窓際の四人掛けの席に通された。着席し、店員が去ると、モカはテーブルの端から二人分のメニューブックを取りつつ小首を傾げた。

「何で三人だと思ったんだろね」

「あー……うん、その……」理世の顔に苦笑が浮かんだ。

「何、どした」

「さっきのは多分……わたしのせいだと思う」

「へ? 何でよ」

「えーと……」理世は開きかけていたメニューブックを一度閉じた。「実はね……」
 
 理世の身に最初の異変が起こったのは、七月の中旬、夏休みが始まった頃だった。
 一人で飲食店に入った際、すぐ近くに他の客がいなかったにも関わらず、二名様ですかと聞かれた。
 飲食店を出た後、繁華街を歩いていたら、エナジードリンクの試供品を二本配られたが、他の通行人には一本ずつしか配っていなかった。
 そして帰りの電車内では、混んでいるのにも関わらず、自分の右隣の空席には誰も座ろうとしなかった。思い返してみれば、行きの電車でも、途中から乗って来た男性が左隣に座ったものの、何故かすぐに席を替えてしまい、それからはずっと空いたままだった。

「その日だけかと思いきや、今でも似たような事が起こり続けてるの。毎日じゃないけどね」

 モカは口を半開きにしている。

「だからさっき、三名様かって聞かれたのも、間違いなくわたしが原因。今まで一人行動ばっかりだったからわかんなかったけど、二人でもこうなっちゃうんだな、って──」

「いやいやあんた! 呑気か!」

 モカが思わず大声を出すと、近くの席の客たちがこちらを向いた。

「不定期的とはいえ、一箇月以上続いてるんでしょ?」モカは声を落とした。「それ、結構ヤバいよ」

「ヤバいかな」

「うん。ひょっとしたらあんた……ツカレテルんじゃないの?」

? いやいや、働いてるモカ程じゃないよ~」

「……そっちじゃないっての」

 モカが小さく溜め息を吐くと、理世はようやく正しい意味を理解した。

「え、え、じゃあまさか……」

「そう。取り憑かれてるんじゃないのかって……幽霊に」

 男性店員──名札には〝店長 うえだ〟の文字がある──が、モカの後ろを通り過ぎる際、目が合った理世にニコリと微笑みかけた。

「あ、モカ、そろそろ注文した方がいいかも」

「そうだね、ずっとお喋りしていても……ってあんた、怖くないの?」

「うーん、まあそんなには」

「マジで?」

「本当に幽霊だったとしても、酷い悪さされてるわけじゃないし、体調不良にもなってないから、そのうち元に戻るんじゃないかなって」

「そういうもんかねえ……」モカは眉をひそめた。「あたしは結構心配なんだけど」

「大丈夫だよ。有難う」

 二人は一旦会話を中断し、メニュー選びに集中した。数分後に注文が終わると、理世が先にドリンクバーに向かった。

 ──度胸あるというか、呑気というか。

 ガラスのコップを手に、何を選ぶか迷っている様子の友人の背中を眺めながら、モカは呆れつつも自然と微笑んでいた。

 ──あんたって本当、面白くって大好きだよ。



 出入口付近の客席に料理を運び、厨房に戻る途中で佐々木ささきは、ドリンクバーにいる女性客の後ろ姿に気付いた。数十分前に応対した若い娘二人のうちの、地味な方だ。

 ──あれっ?

 ガラスのコップをジュースのディスペンサーにセットする娘の斜め後ろには、背中に刺繍の入った黒色のジャンパーを着て、そのポケットに両手を突っ込んだ男が一人。順番待ちにしては距離が近過ぎるが、娘に気にしている様子がないところを見ると、連れなのだろう。

 ──やっぱり三人だったんじゃ──……

「いらっしゃいませーっ!」

 店長の掛け声に、佐々木は反射的に出入口へと振り向いた。ゆっくりと店内に入って来たのは、常連の老夫婦だ。

「いらっしゃいませ!」

 店長に負けじと声を出し、目が合った老夫婦に会釈すると、佐々木は厨房へと戻っていった。ドリンクバーの二人の事は、頭の中から消え去っていた。


 
 
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