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──大学2年・混迷の夏
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それは七生にとって、ガラスで出来た温室のように狭くて孤独な夏だった。
「帰るの?」
ベッドの中で寝ぼけ眼を擦りながら、昨夜までは見知らぬ人だった青年が七生にたずねた。
「ええ、貴方もそろそろ出勤の時間なんじゃないですか?」
七生は朝日の差し込むカーテンの隙間を見詰め、シャツのボタンを掛けながら極めて事務的な口調で受け答えする。
「ふっ……冷たいんだな。まぁ、君にとってはどうせ一夜の遊びなんだろうから……」
そこは新宿二丁目に近い安ホテル──手狭な小部屋にやたらとベッドだけがバカでかい。
「やめて下さいそんな言い方。僕は別に売った訳でも買った訳でもありません。フィーリングが合って貴方とこうなった事はラッキーだったと思っています。楽しい夜を過ごせました」
「なんだか、そんな言い方をされるのも悲しいな。うん、時間は大丈夫。出勤にはまだ余裕が有るから」
「そうですか。ではごゆっくり……」
身支度を整えた七生は早々にこの冷めた空気の部屋から退散しようと、背を向けた。
「つれないんだな。噂通りだ…」
もの惜しげに青年が呟く。
「噂……?ふふっ、あいつは誰とでも寝るんだ……とか?」
自分の事を面白そうに揶揄する七生。
「そ、そんなじゃないよ!」
「いいですよ、別に。……そんな噂を耳にしたから、だから僕を誘ったんですよね?」
「違う!……僕は君を見て、君に惹かれたから……」
「そうでしたか、僕も貴方で良かった。優しくしてくれてありがとうございました。じゃ……」
「あ、待ってよ」
退室しようとする七生を青年は慌てて呼び止めた。
「僕が聞いた噂ってのは、君が特定の彼氏を作らない、って話なんだけど……やっぱりそうなの?」
「特定の彼氏……って。あの、僕には特定の親友がいますから」
「え?」
「特定の親友がいるから、僕には彼氏なんていらないんです」
「それ……どう言うこと?」
「申し訳ありませんが、急ぎますから……」
そう言って七生は相手に有無も言わせず部屋を出た。その途端、利き過ぎた冷房に身を震わせる。
(なんて寒い夏なんだろう……)
またひとつ悲しみを増やして、七生は一人ホテルを飛び出した。
自販機からサイダーを買い、口に含んでうがいをする。喉にしみる炭酸の痛みが心を救った。
(朝日が眩しい……)
大都会東京──その気になれば一夜の恋などいくらでも転がっている街角。
男達が集まるこの街に七生が足を踏み入れる事になったのも、元はと言えば和志に対するやり場の無い思いを、ここで少しでも忘れる事ができるなら──と、極めて消極的な理由だった。
しかし結局、どこで何をしようが七生には到底、和志を親友として割り切る事など出来そうになかった。
出来たのはただその場限りの顔見知りと、そこに行けば何となく時間が潰せる馴染みの店くらいのもの。
そして知った事と言えば、節操も無く繰り返される刹那的な恋の数々と、あまりにも簡単で衝動的な本能の行為──。
和志の代わりなんて存在する筈もない。まして欲求の解消だなんてとんでもない。
七生は逃げ込みたかっただけなのだ、どこか正直な自分を委ねられる場所へ──。
(和志……君を親友と思うには、今の生活は残酷過ぎるよ……)
親友に戻ると決めたあの日から半年、七生は和志の手にも触れず、ただ微笑みの仮面を被り続けて、辛く不安定な精神状態をやり過ごして来た。
そんな七生には、やはり何かしら心の拠り所が必要だった。が、しかし、結局何をしても癒やされる事なく、せめて自分を陥れ、蔑む事くらいしか出来なかった。
(今までずっと恋人だと思っていた相手の事を、ある日突然、親友と思えだなんて。和志……君には出来るの?そんな事……)
七生の脳裏に、昨夜行き付けの店で隣り合わせた訳知りの言葉が甦る。それは最近知り合った飲み友達で、愚痴を聞いて貰うにはありがたかった。
「その彼の気持ち、何となく分かるな~、彼はまだ、自分のアイデンティティーが確立出来ていないんだよ。俺たち誰でも一度は思うだろ?こんな事でいいのかな~?って…。こんな事もそんな事も、結局自分で選べる事じゃないのにね。きっと彼は、君以上に悩んでいるよ?」
(和志が、僕以上に悩んでいるのだろうか?)
七生にはそうは思えなかった。
話題にこそ出さないけれど、どうやら和志は例の彼女との付き合いに時間を取っているようだ。そしてその頻度は日を追うごとに増えている。
(和志、僕は辛いよ。一緒に暮らしていると、知りたくない事まで見えてしまう……)
再び甦る昨夜の会話──。
「大丈夫さ、彼はきっと戻って来るよ。どんなに彼女を愛そうとしたって、そんなこと出来やしないんだから。でもまぁ、逆に本当は女が好きだった、ってなら話は違って来るけどね」
(どうなんだろう?和志は……)
七生には和志を信じる事が出来なかった。
─────急ぎ帰宅した。
そっとドアを開けてみと、和志がDKでコーヒーを飲んでる。
(しまった!顔を合わせた……)
「遅かったじゃないか、って言うより、早かったね?と言うべきなのかな……」
和志が低い声で口火を切った。
「起きていたんだね、こんなに早く」
微笑みを浮かべながら切り返す七生。多分和志は寝ていない──その顔色を見れば、七生には十分に察しがつく。
「誰と、どこへ行っていたんだ」
「うん、友達とちょっと」
「友達って?」
「ふっ、友達は友達だよ?和志と同じさ……」
「…………」
七生の口調に嫌味は無い。そのすこぶる楽しげな様子に、和志は黙り込むしかなかった。
「シャワーを浴びるから」
和志の前で臆面もなく全て衣服を脱ぎ捨てる。和志は今更のように顔を赤らめ、視線を外した。
「絵理が、ぜひ七生と会いたいって……」
「話したの?僕のこと」
「ああ、一緒に暮らしているんだ、当たり前だろ?」
「どこまで?」
「初等部の頃からの親友だって」
「そうじゃなくて、一緒に暮らしていること、ルームシェアって?それとも同棲って?」
「七生!意地悪言うなよ……」
「そうだね、僕が意地悪だった」
身体が熱い。喉の乾きが痛みのようだ──。
「僕は会いたくないな……」
空ろに無表情な声を漏らした。
「七生?」
「絶対に嫌だから!!」
激しい叫びを和志に打つけ、
七生は浴室へと飛び込んだ。
「帰るの?」
ベッドの中で寝ぼけ眼を擦りながら、昨夜までは見知らぬ人だった青年が七生にたずねた。
「ええ、貴方もそろそろ出勤の時間なんじゃないですか?」
七生は朝日の差し込むカーテンの隙間を見詰め、シャツのボタンを掛けながら極めて事務的な口調で受け答えする。
「ふっ……冷たいんだな。まぁ、君にとってはどうせ一夜の遊びなんだろうから……」
そこは新宿二丁目に近い安ホテル──手狭な小部屋にやたらとベッドだけがバカでかい。
「やめて下さいそんな言い方。僕は別に売った訳でも買った訳でもありません。フィーリングが合って貴方とこうなった事はラッキーだったと思っています。楽しい夜を過ごせました」
「なんだか、そんな言い方をされるのも悲しいな。うん、時間は大丈夫。出勤にはまだ余裕が有るから」
「そうですか。ではごゆっくり……」
身支度を整えた七生は早々にこの冷めた空気の部屋から退散しようと、背を向けた。
「つれないんだな。噂通りだ…」
もの惜しげに青年が呟く。
「噂……?ふふっ、あいつは誰とでも寝るんだ……とか?」
自分の事を面白そうに揶揄する七生。
「そ、そんなじゃないよ!」
「いいですよ、別に。……そんな噂を耳にしたから、だから僕を誘ったんですよね?」
「違う!……僕は君を見て、君に惹かれたから……」
「そうでしたか、僕も貴方で良かった。優しくしてくれてありがとうございました。じゃ……」
「あ、待ってよ」
退室しようとする七生を青年は慌てて呼び止めた。
「僕が聞いた噂ってのは、君が特定の彼氏を作らない、って話なんだけど……やっぱりそうなの?」
「特定の彼氏……って。あの、僕には特定の親友がいますから」
「え?」
「特定の親友がいるから、僕には彼氏なんていらないんです」
「それ……どう言うこと?」
「申し訳ありませんが、急ぎますから……」
そう言って七生は相手に有無も言わせず部屋を出た。その途端、利き過ぎた冷房に身を震わせる。
(なんて寒い夏なんだろう……)
またひとつ悲しみを増やして、七生は一人ホテルを飛び出した。
自販機からサイダーを買い、口に含んでうがいをする。喉にしみる炭酸の痛みが心を救った。
(朝日が眩しい……)
大都会東京──その気になれば一夜の恋などいくらでも転がっている街角。
男達が集まるこの街に七生が足を踏み入れる事になったのも、元はと言えば和志に対するやり場の無い思いを、ここで少しでも忘れる事ができるなら──と、極めて消極的な理由だった。
しかし結局、どこで何をしようが七生には到底、和志を親友として割り切る事など出来そうになかった。
出来たのはただその場限りの顔見知りと、そこに行けば何となく時間が潰せる馴染みの店くらいのもの。
そして知った事と言えば、節操も無く繰り返される刹那的な恋の数々と、あまりにも簡単で衝動的な本能の行為──。
和志の代わりなんて存在する筈もない。まして欲求の解消だなんてとんでもない。
七生は逃げ込みたかっただけなのだ、どこか正直な自分を委ねられる場所へ──。
(和志……君を親友と思うには、今の生活は残酷過ぎるよ……)
親友に戻ると決めたあの日から半年、七生は和志の手にも触れず、ただ微笑みの仮面を被り続けて、辛く不安定な精神状態をやり過ごして来た。
そんな七生には、やはり何かしら心の拠り所が必要だった。が、しかし、結局何をしても癒やされる事なく、せめて自分を陥れ、蔑む事くらいしか出来なかった。
(今までずっと恋人だと思っていた相手の事を、ある日突然、親友と思えだなんて。和志……君には出来るの?そんな事……)
七生の脳裏に、昨夜行き付けの店で隣り合わせた訳知りの言葉が甦る。それは最近知り合った飲み友達で、愚痴を聞いて貰うにはありがたかった。
「その彼の気持ち、何となく分かるな~、彼はまだ、自分のアイデンティティーが確立出来ていないんだよ。俺たち誰でも一度は思うだろ?こんな事でいいのかな~?って…。こんな事もそんな事も、結局自分で選べる事じゃないのにね。きっと彼は、君以上に悩んでいるよ?」
(和志が、僕以上に悩んでいるのだろうか?)
七生にはそうは思えなかった。
話題にこそ出さないけれど、どうやら和志は例の彼女との付き合いに時間を取っているようだ。そしてその頻度は日を追うごとに増えている。
(和志、僕は辛いよ。一緒に暮らしていると、知りたくない事まで見えてしまう……)
再び甦る昨夜の会話──。
「大丈夫さ、彼はきっと戻って来るよ。どんなに彼女を愛そうとしたって、そんなこと出来やしないんだから。でもまぁ、逆に本当は女が好きだった、ってなら話は違って来るけどね」
(どうなんだろう?和志は……)
七生には和志を信じる事が出来なかった。
─────急ぎ帰宅した。
そっとドアを開けてみと、和志がDKでコーヒーを飲んでる。
(しまった!顔を合わせた……)
「遅かったじゃないか、って言うより、早かったね?と言うべきなのかな……」
和志が低い声で口火を切った。
「起きていたんだね、こんなに早く」
微笑みを浮かべながら切り返す七生。多分和志は寝ていない──その顔色を見れば、七生には十分に察しがつく。
「誰と、どこへ行っていたんだ」
「うん、友達とちょっと」
「友達って?」
「ふっ、友達は友達だよ?和志と同じさ……」
「…………」
七生の口調に嫌味は無い。そのすこぶる楽しげな様子に、和志は黙り込むしかなかった。
「シャワーを浴びるから」
和志の前で臆面もなく全て衣服を脱ぎ捨てる。和志は今更のように顔を赤らめ、視線を外した。
「絵理が、ぜひ七生と会いたいって……」
「話したの?僕のこと」
「ああ、一緒に暮らしているんだ、当たり前だろ?」
「どこまで?」
「初等部の頃からの親友だって」
「そうじゃなくて、一緒に暮らしていること、ルームシェアって?それとも同棲って?」
「七生!意地悪言うなよ……」
「そうだね、僕が意地悪だった」
身体が熱い。喉の乾きが痛みのようだ──。
「僕は会いたくないな……」
空ろに無表情な声を漏らした。
「七生?」
「絶対に嫌だから!!」
激しい叫びを和志に打つけ、
七生は浴室へと飛び込んだ。
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