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四章 果て無き雲の彼方へ

No,99   帆ノ崎にて①

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 帆ノ崎の町はずれにひっそりと建つ加藤家の菩提寺。その墓地の片隅に静枝は眠っていた。
 耕造によりそれを知らされた明彦はその翌日──早速に母の墓前に参っていた。


(母さん、こんな形であなたと再会する事になろうとは、俺は思いもしなかった…… )


 24年の歳月を経てやっと巡り会えた母と子。
──しかし、母は既に冷たい墓標となっていた。


(知りませんでした、母さんの事を何も……
母さん、俺は一体どうしたら良いのでしょう?
同じ母さんから生まれた実の弟……祐二を、俺は違った形で愛し、歪んだ思いを抱き、陵辱してしまった。
こんなにも残酷で辛い、そして浅はかにも滑稽な話があるでしょうか?
母さん……俺は……)


 果てしなく苦悩する明彦の脳裏に、今朝、出掛けに会った絹子の姿がふっと浮かんだ。
 墓前に合わせる明彦の両手に、握り締めてくれた絹子の手の温もりが蘇ってくる。

──それは、今玄関を出ようとしていたその時であった。

「明彦さん、お待ちになって 」
「お母さん」

「お父様から全ての事情を聞きました。
静枝さんの、貴方のお母様のお墓へいらっしゃるのねぇ」
「はい、行って参ります」

 全ての事情を知った養母。  
 こんな場合でさえいつもと変わらず、抑揚の薄いまったりとした言葉付きに明彦は戸惑う。

「貴方が、お父様の血を受け継ぐ実のお子だったとは……
そうねぇ、確かにそれを知らされて貴方を引き取ったのでは、わたくしは貴方に対して優しく接してあげられなかったかも知れない。
けれども今となっては、その事実を知って貴方を憎むにはあまりにも長い歳月、貴方を息子として愛し過ぎました」

「お母さん?」

 少女のようなか細い声色。しかしどこか冷たさを漂わせる絹子の口調から「愛」という言葉を聞き、明彦は意外に感じた。

「この長い歳月、重大な事実を隠され、何も知らされずにいたわたくしがどれほど傷付き、憤慨しているか……
けれども今となっては、わたくしは自分の怒りよりも貴方の事の方が心配ですのよ?
わたくしでさえこれほど動揺しているのですから、当事者である貴方の傷心はいかばかりかと……
ほほほ、お父様は策士ねぇ、
結局わたくしは丸め込まれてしまいましたの」
「お母さん、知りませんでした。あなたは僕をそんな風に……」

「わたくしは、孤児と言う境遇の貴方がこの家に入ってからも、一度としてその事で貴方を貶めた事はありません。
わたくしは公家に生まれ、人と違うように育てられて来ましたけれど、でも家柄や血筋よりも、その人本来の性根を見ようとする人間です。
そうでなければ、どうして豪田家のような新興の商家に嫁い来たでしょう。わたくしには旧伯爵家に相応しい、古いお家柄からのお話がいくらでも有ったのですよ?」

「お母さん?」

「わたくしがお父様を知ったのはねぇ、まだお父様が高校生の頃でしたの。
わたくしはねぇ、ずうっと昔から……そうねぇ、まだ縁談が持ち上がる前から……
本当にお父様の事だけをお慕い申し上げていたのですよ、
そして今でも……
ほほほ、だぁれも……お父様でさえもご存知ないのでしょうけれど……」

 明彦は言葉に詰まった。
 この人はその一般には聞き慣れない独特の抑揚とその雛人形のように取り澄ました表情によって、どれほど多くの誤解を受けて来た事か──
 そしてまたあまりにも高貴な生い立ちのために、今までどれほど多くの人に敬遠されて来た事か──
 十年以上を一緒に暮らして来たのに、今初めて知る絹子のそんな一面に明彦は切ない思いを抱いた。

「明彦さん、きっときっと、必ず帰って来て下さるわね? 
わたくしは貴方を信じているのです。貴方はわたくしにとって、たった一人の息子なのですから……」

 明彦の両手を握り締め、絹子の頬をつたう一筋の涙。
 明彦はそんな絹子の感傷的な様子を、今朝初めて目の当たりにしたのだ。

「お父様が祐二さんを、貴方の弟として養子に取りたいと話していらしたの。
そうなれば貴方達は名実共に正当な兄弟になれるのよ?
わたくしは祐二さんの過去を知って冷たく接してしまったけれど、貴方の弟ともなれば話は変わります。お父様に全てをお任せ致しましょう」
「…………はい」

 絹子の心をおもんばかり、それ以上を口にしない明彦だった。


──母の墓前で明彦は思い悩む。

 祐二を豪田家へ迎え入れ、兄弟として生涯を過ごす──
 確かに二人が実の兄弟だと分かった以上、それは一番の方策なのかも知れない。
 またそんな風に考えてくれる父に対して、自分は感謝の気持ちを抱かなければならないのかも知れない。

 しかしこれからの長い人生
──祐二の事を兄弟として思い、付き合い、共に暮らして行くなど、そんな事が自分に出来るのだろうか?


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