昭和浪漫ノスタルジー「遥か彷徨の果ての円舞曲」

歴野理久♂

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四章 果て無き雲の彼方へ

No,86 タンゴ・ジャルジー

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『確かにこの優夜が言う通り、私たち二人には美しいばかりの思い出と共に、未だ忘れ得ぬ切ない未練も有りますが、けれどもそれも、過ぎ去りし日の既に終わった恋として、潔く全て忘れましょう』

「え?」

 思わず驚きに目を見開き、優夜は明彦の顔を見直した。

『 恋に恋を重ねてですか?
なるほど確かに優夜嬢はおっしゃる事が一味違う。
それなら私も一味違うところで、新しい恋でも探して見ましょう』

「何それ?」
 思わずの日本語、しかも地声で大口を開ける優夜。

 慌てて直ぐに取り繕う。
『まあ、それは良い考えですわ、あなたもあとひとつやふたつ恋をなされば……』
──優夜の言葉がまだ途中と言うのに明彦はそれを無視し、 侯爵に黙礼すると真っ直ぐ玲央へと向かった。
 優夜は呆気に取られ、それを目で追う。


「玲央、俺のこと覚えているかい?」
「もちろんだよ豪田さん。久し振り会えて嬉しいな♡」

 そして玲央は内緒話に明彦の耳に片手を添える。
「玲央って呼び捨てにしてくれる約束、ちゃんと憶えていてくれたんですね♪」
「ああ、そうだよ」
──耳元に口を近づけられた明彦も、ふふんと満更ではない笑顔をこぼす。


(え?アキ兄ちゃん、
どうして玲央を知ってるの?いつから?いつの間に!)


「玲央、綺麗になったね。そのドレス姿、可愛いよ♪」
「豪田さんこそ、ノーブルな服装がお似合いですね♡」

「踊ってくれるかい?」
「あら、この私と?」

 これまでのフランス語でのやり取りが上手く聞き取れなくて苛立っていた玲央は、ここに来て明彦から優しくされて有頂天だ──明彦の背中越しに優夜と目を合わせ、誇らしげにほくそ笑む。


(どう言うこと?玲央を呼び捨てにするなんて、二人はいつからそんなに親しい?!)


 時あたかも鳴り響くコンチネンタル・タンゴのリズム。
──二人は音楽に合せてステップを踏み始めた。

 侯爵が面白そうに優夜をあおる。
『ほう、彼も中々ご発展じゃないか。優夜、これでいいのかね?』
「ふん、好きすればいいんじゃない!」
 侯爵の問に対し、つい日本語を吐き捨てる優夜だった。

 タンゴはスタンダード・ダンスの中でも激しい情愛を表現した、かなり濃厚なステップを踏むダンスである。
 社交ダンスの本場イギリス仕込みの明彦は当然としても、これで玲央も中々ダンスの力量は大したものである。
 二人の見事なステップに観衆から感嘆のどよめきが巻き起こった。

 唇を震わせ食い入りのように二人をにらむ優夜に気付き、侯爵はやれやれと言った呆れ顔で苦笑を漏らした。

 明彦の胸にしがみつく玲央、そしてその玲央の腰に手を回し、抱きかかえる明彦。

(あれがタンゴ?いくら何でもくっ付き過ぎだよ!!)

 優夜の顔は青ざめ、扇を握る手は苛立ちに震えが止まらない。 
 侯爵はそっと傍らに立つ佐伯に囁き掛けた。

『やれやれ、とんだ痴話喧嘩を見せられているようだ。 
あまつさえ曲目はタンゴ・ジャルジー(仏語で嫉妬)
これは一体、どういう趣向のくわだてなのかね?』

『いやはや失礼致します。
侯爵、これも今宵の余興のひとコマと思し召して、どうかお目こぼし下さいませ』

 佐伯は優夜に近づき、その耳元にそっと囁く。
「気分が悪ければ、構わないからテラスに出て外の風にでも当たって来なさい」

 優夜は佐伯の言葉に返事もせず、楽しげに踊りまくる二人から目を背けるとテラスへ向って歩き始めた。

 慌てて健が声を掛ける。
「祐ちゃん、大丈夫?」
 心配顔で優夜の後を追おうとする健を、佐伯は無言で押し留めた。


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