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四章 果て無き雲の彼方へ
No,83 宴の華の座
しおりを挟む「まあ、そうなの?あなたがパリーにいらっしゃるの?
それでは言葉が通じなくてさぞかしご不自由でしょうね、わたくしが通訳として付き添って差し上げようかしら?」
「きっ!何ですって?何なのよあんた!」
「ちょっと……」
優夜は玲央の背中に手を回し、そっと押して侯爵の御前を少し外れる。
──その耳に囁く。
「いいこと?侯爵に嫌われたくなければそんな大きな声を出してはだめ。品性下劣、この上なくてよ?
それからあなた、ドレスのセンスがなっていないわね。
そんなキャバレーのダンサーが着るような安い色合いは、侯爵の宴には相応しくなくてよ」
「な、何ですって!」
「それに、ふふっ、そのウイッグは何?調整もせずにただ被るだけなら仮装行列と一緒よ?きちんとしたお介添が付いていないのね、恥ずかしい…」
優夜の眉毛がキッと吊り上がった。
「あなたに侯爵のお相手はまだ無理ね、お分かりかしら?
身の程をお弁えあそばせ」
「あ……」
その聞こえよがしで冷淡な声に取り巻き達は顔を見合わせ、当の玲央は唇を噛んだ。蒼白の顔に返す言葉も無い。
優夜はそのまま玲央を無視して侯爵の御前へと一人戻る。
健がそっと囁いた。
「祐ちゃん、ちょっとやり過ぎなんじゃないか?いくら何でも意地悪過ぎるよ…」
目線を健に合わす事なく、優夜は周りに微笑みを浮かべながらそっと静かに言い返す。
「健ちゃん、何を甘いこと言ってるの?僕はかつてこうやって先輩達を押し退けて、あのポジションを奪い取ったんだ。まして一度放棄した場所に戻ろうなんて並大抵な事では叶わない。引きずり下ろすしかないだろう?」
「祐ちゃん、怖いよ……」
戸惑う健などものともせず、優夜はボーイ達に指し図する。
「あなたたち、急いでシャンパンの用意をしてちょうだい 、皆様にグラスが行き渡るように!」
あろう事か、優夜は玲央の取り巻き達にも顔を向ける。
「お客様のご接待があなた方のお仕事よ。固まっていないで動きなさい」
氷のように冷ややかな気迫に、玲央の周りがあたふたと散らばる。
グラスが一通り行き渡ったのを確認すると、優夜は侯爵の傍らに立ち、声高らかに口上を述べた。それも流暢なフランス語で──
『皆様!侯爵様のお夜会は昔からお気遣い無しがご信条。
深まりゆく春の夜。こうして耳を澄ませば聞こえくる、春の夜風が巻き起こす木々の音さえ、そこに侯爵様がいらっしゃるなら、まるでここがブローニュの森のよう……
さあ皆様、侯爵様を讃えし思いを込めて、改めて乾杯を致しましょう』
優夜が妖艶に流し目を送ると、侯爵はご満悦の笑みをこぼして杯を掲げた。
優夜の声が鳴り響く。
『シャルル・ニコラ・ド・ロモランタン侯爵様の輝かしき栄誉を讃えて、乾杯!』
『乾杯!』
──場内、乾杯の声が鳴り響き、並み居る人々が一斉に杯を掲げた。
一際音楽も盛り上がる。
侯爵と優夜を取り囲み、押し寄せる人々の輪が出来た。
『優夜、確かあなたは、例の青年と幸せな日々を送っている筈ではなかったのかね?』
『まあ侯爵様、その様に過ぎ去りし日の事など、どうかお気になさいますな。優夜はいつもいつでも、新しい事にしか興味が有りませんの』
その時突然──ホールの入り口から一際大きな声が鳴り響いた。
「皆様お楽しみのようで何よりです!」
それはあまりにも唐突な登場だった。皆が一斉に入り口の方に目を向ける。
それは佐伯の口上だった。
「皆様!懐かしき優夜の登場には驚かれた事でしょう。そして今宵はもうお一人、新しいお客様をご紹介致します。
ある意味財界では話題のお方ですから、この場にお集まりの皆様の中には、既にこの方をご存知な方もいらっしゃるかも知れれません。
が、しかし、ここでは問わず語らずが暗黙の了解。珍しくも若いお客様でございますから、どうか当店の従業員と誤解なさいませんように……
さあ、どうぞ!」
佐伯の紹介を受けて登場したその若者を一目見るなり、 優夜は目を見開いて驚いた。
(アキ兄ちゃん!!)
グレーのタキシードを巧みに着こなし、眩しい程に精悍な青年──それは見紛うこと無く明彦に相違なかった。
明彦は人々に黙礼すると、微笑みを浮かべながら侯爵の御前へと歩み寄る。
優夜は侯爵の後ろに身を隠し、静かに唇を震わせた。
そっと静かにまつげを伏せる。
(アキ兄ちゃん……これは何事?!)
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