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三章 祐二の過去とこれから
No,71 佐伯との別離
しおりを挟む明彦との再会を果たしてより数週間後──祐二は最後の挨拶のため、佐伯の元を訪ねていた。
「本当に長い間お世話になったのに、突然勝手を言って済みませんでした」
「いや、いいんだ。どのみちそう長く続けられる仕事でもないし、むしろ華の有るうちに身を引くのは賢明だろう」
「佐伯さんには行き倒れたところを救っていただいて、今の自分があるのも全て佐伯さんのおかげだと感謝しています」
「いやいや、私の方こそ君にはずいぶん儲けさせていただいた。ところで、引っ越しの方はもう済んだのかな?」
「はい、松濤のマンションは引き払い、分相応のアパートへ引っ越しました。
今回の件では敷島会長には本当に申し訳ない事をしてしまいました。この二年間ずいぶんお世話になったのに、突然の不義理をしてしまう事になって……」
──敷島とは、優夜がド・ロモランタン侯爵の元を離れ、パリからこの東京に戻ってからの二年間、優夜の私生活の面倒を見ていた人物である。
「確かにそれはそうだね。先日お会いした折に私からもよくお詫びしておいたよ」
「本当に、佐伯さんには大変なご迷惑をお掛けしてます」
「いや、敷島さんにはお子さんがいないからね、まるで君の事を本当の息子のように可愛がっていらした。それだけに君の事情をよく説明したら快く理解してくださったよ」
「ただ、困っている事があって……」
「なんだね?」
「松濤のマンションをお返しした後も、しばらくは今まで通り生活費の振り込みを続けるとおっしゃるんです、せめて生活が安定するまでは、と…」
「うーん、それは……本当ならそんな事は許されるべきではないんだろうが、敷島さんは事のほか君の身体の事を心配なさっていたから、きっと何かの形で君との繋がりを持ち続けていたいと言う、あの方なりの厚意だろうな……
まあ、そんな事で君に見返りを要求されるような方でもないし、折を見て私の方から丁寧にお断りしておくよ」
「よろしくお願いします」
「ところで、他のご贔屓様方はどうしました?」
「はい、一通りのご挨拶はさせていただきましたが、実はこの機会に頂戴した物を全てお返ししようと思ったのです。だけど、やはりどなたも何ひとつとして受け取っては下さらないのです」
「いや、申し訳ないという気持ちは分かりますが、一度いただいたものを無下にお返しすると言うのも、あまり気持ちの良い行為とは言えませんよ。黙っていただいておきなさい 」
「そうでしょうか?」
「そう言うものだよ」
「はい、分かりました」
「そういえば、西五条さんに頂いたあの帆ノ崎の家はどうするつもりだね?」
「はい、あの家は……可能なら維持していけるよう、出来るだけ努力したいと思っています」
「それが良いだろう。あの家は君の故郷のようなものだ」
「はい、今度住むアパートは手狭で、松濤のマンションの荷物はとても入り切れないのです。その多くは帆ノ崎の家に運び入れました」
「もし処分したい物が有ったら協力しますよ?」
「はい、きっとお願いする事も有るかと思います」
「まあ、とにかく身体には気を付けて下さい」
「ありがとうございます」
「最後にこれだけは言っておこう。もしどうにも困った事になったなら、無理せずいつでも相談してくれたまえ」
「はい……でもそうならないように努力します」
──今までの生活を清算すると、そう明彦と約束してから今日までの数週間、祐二にとっては本当に慌ただしい日々が続いていた。
その後、明彦とはまだ会っていない。全てが片付くまで会えないと希望したのは祐二だった。
そして今、佐伯に対する最後の挨拶も完了した。
佐伯の元を辞し、夕暮れ時の街路に立つ祐二──
佐伯の住むマンションを見上げ、ここ数年間の過去を振り返った。
決して幸福とは言えなかった。屈託の無い生活とは到底言えなかった。
が、しかし、そこにはそんな祐二にとってさえも──紛れも無いひとつの青春の季節が存在していた。
瞳を閉じて──父親の元を逃げ出し、佐伯に拾われてからの特殊な数年間を思い出す。
影を引いていただけになおさら今、祐二の胸には何か切ないものがほとばしる。
ただ、感慨にむせぶ祐二だった。
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