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一章 黄昏のパリは雪に沈む

No,6 大振袖の椿姫

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 明彦の耳元に藤代がささやく。
「あの方がド・ロモランタン侯爵です。もっとも現在のフランスに貴族などと言う身分は有りませんが、上流社会では未だにかつての爵位が幅を利かせているのです。
まして侯爵は政界にも影響を与える財閥の重鎮。このパリ社交会に於いて未だに侯爵と称せられるゆえんです」
 しかしそんな藤代の言葉も今の明彦の耳には届かない。
 心はただ、かの美女への心掴まれる想いで一杯だった。


 席につくと──偶然にも侯爵と彼女を取り巻く一群は明彦達が座る下手側の桟敷席の真迎え、つまり上手側の桟敷席に着座していた。
 こうなると明彦にとっては舞台上の歌劇などまるで目に入らず、心は浮き足立って真迎えに位置する彼女に夢中である。

 はなはだ不躾と知りながら、明彦は恐る恐るオペラ・グラスで彼女を覗いた。
──憂いを込めた表情。微かに潤む黒き瞳。
 彼女は白いハンケチでそっと目頭を押さえた。

 今宵の演目はデュマ=フィスの原作をヴェルディが作曲し、歌劇として大成させた不朽の名作「ラ・トラビアータ」──日本で言うところの「椿姫」である。
 舞台上ではいよいよクライマックスを迎え、純真な青年との恋に身を引いた高級娼婦ビオレッタが不治の病に冒され、死を迎えんとする場面である。 


 突然、彼女が明彦の方へと振り向いた。

 瞬時──目が合う。

 驚いた明彦は、しかし顔色を変えず、静かにオベラ・グラスを膝に下ろした。

 そして彼女は、そのまま明彦を見詰め続けた──にこりともせず切実な表情を向けて……。

 二人はしばし意味有りげな眼差しを絡め合った。


(俺の不躾を咎めているのだろうか……)


 明彦にそんな不安が無かった訳ではないが、どうやら彼女の表情からそんな非難の色は見えなかった。


(それにしても……)


 彼女の面差しがどうにも気になる。
 そしてそんな明彦の揺れる心情になど構う事なく、歌劇「椿姫」は観客の喝采を浴びて幕を下ろした。

 が、しかし、それと同時に自分自身が主人公であるもうひとつの「椿姫」の幕が、今まさに少しずつ上がっている事を知る由もない明彦であった。


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