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一章 黄昏のパリは雪に沈む
No,5 オペラ座の名花
しおりを挟む日も沈み、華やかに着飾った人々のつどうパリ・オペラ座の玄関ロビー。
──明彦は他の社員らと共に賓客の到来を待ち構えていた。
日本人と言っても流石にそこは豪田物産のパリ駐在員の面々だ。皆、その場に相応しい正装も板に付いている。
若輩の明彦とて、オックスフォードでの数年間で、タキシードもテールコートも見事に着こなせるほど場馴れしていた。
耕造が明彦に身に着けさせようとしていた交際感覚とは、こう言うところに現れるのかも知れない。
藤代が明彦の耳元にそっとささやく。
「今宵のオペラ座はいつにも増して華々しいお歴々がお揃いなのだそうです。なんでもパリ社交界の大御所、ド・ロモランタン侯爵がお見えになるとか」
「え?その方は一体……」
明彦がその人物について尋ねようとしたその時だった。
突然、ロビーにあまたひしめく紳士淑女が一斉に感嘆のため息を漏らし、ざわめきが巻き起こった。
瞬間、明彦も振り返り固唾を呑んだ。
(あれは……!)
驚きに見開いた明彦の瞳に映るのは、如何にもフランス貴族然とした老紳士に引き連れられ、今まさに真紅の絨毯をこちらへと渡り来る類い稀なる美女の姿だ。
そして尚更に目を引いたのは、彼女が和服を身に着けた日本人であった事だ。
黒き瞳のかの美女は楚々として流れるような足どりで老紳士の半歩後ろに付き従い、さらにその後ろには数名の男性が付き従う。
黒地に真白の椿をあしらった派手な意匠の大振袖。左肩に咲き誇る椿の花は袖の流れに舞い踊り、裾模様は水面に浮かぶ大輪の花椿。銀糸の帯は大きく立て矢に結ばれていた。
(美しい……いや、それより……)
漆黒の髪をあごの線で切り揃えた断髪姿──眉にそって切り揃えたその前髪は、さながら義母の部屋に飾られた市松人形を思わせる風情だった。
驚くほど長く濃いまつ毛に包まれた黒き瞳。白く透き通るような肌に真紅の唇。
そして花椿の美女は立ち尽くす明彦になど一瞥もくれず、毅然とした微笑みをたたえながら並み居る人々の前を通り過ぎた。
身動きすら忘れ、呆然とその後ろ姿を目で追う明彦。
けれど、かの美女は明彦の方へなど振り向きもせず、楚々としてロビーの大階段を昇り去り、姿を消した。
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