上 下
55 / 80
五粒目 暴食根 ~『いつも月夜に米の飯』の巻~

その五 「嫁運び競べ」は無理でも、娘たちには夢があるみたいですよ!

しおりを挟む
「ちょ、ちょっと、待ってください! そ、その、あなた方は、ふくよかになって困っているわけではないのですか?!」
「しーっ! 声が大きいですよ、深緑シェンリュさん!」

 あわわっと、口に手をやっている間に、わたしは、むちむちもちもちしたものに取り囲まれてしまった!

「里のためにも、誰かが、『嫁運び競べ』に出なきゃいけないことはわかっています。でも、勝つために、もう無理な我慢をしたくはないんです。
今は、いくさや争いごともないから、男たちが兵として連れていかれたり、里の蓄えが兵糧にされたりすることもありません。毎日、穏やかで満ち足りた暮らしができています。少しぐらい税が増えても大丈夫! みんなで一生懸命働けば、なんとかなります」

 にこにこしながら、秋琴チウチンが明るい声で言った。
 たくましいなあ……。男たちと違って、とうに勝負はあきらめて、気持ちを切り替えていたのね。
 ひょっとして昨日の涙は、全部、空涙だったってことなのかしら?

「でもね、男たちがそれほど切羽詰まっていて、人攫いまでするとは思っていなかったんです。わたしたちの気持ちをきちんと伝えておけば、こんなことにはならなかったと思うと――。深緑さんたちには、本当に迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」

 苹果ピングォの言葉に合わせて、ほかの二人もすまなそうに頭を下げた。

「わかりました。そういうことなら、もう厳しい鍛練は、やめてもいいんですよね? 本当のことを言うと、三人とも頑張ってはいましたが、けっこう辛そうだったのです。わたしから、思阿シアさんに伝えておきますから――」

 許嫁を抱えて、「嫁運び競べ」の出発点に立つぐらいなら、今朝のような鍛練は必要ないと思う。砂袋や水瓶を抱えて、膝を曲げ伸ばしするような鍛練さえしておけば十分なはずだ。
 すると、梅蓉メイロンが、ぷるんぷるんと丸い顔を横に振ってから言った。
 
「お二人には世話をかけることになるけれど、お願いですから鍛練はこのまま続けてください。沙包シャアパオが、思阿さんみたいな体になってくれたら嬉しいし、『嫁運び競争』で走るのは無理でも、わたしを抱え上げて、寝台に運ぶくらいのことはできるようになって欲しいから――」

 梅蓉は、ちょっと頬を染めて、うっとりとした顔になった。
 秋琴と苹果が、「やだあ!」とか「んっ、もう!」とか言って、こちらも頬を染めていた。
 小屋の隅で、糸の片付けをしていた年下の娘たちまで、二人できゃいきゃいはしゃぎだした。
 ちょっと……、わたしだけ、取り残されている感じがする……。

「そうそう、深緑さん。あなたと思阿さんって――、そのう、どういう間柄なんですか?」

 秋琴が、目をきらきらさせて、わたしにきいてきた。
 ほかの二人、そして、年下の娘たちも、興味津々という顔でわたしを見ていた。

「間柄って――、わたしは、都城にいるらしい姉さんに会うために旅をしていて、ちょっとしたご縁で知り合いになった素封家のご隠居様が、わたしの身の安全のために、用心棒として思阿さんを雇ってくださったんです。……そういう間柄です。思阿さんは元々、旅をしながら詩作を学び、詩人の修業をしていた人なんですよ。武芸者みたいに見えますけどね……」
「出会ってどれくらいになるんですか?」
「えぇっと……、ふた月過ぎたくらいかなあ……?」
「ふうん……、それだけ一緒にいると、いろいろあるでしょう? ねぇ?」

 五人は、目配せしたり、肘で突き合ったり、クスクス笑ったりしながら、ちらちらとわたしを見た。
 そりゃあ、ちょっと危ない目に遭って助けてもらったことは何度もあったけど、それは、用心棒として当然の務めよね。まあ、ほかにもいろいろと心配かけているかもしれないけど――。

「用心棒とそのあるじってことで、いろいろとありましたけれど、それだけの間柄ですよ」

 そう、それだけの間柄だ。
 思阿さんは、わたしのために、全力で用心棒をやり抜こうとしてくれている。
 昨日、攫われたわたしを見つけてくれたときだって、それがとてもよくわかった――。

 年下の娘のうちの一人が、急に立ち上がり、わたしの隣に来て言った。

「じゃ、じゃあ、わ、わたしが、思阿さんを好きになっちゃってもいいですか?!」
「な、何、言ってんのよ、妹丹メイダン! 思阿さんは旅人なんだよ?!」
「別にかまわないわよ、若敏ルオミン! 里はもちろん県城でも見たことないわ、あんな美丈夫! 深緑さんがお姉さんに会えたら、用心棒としてはお払い箱になって自由の身でしょ? そうしたら、わたし、追いかけていって一生彼についていくわ!」
「あんたがそんなこと言うなら、わたしだって――」

 わたしは、年下の二人の娘――妹丹と若敏に、「できるものならどうぞご自由に!」という気持ちで、にっこりと微笑んだ。
 するとなぜか、二人もにっこりと笑い返してきた。ど、どういう意味?!

 思阿さんを好きになるのはかまわないけど、あの人が、すごい底知らずで加減知らずなところがあるって、わかっているのかしら?
 わたしは、よく承知していますけれどね――。

 そのようなわけで、秋琴たちに快癒水を飲ませるのはやめておいた。
 自分たちが承知の上でふくよかになったのなら、快癒水を飲ませても、さらに体調が整って食欲が増すだけで、食べるのを我慢していた頃の姿に戻ることはないだろう。

 百合根も、ただのおいしい百合根に過ぎないのだろう。
 我慢に我慢を重ねていたところで、美味な物に出会い、たがを外して食べ過ぎてしまったというだけの話のようだ。天の種核とは、関係ないと考えて良いと思う。
 わたしは、娘たちに上手いこと利用されてしまった百合根やお婆さんに同情した。

 機織り小屋の掃除などを手伝っていたら、昼餉の時刻になった。
 少し明るい気持ちになって、わたしは云峰ユンファンさんの家に帰って来た。

 ◇ ◇ ◇

 野良仕事から戻ってきた思阿さんや雇い人の人たちと一緒に、食堂で昼餉を済ませ、そのあと、わたしは、云峰さんの家の中庭の草むしりを夕刻まで手伝った。

 中庭の木の影が長くなり、一緒に働いていた下回りの女の子と片付けをしていると、万松ワンソンたちが集まってきた。
 そこへ、野良仕事を終えた思阿さんが、荷車を引いて帰ってきた。
 荷車には、畑の土を詰めたいろいろな大きさの袋が積まれていた。

「袋を肩に担いだり、腕で抱えたりして、立ったりしゃがんだりを繰り返します。無理をして腰を痛めないように、重さを加減してやりましょう!」

 袋を持っただけでふらつく男たちを、思阿さんは一人一人励まし、姿勢を直したり力の入れ方を教えたりして、あきらめないで続けるように声をかけていた。
 シャ先生が言うとおり、思阿さんは面倒見がいい。いかに前途多難であっても、本気で、彼らを「嫁運び競べ」に出られるように鍛えようと思っているのだろう。
 言えないわよね。もう、誰も期待していないから、そんなに熱心にならなくてもいいんですよなんて――。

 ◇ ◇ ◇

 次の朝の鍛練は、娘たちが来たこともあって、熱の入ったものとなった。
 万松ワンソン沙包シャアパオも、しんがりになるのを嫌がって、必死で理会リーフイを追いかけた。昨日よりも一周多く走ったけれど、昨日ほどの差はつかずに走り終えることができた。
 途中から、云峰さんも見に来てくれて、娘たちと一緒に声をかけていた。

 鍛練が終わって、わたしが万松たちに薬水を配っていると、云峰さんが近づいてきた。

「ありがとうございます、深緑どの。あなたの薬水と思阿どのの教えのおかげで、万松たちも少しずつやる気が出てきたようです。しかし、やはりあと十日では、完走するところまで鍛えるのは難しそうですな。そこで、お願いなのですが――」
「お願い、ですか?」
「ええ。お願いですから、無理ならば断ってくれてかまいません」
「どのようなお願いですか?」

 云峰さんは、ちょっと決まり悪そうに、苦笑いを浮かべて言った。

松柏ソンバイの里の者として、思阿どのとあなたに、『嫁運び競べ』に出て欲しいのです」
「ええーっ!!」

 わたしの叫びを聞くと、妹丹と若敏に両脇からしなだれかかられていた思阿さんが、二人を振り払い、ひどく驚いた顔で走ってきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

薔薇と少年

白亜凛
キャラ文芸
 路地裏のレストランバー『執事のシャルール』に、非日常の夜が訪れた。  夕べ、店の近くで男が刺されたという。  警察官が示すふたつのキーワードは、薔薇と少年。  常連客のなかにはその条件にマッチする少年も、夕べ薔薇を手にしていた女性もいる。  ふたりの常連客は事件と関係があるのだろうか。  アルバイトのアキラとバーのマスターの亮一のふたりは、心を揺らしながら店を開ける。  事件の全容が見えた時、日付が変わり、別の秘密が顔を出した。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

「お節介鬼神とタヌキ娘のほっこり喫茶店~お疲れ心にお茶を一杯~」

GOM
キャラ文芸
  ここは四国のど真ん中、お大師様の力に守られた地。  そこに住まう、お節介焼きなあやかし達と人々の物語。  GOMがお送りします地元ファンタジー物語。  アルファポリス初登場です。 イラスト:鷲羽さん  

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...