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四粒目 結縁花 ~『恋は思案の外』の巻~

その三 お嬢様登場! それで、わたしに何をお望みなのですか?

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「お嬢様とは、県令・陳智銘チェンジミン様のご息女・雪莉シュエリー様のことでございます。わたくしは、雪莉様の侍女で美珊メイシャンと申します」

 県令様のお嬢様と、どこかで出会ったかしら? まったく心当たりがない。
 紅姫廟ホンチェンびょうにも、美珊さんは、一人でお参りに来ていたようだったし――。

「あの……、県令様のお嬢様が、わたしにどんなご用なのでしょうか?」
「実は、ここしばらく、雪莉様の体調が優れず、病の平癒を願って紅姫廟にお参りすることになったのです。
馬車を使って月季庭園の近くまで来たところで、これ以上は無理だとお嬢様がおっしゃいまして、近くにある馴染みの茶館の特別室で、休息をとっていただくことにいたしました。
わたくしが代参することにして紅姫廟へ詣でたのですが、そこであなたをお見かけして、まずは自分の頭痛をどうにかしたいと思いました。不謹慎だということは承知しております。でも、正直申しまして、本当にとても辛かったものですから――」

 県令様のお嬢様付きの侍女なんて、きっと、頭が痛くなるようなことばかりなのだろう。
 今日だって、結局お嬢様は、紅姫廟へ来るのを途中でやめちゃったわけだしね――。
 同情しますよ、美珊さん!

「ご覧の通り、薬水のおかげで、わたくしの頭痛はすっかり良くなりました。ありがとうございました。
お参りをしている間に、お二人の姿が見えなくなってしまいましたので、道士に行き先を教えていただきました。
途中、茶館に立ち寄り、お嬢様に薬水のことを話しましたら、自分も飲んでみたいので、是非お二人を連れてくるようにとおっしゃいまして、こうしてお迎えに参ったのです」

 そういうことか! 確かに、ひどいしかめっ面で、頭痛を訴えていた美珊さんが、これだけ元気になったのを見たら、誰だって薬水の効果を信じるわよね。
 よろしいですとも! お嬢様の体調も我が儘も、快癒水で整えてさしあげましょう!

「わかりました、美珊さん。わたしでお役に立つのなら、喜んでお嬢様のところへ伺います」
「ありがとうございます。ええっと……、あなたのお名前は……」
「わたしは、旅の薬水売りで、深緑シェンリュと申します。こちらは、用心棒をお願いしている、思阿シアさんです。お嬢様がいらっしゃる茶館は、ここから近いのですか?」
「はい! この庭園のすぐ裏手になります。ついていらしてください」

 ちょうど、ちょっとお腹もすいてきたし、茶館で美味しい点心でもいただけたら嬉しいな!
 美珊さんの後ろを歩きながら、いろいろ想像して、にやついていたら石につまずいた。

「ひゃっ!」
「危ない!」

 とっ、とっ、とっと、つんのめって倒れかかったわたしを、前から抱き留めてくれたのは――。
 知らない男の人だった……。
 先ほど別れてきた水昆シュイクンさんと同じような服装をした若い男の人で、とても心配そうな顔をして、腕の中のわたしを見下ろしていた。

「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「あ、は、はい……。すみません、ぼんやりしていて……。あ、ありがとうございます!」

 わたしは、慌てて男の人から離れた。
 あーあ! また、お子ちゃまなことをしでかしてしまったわ。恥ずかしい……。

「あら? 永庭ヨンティンさん? 園丁の永庭さんですよね?」
「あ、ああ、美珊さん……」
「ああ、そういえば……。永庭さんは、月季庭園で働いていらっしゃるのですものね。それで――」

 どうやら、男の人と美珊さんは知り合いらしい。
 男の人は、急いでいたようで、簡単な挨拶をすると月季庭園の中へ消えていった。

「先ほど深緑さんたちを案内していた、水昆さんの息子さんの永庭さんです。親子で、月季庭園の園丁をしているのですけど、永庭さんは、お邸の薔薇の手入れを任されていて、月に一、二度お邸に来てくださっているんですよ」

 抱き留められたとき、思阿さんほどじゃないけれど、がっしりした人だなと思ったのよね。
 なるほど、月季庭園の園丁さんなのね。そういえば、体からふんわりと薔薇の香りがしたわ。
 あからさまな溜息が聞こえてきたので振り向いてみると、思阿さんが心配そうな顔でわたしを見ていた。

「深緑さん、歩き疲れてしまったんですか? 茶館まで、俺が担いでいきましょうか?」

 えっ? 確かに少し疲れたけれど、それはちょっと……。
 先ほど思阿さんに担ぎ上げられた凱莉ワイリーの姿も思い出され、わたしは、ブンブン首を振ってお断りした。
 思阿さんが、可笑しそうに声を上げて笑った。
 もしかして、からかったんですか? もう!

「さあ、着きましたよ! ここの二階で、お嬢様はお待ちです」

 茶館は、目と鼻の先にあった。
 一階は、普通の茶館だが、二階にはいくつかの個室があって、密談や接待にも使えるようになっているらしい。
 さすがは、県城の茶館ね。様々な用途に応じるつくりになっている。

 わたしたちは、部屋付きの給仕人に付き添われ、二階へ上がった。
 二階の角にある大きな個室が、雪莉お嬢様が待つ部屋だった。
 美珊の呼びかけにお嬢様が応え、部屋の中にいたもう一人の侍女が扉を開けた。

 広い部屋の中央には大きな卓が据えられ、四つの椅子がそれを囲んでいる。
 部屋の壁には、鐘陽チョンヤンの四季折折の風景が描かれた巨大な絵が掛けられていた。
 茶の香りを邪魔するからか、花などは飾られていなかった。
 そして、正面には、華やかな表通りが見下ろせる大きな窓があった。

 部屋に入った途端、ちょっとした違和感を覚えたのだけれど、正面の椅子に堂々と座る雪莉様の姿を見て、雑多な思いは一瞬で吹き飛んだ。

 艶やかな桃色の衣に身を包んだ雪莉様は、まさに、月季庭園に咲く大輪の薔薇の花のようだった。
 大きな黒い瞳、うっすらと紅を施した丸い頬、濡れたようにつややかな唇――。
 人形めいた顔立ちの美少女が、わたしたちに、にっこりと笑いかけていた。

「よく来てくれたわね。ええっと……」
「薬水売りの深緑さんと用心棒の思阿さんです!」

 慌ててわたしたちを紹介する美珊さんの言葉に合わせて、わたしと思阿さんは礼をした。
 雪莉さんは、椅子に座ったまま、鷹揚にうなずいている。

「美珊の話から、もっと年上の人を想像していたのだけど、意外と若いのね。深緑さん、あなた、いくつなの?」
「えっと……、十六ぐらい……、いえ、十六、今年十六になります!」
「ふうーん……。わたしと同い年か……」

 ひゃあぁ! 十六歳だったんだあ! 
 お化粧のせいもあるけれど、雪莉様は、わたしなんか比べものにならないくらい色っぽいし、大人びている――。しゅん……。

「美珊! そこの用心棒さんと妙香ミャオシャンを連れて、下に降りていてちょうだい! わたしは、深緑さんに大事な話があるから、いいと言うまで給仕人たちも近づけないでね!」

 ええっ! 何、なに、何なの? 大事な話? お茶も点心もお預けですかぁ?
 わたしだけが、雪莉様に手招きされ、向かいの椅子をすすめられた。
 給仕人と一緒に、美珊さんも思阿さんも、もう一人の侍女――妙香さんも出て行って、部屋は何だか静かになった。

「これでいいわ!」
 
 雪莉様が、満足げに言った。
 そして、卓の上に乗り出すようにして、美しい顔をわたしに近づけてきた。

「ねえ、深緑さん。あなたの薬水がよく効くことは、美珊から聞いたわ。あなたは、薬の処方の才があるらしいわね。そこで、相談なんだけど――」
「な、なんの相談ですか?」
「わたしのために、特別なお薬を処方して欲しいのよ」
「えっ?!」
「あのね……、わたし……、死んだふりができる薬が欲しいの……」

 窓は開いていないのに、冷たい風が部屋を吹き抜けていったような気がした。
 そして、わたしは、そのときにようやく、部屋へ入ったときの違和感の正体に気づいた。
 薔薇の香り――。
 さっき、わたしを抱き留めた永庭さんから香ったものと同じ薔薇の香りが、この部屋にも漂っていたのだった――。
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