その乙女、天界の花園より零れ墜ちし者なれば ~お昼寝好き天女は、眠気をこらえながら星彩の柄杓で悪しき種を天の庭へ返す~

國居

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プロローグ 寝過ごしちゃいまして……わわっ! まさか天界追放?!

その五 たかが青蛙、されど青蛙なのですわ!

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「天帝様! もっとも罪深きは、この玄姫シュェンチェンでございます。兵士に命じ天空花園の花を兵舎へ届けさせたのはわたくし、慰労の酒を黄龍軍の将軍に届けさせたのもわたくしです。わたくしがそのようなことを命じなければ、庭番たちが、このようなしくじりをすることもなかったのでございます! 罰せられるべきは、わたくしでございます!」

 謁見の間に現れたのは、戦と兵法の女神、玄姫様であった。
 黒金色の鎧を身にまとい、腰に太刀を下げた、勇ましい身ごしらえの玄姫様は、私たちの前に進み出るや、玉座の方角に向かってきっぱりと宣言した。
 玄姫様は、魔軍との戦いに自ら打って出ることもあり、女神様ながら、剛の者として知られている。
 ひざまずき、目線は床に落としておられるが、天帝様に対してもいっさい怯むご様子はない。

「玄姫よ! 確かに、そなたにもなにがしかの責はあるといえる――。良かろう。そなたは、これより林杏リンシンとともに、天空花園へ参れ。そして、悪いたちを露わにした草木どもを、薙ぎ払い焼き尽くせ。そののち天水を撒き、その地に漂う悪しき気を鎮めるのだ。黄龍軍の兵士を集め、一気に事をなせ! それをもって、そなたと林杏の罪は償われたものとしよう」
「御意のとおりに! 林杏、参るぞ!」
「あっ、は、はい! しかし、天帝様、深緑シェンリュは――」
「案ずるな。すぐに罰を下したりはせぬ。深緑よ、そなたには少し確かめたいこともある。紫微宮の牢獄に入牢し、おのれの行いをゆっくり振り返り、時を待て。決して昼寝をするではないぞ!」
「ははーっ!」

 この場で雷撃を食らって――ってことは、なくなったらしい。ちょっとだけ安心した……。
 わたしに、確かめたいことというのは、きっと翠姫ツイチェン様のことだろう。
 天帝様は、やっぱり翠姫様を罰するおつもりなのだろうか?
 下天されたことは、口が裂けても言えない。
 何か聞かれても、「存じません」で押し通さなくては!
 あるじである翠姫様のことは、何としてもわたしがお守りするんだから!

 玄姫様と林杏姉様が、天空花園へ出発された後、牢番の天人が迎えに来て、わたしは紫微宮の牢獄へ連れて行かれた。
 小さな窓が一つある、狭い部屋だった。
 寝台のほかに、書き物机と椅子があった。
 処刑を前にして、ここで書き置きでもしたためるのかしら――。
 やだっ、……縁起でもないことを想像してしまった!

 ―― ガチャ、ガチャ、ガシャン!

 牢番の天人が、扉の錠前を閉める音がして、わたしはこの小部屋に閉じ込められた。
 とりあえずすることもないので、寝台に腰を下ろし、何気なく窓の方を見た。
 あれ? 窓枠のところに何かいる。緑色の小さなもの。黒くて丸い目が、わたしの方を見ている……。

「おお、深緑! 昼寝癖が災いして、とうとう牢獄送りとなったか!」
「か、か、か、か、か……、かえるが、しゃべったあー!!!」

 寝台の上でのけぞったわたしを、蛙が蛙らしからぬ声で笑った。

「フォッ、フォッ、フォッ! 今はゆえあって、このような姿をしておるが、わしも元々は天人じゃ! おぬしのことは、生まれたときからよく知っておるぞ。わしは、天人寮の沐浴池のそばに住んでおるのでな。おぬしときたら、沐浴しながらも、よく寝てしまうことがあったなあ。何も身につけていないというのに、ずいぶんと豪胆な天女がいるなと思ったものさ!」
「も、も、沐浴池の、そばって……、み、み、み、見てたんですかぁ? わ、わた、わたしのら、ら、ら、裸身をーっ! きゃあーっ!」

 天女は、裸身をやたらに他者の目にさらすべきではないと教えられている。
 裸身を目にすることで、人間界で負った「きず」が、疼く者もいるのだそうだ。
 わたしは、寝台にあった小さな枕を青蛙に投げつけた。
 青蛙は、小癪なことに枕をひょいっとよけて、今度は書き物机の上に跳び乗った。

「これこれ、危ないことをするな! わしは、池につかった姿しか見ておらんよ。それに、青蛙に裸身を見られたからといって、気にすることはあるまい」
「ま、まあ、そうですけど……。いや、でも、元々は天人なのですよね? 今は蛙でも……。下天したこともあるのだろうし……。やっぱりだめです! 本当に、池の中に入ったところしか見ていないんですね?」

 わたしがにらむと、青蛙は、また蛙らしからぬ声で、たいそう面白そうに笑った。
 怪しいわ……。本当は、ずっと見ていたのかも……。

「フォッ、フォッ! 信じてもらうしかないのう。わしとおぬしは、これより旅の道連れとなる運命さだめであるからな。互いを信じられぬようでは、良い旅はできぬ」
「旅の道連れ?」
「ああ、まあ、それについては、のちほど改めてということで――。それより、深緑よ、翠姫様は、何ゆえ下天したのじゃ? おぬしは、理由を知っておるのじゃろう?」
「し、知りません! わ、わたしは……、下天した理由など存じません!」
「ほう! やはり、翠姫様は下天されておるのか――」
「えっ? あっ? そ、それは……うーん……」

 うわーっ、大失敗! うっかり、翠姫様が下天されたことを認めてしまった!
 なによ、この青蛙! もしかして、天帝様のまわしものか何かなのかしら?
 わたしは、もう何もしゃべってやるものかと、唇をぎゅっと引き結んだ。
 青蛙は、黒く丸い目を閉じ、何度かこくこくとうなずいてから呟いた。

「おそらく、浩宇ハオユーを見つけたのであろう。あれから二年、人間界の時間にして七百年あまりか――。最近は、そう頻繁に、下天井げてんいに遠眼鏡を向けられることもないようであったが、実は密かに探しておられたのだな。いやはや、女神の恋情は想像以上に深いもののようじゃ!」
「れ、れ、恋情―っ?!」
「おやおや、深緑は、その年で恋情を知っておるのか?」
「し、し、知りません! ほ、本当に知りません! わ、わたしはまだお子ちゃまなので!」
「フォッ、フォッ、フォッ! それで良い! そなたが、恋情を知って悩む姿など、わしはまだ見たくないわい」

 どうやら翠姫様には、人間界に恋情を感じる方がいらして、その方に会うために下天されたようだ。女神様にそんなことをさせるなんて、恋情って怖いものね!
 確か、三日間はお戻りにならないっておっしゃっていたわよね? 
 ということは、人間界でいえば、およそ三年――。
 ふひゃあぁっ! 三年も人間界にとどまって、何をどうしようっていうのかしら?!

 人間界って、本当に不思議な場所だわ。
 やっぱり、当分わたしには下天なんて無理のようね! 
 まあ、天界にとどまれるかも怪しい状況なのだけれど……。

 書き物机の上で、青蛙は、にやりとしながら言った。

「わしはな、天界に生まれ落ちて数百年たつ。下天して、人間界にずいぶん長くとどまったこともある。わからぬことがあれば、何でも聞くが良いぞ! 特に、恋情についてはな、フォッ、フォッ、フォッ――」
「お気遣いありがとうございます。でも、ここに閉じ込められている限り、いろいろと教えていただいても役立てる機会はございません……はぁっ……」

 ため息をついたわたしを見て、青蛙も少し真剣な顔をした。

「そう、悲観するな。今夕には、そなたの処罰が決まる。お気の毒だが、翠姫様も、人間界から呼び戻されることになるじゃろう。しかし、心配はいらぬ。天帝様は寛容なお方じゃ。まだ、いろいろとお迷いのようだが、必ず皆のためになるようなかたちで、ことをお収めになるはずじゃ。落ち着いて時を待て、良いな?」
「はぁ、承知いたしましたぁ……」
「それでは、また、そのうちに……な!」

 その言葉を最後に、青蛙は、ぴょこんと窓枠に跳び乗り、小さな隙間から出て行ってしまった。そうか、蛙だったらあそこから自由に出入りできるのね。
 わたしは、生まれて初めて、蛙をうらやましいと思った。

 今度こそ、本当に独りぼっちになってしまったので、これまでに起こったことをゆっくり思い返してみることにした。
 夜明け前から紫微宮に召されて、天帝様からお叱りを受け、玄姫様と林杏姉様が荒れた天空花園の後始末に向かい、わたしは入牢して青蛙に会った――。
 一人静かな部屋の中にいると、長い、長―い夢を見ていたような気分になる。

 そういえば、青蛙が「旅の道連れとなる運命さだめ」とか、言っていたわよね。
 どういう意味かしら? わたしが青蛙と旅に出る? わたしは牢獄の中にいるのに……。
 ま、まさか、処刑場へ向かう死出の旅?! そんなぁ……。

 あーあ……、いろいろ考えて疲れた。
 枕を拾って寝台に横になると、大きなあくびが出た。
 このままだと、本当に夢をみてしまうことになりそうだ。

 昼寝をするな、と言われたけど……。今日は夜明け前に起こされて、ここに来たんだもの……。横になったら……、眠くなって当然よね……。ここは牢獄なのに……、どうして……、この寝台は……、とっても……気も……ちが……いい……の?……むにゃむにゃ……。
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