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みんなが帰った後、僕と両親は色んなことを話した。

菜摘さんとのこと、いじめのこと、 村上くんや昭恵さんとのこと……

これまで家族でこんなにも学校の話をすることはなかったので、両親は話題が変わる度に色んな反応を見せてきた。

「昭恵ちゃんって、隼のことを好きなんだろうね。」

話の後半、母親がこんなことを言い出した。

みんながいたときの様子を見るに、その事実は両親の中でも暗黙の了解のようになっていたと思っていたから、僕には何故母親が改めてそんなことを聞いてきたのかが分からなかったため、思わず黙ってしまった。


「すごく優しい子じゃない。あんたと菜摘さんのことが私たちに認められたら、今まで以上にあんたへの気持ちを忘れなきゃいけなくなるだろうに…わざわざうちにまで来てくれたりしてさ。」

「うん……」

「菜摘さんみたいなすっごく美人なお姉さんや、昭恵ちゃんみたいな優しくてしっかりした女の子に好かれるなんて…あんたも案外やるわね~」

「別に…たまたまだよ。僕がいじめられてなかったら菜摘さんと付き合えてなかったかもしれないし、あの日田中くんたちの悪企みに僕が気づいてなければ、昭恵さんと関わることもなかっただろうから…。」

「どんなに辛いことや苦しいことにも、長い目で見ればいい事も隠れているっていうことなのかしらね。」

「そう…かもしれないね。」


確かに長い目で見れば、この2年間、僕自身も周りの環境も置かれている状況も、目まぐるしく変化していった。

いじめのことや昭恵さんの事件のこと、菜摘さんと義兄のことなど、思い出すだけで苦しくなることも沢山あったけど、それらを一つ一つ乗り越えていく過程でこんなにも嬉しいことや幸せだと思えることも沢山あったのだ。

だから、抱える問題を全て乗り越えることができたなら、どれほど幸せになれるのだろう……。

今よりももっとずっと幸せになれるのだろうか…。


「その逆も言えるぞ。今はこうして私たちが認めたからお前と菜摘さんは堂々と付き合えるし、いじめについても学校と話をして解決に向かわせることもできる。しかし、いつ何が起きるかは分からない。長い目で見たときに、今のこの順調さがこれから起こる苦しみの入り口になってる可能性だって否定はできない。だから常に気を抜かずにいるべきだな。」

ずっと黙って僕と母親の会話を聞いていた父親が、またしても釘を差すように言う。

父の言うことはいつも正論で、思わず納得してしまうことばかりだ。

「そうだね。だけど僕には、そんな風にこれからのことを予見することなんてできるのかな…。まだまだ子供だし、経験だって無いんだよ。」

「大人のように先のことばかり考えて余計な心配事を増やせと言っている訳ではないよ。ただ……これから先いつ何が起こっても良いように、今を後悔しないように生きなさいと言いたいんだ。今が最高だと思える瞬間を沢山作りなさい。…この瞬間なら永遠に繰り返しても全く苦じゃない、むしろ何度でも繰り返してくれと思えるような時を過ごしなさい。……後でどん底に落ちたとしても、そういった輝いた『今』があれば、いくらでも未来の糧になる。奮起するための燃料にもなるんだよ。」


僕と母親は、父親の話を真剣に聞いていた。

"何度でも繰り返したくなるくらい最高の『今』を生きろ…"

昔の著名な哲学者のようなその理論だが、身近な人の口から聞くと、こんなにも響くものなのだと感嘆した。

そしてこの考え方は、是非菜摘さんにも伝えたいと思った。

彼女は将来への不安を抱きすぎた結果、義兄との関係を通して僕と彼女自身を傷つけたりした。

だけどもし、その状況で突然世界が終わりを告げて、その人の人生も終了するのだとしたら?

きっと後悔ばかりの人生になるだろう。

未来への憂いを残すばかりでなく、過去の自分の人生すら、二度と繰り返したくはないものになったまま終わることになるだろう。

だけど、今後について必要以上の不安を持たず、『今』を最高に楽しんだまま世界が終わったら?

きっと、もし再び世界が動き出した場合でも、その人生をもう一度やりたいと心から言えるようになるのだろう。

僕は自分もそうだが、菜摘さんにもそんな人生を送ってほしいと思った。

その為には『今』を後悔しないよう全力で生きるという考え方を知ってほしいとも思った。

そして、菜摘さんがこれからの不安を感じずに『今』を楽しむことが出来るためには、やはり僕の役割も大きいはずだと改めて思った。

父は菜摘さんに僕の今後を支えるように約束していたが、僕も菜摘さんのことを安心させていかなければいけないと思ったのだった。
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