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第六章 辺境伯夫人は兼業です

42.今後はどうしますか?

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「久しぶりですね。マクレーン辺境伯夫人」

 通信大臣ヘルムグラード閣下は、穏やかな微笑でアンバーを迎え、ソファを勧めてくださった。
 お目にかかるのは、約半年ぶりくらいだろうか。
 ユーインと初めて会ったあの誘拐事件、その調査協力の命令を閣下からいただいた。

「閣下にもますますご壮健のご様子、お慶び申し上げます」

 型どおりの挨拶を返した。
 今日のアンバーは、マクレーン領の副局長の立場で呼び出されている。
 非公式にということだけど、所属組織の最高位からの呼び出しだ。
 緊張するなというのは無理というもの。

「そうかまえないでください。本当に今日は非公式の場なんですよ。今回の交換機の件、あなたにお礼を言わなければと思っていましたから」
「おそれいります。けれどわたくしは何もしておりません。あれは技術省のノルディン卿の天才と、マクレーン辺境伯や商工ギルドの協力によるものです」
 
 アンバーは思い付きを口にしただけだ。
 それも前世のイメージをなんとなく、ぼんやりと伝えただけ。
 それを形にしたのはフリードで、費用を捻出したのはユーイン、領内に拡げてくれたのは商工ギルドだ。功績はかれらのもので、アンバーのものではない。

「相変わらず謙虚な姿勢は好ましいのですが、技術省のノルディン卿から聞かされていますよ。あなたなしにあの交換機はなかったと。人手不足の解決と利便性とを一気に満足させてくれる、通信省にとってはとてもありがたい発想です。確かにノルディン卿だけで思いつくのは難しかったでしょう」

 ヘルムグラード閣下は相変わらず優しい微笑を浮かべていたけど、この後に何かが続きそうで怖い。
 くすんだ灰色の瞳を、ぴたりとアンバーにあててくる。

「今回この交換機の更改を、王国を挙げてやってしまおうとなりましてね」

 更改、交換機を取り替えるということだ。
 国を挙げてとなると、かなりの大仕事になる。
 
「ノルディン卿がこの件の技術責任者に任命される予定です。早ければ来年春には、着工でしょう」

 フリードは今年の夏、王都からマクレーン領へ異動してきたばかりだ。
 それを一年も経たないうちに呼び戻すという。
 画期的な技術だから、技術省ではそんなこともあるのかもしれないけど……。
 
「その表情、おわかりのようですね? マクレーン辺境伯夫人、あなたにもこちらへ戻っていただきたいのです」

 ヘルムグラード閣下の笑みが深くなる。

(やっぱりそうか)

 なんとなくそんな気はしていた。
 フリードの指揮するチームに入って、仕事をすることになるのだろう。

「ノルディン卿からも是非にと乞われていますし、あなたの今後にとってけして悪い話ではないと思うのですよ。ただ……、あなたはマクレーン辺境伯夫人です。あなた自身のご事情もおありでしょう。ですから今日は非公式にお呼びしたのです」

 正式に異動命令が出されると、アンバーには従うしか選択肢がない。
 拒めば退職だ。
 異動の打診は、本来なら直属の上司からくる。こうして組織の最高位の大臣からされるということは、この異動がそれだけ重大だということだ。

「異動はいつでしょうか?」
「可能な限り早く。できればこの冬です」
「一度うちへ持ち帰りたいのですが、お時間をいただけますでしょうか?」
「もちろんです。良いお返事をお待ちしていますよ」

 猶予こそもらえたけど、ヘルムグラード閣下の表情を見る限り、アンバーの異動はほぼ確実らしい。
 困ったことになった。
 とにかく急いで自宅へ戻り、考えをまとめよう。
 ユーインはなんと言うだろう。
 考えるのも怖ろしかった。


 夕食後、大事な話があるとユーインを居間へ誘った。
 切り出し方が大切だ。
 伝える順序を間違えると、拗れる。
 どこから言い出そうかと迷うアンバーに、ユーインが先に口を開いた。

「ヘルムグラードは、帰ってこいと言ったのか?」

 どきりと心臓が跳ねる。
 怖々とユーインの顔を伺うと、薄い青の瞳が冷ややかにアンバーを見つめている。

「いつだ?」
「この冬だそうです」
「すぐじゃないか。年明けか?」
「たぶん」

 ユーインの唇から、ハッと荒い息が漏れる。

「ヘルムグラード、ヤツは俺にケンカを売るつもりか」

 ヘルムグラード閣下だけの意向ではないと思う。
 通信省はもちろん技術省や経済省、もしかしたら王室もご存知の人事かもしれない。
 王太子妃ヴァスキア様は、アンバーが王都へ戻っていることをご存知のはずだ。それなのになんのお言葉もない。

(きっとご存知なのだわ。どう声をかけたものか、困っておいでなのでしょうね)

 この人事、ヘルムグラード閣下のおっしゃるとおり、アンバーにとって悪い話ではない。
 もし独身時代であったなら、ふたつ返事で受けたに違いない。
 王都で大きな仕事のチームに加わる。それはその後の将来が明るいことを意味している。
 魅力的な誘いだ。
 けれど今のアンバーには、守るべき家がある。愛する夫もだ。
 この人事を受け容れれば、離れて暮らさなくてはならない。前世風に言えば単身赴任だ。
 まだ新婚と言って良い時期だ。単身赴任は正直つらいと思うけど、仕事を続けたいならこの機会を逃すべきではないのもわかる。
 問題はユーインが気持ちよく出してくれるかどうか。
 チームの責任者がフリードだというのも、間違いなくひっかかるだろうし。

「ユーイン、私は行きたいと思っています」

 ぐずぐずと言い回しを考えるのを、アンバーは止めた。
 いくら飾っても、アンバーが仕事を続けたい本音は隠せない。どんなにユーインを愛していても、今はそれが本音だから。この先変わるかもしれないけれど、とにかく今はそうだ。

「あいつと一緒にか?」

 氷点下の冷気をまとう声。

「そうよ。ノルディン卿は責任者ですもの」

 押し負けてはいけない。
 少しでも怯めば、フリードとの仲を邪推される。
 アンバーは目に力を込めて、まっすぐにユーインを見つめた。

「認めてほしいの、ユーイン。お願いよ」
「いやだと言ったら?」
「言ってほしくはないけど、あなたがどうしてもと言うなら断るわ」

 見つめ合う。
 息のつまる沈黙が続いた。

「ズルいな、君は」

 先に目を逸らしたのはユーインだった。

「嫌だと言えば、俺は君を失う。そうだろう? 俺がそれに耐えられないと知っていて、君は……」

 悔し気に歪んだ表情が、アンバーにはとても愛おしい。
 辺境伯夫人としては、褒められたことじゃないのは承知している。言ってみればアンバーの我儘だ。
 それでもアンバーの大切なものを、渋々でも認めてくれるユーインを愛おしいと思う。

「週に一度、必ず帰ると約束します」
「…………く」

 ぼそりと、ユーインが何か口にした。

「なんて言ったの?」
「俺が行く。そう言った」

 不機嫌丸出しの低い声だけど、今のアンバーにはわかる。
 テれているだけだ。

「待つのは性に合わん」

 顔を背けたまま言い足したユーインの、耳は真っ赤に染まっていた。
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