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第三章 副局長になっちゃいました

20.明日がありますから

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 「俺を産んだ女は、零落した貴族の末裔だった……、いや本当かどうか知らない。だが本人はそう言っていたな」

 寝台に腰を下ろして、ユーインはゆっくりと話し始めた。

「何代か前に魔力なしが原因で平民落ちしたらしい。本当ならこんなところにいる女じゃない。それが口癖だった。だからだろうな。当時まだ若かった父と関係をもった。父には婚約者、マクレーンの母上のことだが、大切な人がいたのにだ。父はよくいえば善良な方だったからな。気の毒な女だと、同情してそうなったんだろうさ」

 ユーインは、皮肉な笑みで唇を歪ませている。

「そして俺ができた。当然のように父に結婚しろと迫ったそうだが、ありえない。あの女が本当に貴族の末裔であるのなら、貴族は平民と結婚しないと知っているはずだ。おかしいだろう?」

 アンバーは黙って聴いている。
 ときおりユーインの手を握って、「大丈夫、ちゃんと聴いている」と伝えはするけど、なにか言葉を挟むことはない。

「父は婚約者のノルディン侯爵令嬢と結婚した。俺たちを見捨てなかったのは今の母上だ。平民との間に生まれた俺は魔力なしで、マクレーンの一族だと認める必要なんかなかったのにだ。母上のおかげで、俺とあの女は生きていられた。領主の囲われ者だと、あの女は周りに言いふらしていたようだがな」

 ユーインは実の母を嫌いなのだ。その証拠に、これまで一度も母とは呼んでいない。「産んだ女」「あの女」と呼んでいる。

「あの女にいつも言われていた。『おまえが魔力なしだから、あの方が帰ってこない』幼い俺は、自分が悪いのだと思った。だから少しでも褒められようと、剣術の稽古に精を出したんだ」

 アンバーの胸が詰まる。
 わかり過ぎるほど、その気持ちがわかったから。

「悪くないのにね……。いじらしいわね」

 言葉に出した後、ユーインの手を握る。
 ほっと息をひとつついて、ユーインは滲むようにじわりと微笑んだ。

「母上が俺を引き取ってくださる頃には、俺にもあの女がおかしいとわかっていたんだ。マクレーンの家に押しかけて、本妻は自分だと騒ぎたてる。当時まだ子供のなかった母上に、子なしの分際で辺境伯夫人でいるのはおかしいと、それはひどい言葉で罵っていた。何度か目の前でその場を見せられて、俺はあの女と血がつながっていることを心から嫌だと思ったよ」

 吐き捨てるようにユーインは言った。
 確かに幼い子供に見せていい場面ではない。平民の寝盗り女が、恥ずかしげもなく貴族の館へ出向いて、正妻に悪口雑言を浴びせる。正気の沙汰じゃない。

「お父様、前の辺境伯閣下は、なんとおっしゃっていたの?」

 囲われ者だと、ユーインの実母は言っていたらしいけど、そこはとても大切だとアンバーは思う。それが本当なら、お義母様だって寛大ではいられなかったのじゃないか。

「母上と結婚する前に、それなりの金を渡して縁切りをした。今さらなにを言うと、大層お怒りだったな」

 きっと事実なんだろう。けれどユーインがいる限り、本当の縁切りなどできるはずはない。お義母様はわかっていらしたのだ。
 このままユーインの実母に騒ぎ立てられ続けるくらいなら、子供だけはひきとって育てよう。
 あの賢いお義母様なら、そうお考えになっても不思議ではない。

「俺をひきとる、渡さないと、あの女とマクレーン家の間でもめていたころだ。街であの女がエイミーを拾ってきた。『あの方との子よ』そう言ったよ。そんなはずないのは、幼い俺にだってわかった。エイミーと俺とあの女との暮らしは一年くらい続いたか。七歳になった時、俺はあの女から離れたんだ」

 そこまで話して、ユーインは嫌そうに首を振った。湯上りの湿った赤毛が少しだけ重く揺れて乱れる。

「幸いなことに、母上は男子をあげられた。母上によく似た綺麗な赤ん坊でな、魔力の量も申し分のない優秀な跡継ぎだったんだ。だからその三年後父上が亡くなった時も、マクレーン家は安泰のはずだった。母上は気丈に家を切りまわしながら、俺と弟をお育てくださっていたからな。だが……、母上はお優しすぎた。父上を失い俺まで手元から奪われたと泣き喚くあの女を、この屋敷にひきとってやった。それからだ。この屋敷に、いや俺に不幸がつき始めたのは」

 お義母様は貴族らしい考えをなさる方だ。
 ユーインの言うようにお優しいだけで、そんな寝盗り女を引き取ったとはとても思えない。
 あることないこと領内で騒ぎ立てられて、亡き夫の名誉が汚されるのが嫌だったのだとアンバーは思う。それくらいならと、毒を承知で囲い込んだというところじゃないか。
 けどその毒が、ユーインには効き過ぎたようだ。

「最初の不幸は弟が亡くなったことだ。まだ十一歳だった。優秀な何も文句のつけようのない弟だったのに。母上が嘆き悲しんでいるのを見て、あの女は天罰だと笑った。戦でない場所で、人を殺したいと思ったのはあれが初めてだ。こんな女と血がつながっているのかと、天を呪いたいと思ったよ。その後、魔力なしの俺が当主になった。するとあの女はさらに増長して、館の女主人のように振る舞い始めた。さすがに母上も俺も、放っておくことはできなくてな。東の館におしこめて監視をつけた。それから二年だ。あの女はますます正気を失ってやっと死んでくれたよ」

 ユーインはそこで一度息をつく。
 過去の経緯はアンバーにも伝わった。けれど今ユーインが語ったことは、ほぼ事実をならべただけ。
 ユーインがエイミーに見せる反応の元凶は、語られた事実の中にはたぶんない。
 だからアンバーは、ユーインが再び口を開くのを待った。
 けして急かさず、ただじっと。ユーインが自分の傷を、自ら口にしてくれるのを。

「俺は逃げたんだ、アンバー。情けないが、俺はあの女と向き合うのが怖かった。あの女の声を聞くだけで、身体中に嫌な汗をかく。顔を見れば吐き気がした。だから母上がおっしゃるならと、母上を口実にして向き合うこと、あの女について考えることから逃げた。母上だけじゃなく屋敷中の使用人たちを困らせていることからも、目をそらし続けたんだ。エイミーはその間ずっとあの女の世話をしてくれていた。あんな女でも俺を産んでくれた人だ。俺はその人を見捨てるどころか嫌って憎んで、最後は死んでくれてほっとした。俺はあの女の息子に相応しい、最低の男だ」

 つぅとユーインの頬を涙が伝う。
 赤毛の頭を抱えて俯くユーインの背を、アンバーは優しく撫でる。

「ユーイン様はすこーしも悪くないです。親を選んで生まれることはできないから、お祭りのくじみたいなものでしょうか? あたりもはずれもある」

 前世風に言えば親ガチャだ。
 ユーインははずれを引いた。ただそれだけだ。

「ハロウズの母、ユーイン様もご覧になったでしょう? あれも相当ですよ? 私もはずれです」

 事実だから、アンバーの言葉に一切の化粧はない。
 正直に素直に、思ったままを口にしている。
 赤らんだ目元のユーインが、まじまじとアンバーを見つめてくる。

「君は……。何を聞いても変わらないんだな」

 何を聞いても?
 いや、母の前では変わっていると思うけど。母的には悪意なく、でもアンバーにはとてもこたえる言葉を連発する人の前では、変わっている。

「母の前とか、近いところではエイミーの前では変わっていると思いますよ?」
 
 これも事実だ。
 エイミーの悪意の前では、とても無心ではいられない。
 正直に口にしたら、熱をはらんだ薄青の瞳とぶつかった。

「このまま抱きたい」

 抱きしめられて、アンバーは少し迷った。
 不安定なユーインは、今誰かに側にいてほしいのだ。エイミーという毒を断つための薬に、なってあげてもいいとは思う。
 けれどまだお風呂に入っていない。
 朝から一日働いて、とても綺麗とは言い難いアンバーの身体だ。
 迷った末、アンバーはユーインの胸を押しやった。

「明日も早いのです。今日はこのままおやすみください」
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