上 下
19 / 45
第三章 副局長になっちゃいました

19.自分で気づかないとダメです

しおりを挟む
 目の前で固まっているユーインと、似たような反応をアンバーは知っている。
 ハロウズの母から「不器量」「気が利かない」「かわいげがない」「あなた程度」とか、自分の価値を傷つけられる言葉が出る度、アンバーは心を凍らせていた。
 何も聞かない。何も聞こえない。母の言葉はただの音の連続だ。そう言い聞かせて。
 
(ユーイン様も同じ?)

 だったらエイミーのやり方は、吐き気がするほど卑しく汚い。

(許せない)

 アンバーの足が勝手に動いていた。
 エイミーを貼り付けたまま呆けたユーインの頬を、両手で挟んでパシンと叩く。

「しっかりしてください、旦那様」

 はっと我に返ったユーインの、薄青の瞳にまず戸惑いが、続いて羞恥が映る。

「アンバー……」

 妻の名を呼んで、ふいっと顔を背けた。

「旦那様、とりあえずこの無礼な使用人を引きはがします。いいですね?」

 許可を一応求めたけれど、アンバーは既にもう決めていた。
 距離をとって主家の内輪もめを見守っていた護衛騎士に、アンバーは視線だけで命じる。
 さすが武門で名高いマクレーン家の騎士だ。表情ひとつ変えることなく、あっさりエイミーを引きはがして拘束してしまう。

「痛い! ユーイン、やめさせて。わたしにこんなひどいこと。母さんが悲しむわ」

 悲鳴をあげて、エイミーは憐れっぽく縋る。
 こんな状況でなお、芝居を続けられる度胸には、つくづく脱帽する。
 
(毒だわ)

 前世の母、今生の母ともに、アンバーにも毒だった。
 だからわかる。
 ユーインの実母のことは知らないけれど、このエイミーは確かに毒だ。
 「あなたのため」「大事だから」「愛しているから」なんて耳に優しい言葉を最初につけて、人の心の内側を侵しゆっくりと少しずつ病ませる毒。
 
「いかがいたしますか?」

 ユーインの側に控えた茶の髪の護衛騎士が、アンバーに指示を求める。

「東の館に。あらためて指示を出します。それまで閉じ込めておいて」

 ユーインが何か言いかけるのを、アンバーは彼の腕を掴んで制止した。
 毒を毒だと自覚できるまで、何も言わせるべきではないと思ったから。

(今はまだ、毒を失くすことを不安に思うでしょうね)

 前世も今生も、アンバーはいつも実母に怯えていた。なのに「実の娘だから」とか「この世で一番愛しているから」とか、そんな言葉にすがりついてもいた。
 母はアンバーを愛しているから、だから他人が言わない本当のことを言ってくれるのだ。
 そう思おうとして、母を嫌うなど罪深いと自分を責めてさえいた。
 アンバーさえ母の希望どおりに生まれていれば、こんなに母を失望させなかったのにと。
 前世を思い出した時、それがいかにバカバカしい呪縛だったかを悟った。
 それでも長年砕かれ続けた自己肯定感は、完全には戻らない。その自覚は、アンバーにもあった。
 だからユーインの今がわかる。
 彼の呪縛は、まだ解けていない。


「ユーイン様、とりあえず部屋へ戻りましょう」

 いまだにユーインの名を呼び続けるエイミーを無視して、アンバーはユーインの腕を引いた。

「アンバー……。俺は……」

 ユーインの薄い青の瞳が、頼りなさげに揺れている。
 アンバーより頭ひとつ分高い背丈、しなやかでたくましいユーインが、まるで庇護を必要とする幼子のように見える。
 キュンと、アンバーの胸が鳴った。

(あれ? なにこれ)

 男性にこんな感情を持ったことはない。
 男じゃないから前世では大学へ進めなかった。今生では就職さえ難しくて、結婚するしか生きる道はないのだと言われ続けてきた。
 男という存在は、いつもアンバーの邪魔をするか貶めてくるモノで。だからこんな胸が締め付けられるような、甘い痛みを感じたことなどない。
 男の中で嫌いではないと思えたのは、兄ルーティスとフリードだけだ。兄は家族枠、フリードは友人枠なので、キュンとは程遠い。
 ということは、今のキュンは初めてのキュンで。
 ユーインはアンバーにとって、特別な存在なのか?

(同情よ、これは同情。似た境遇みたいと思ったから、それで心が引っ張られただけ。勘違いしちゃダメよ)

 前世今生通して、ほとんど恋愛経験のないアンバーだ。
 感情の処理とか分類の方法がわからない。わからないこと、初めてのことは人の心から冷静さを奪うもの。

(落ち着いて、アンバー。大丈夫、これは同情だと認識するの。そうしたらいつもの私に戻れるから)

 そもそも恋愛感情の好意とそうじゃない好意と、その違いさえわかっていないのだ。
 いまのキュンの正体がわかってから焦っても遅くない。
 落ち着け落ち着けとさらに繰り返して、アンバーはユーインの袖を引っ張るように夫婦の寝室へ入った。
 
「ここなら大丈夫。もう人の目はありません」

 アンバーは背伸びをして、ユーインの赤毛の頭にぽんと手を置いた。

「みっともないところを見せた」

 しゅんと萎れた様子が、前世のご近所さんが飼っていた雑種の大型犬を思い出させる。
 普段はツンとすましている癖に、前世のアンバーにだけはブンブン尻尾を振ってくれた。金と茶の間みたいな長毛だったから、多分ゴールデンレトリバーの血が入っていたんだろう。でも顔つきは柴犬ぽくて、ツンはシバの血なんだと可愛らしかった。
 目の前にいる赤毛の大型犬も、かなりのツンデレだ。多分、少なくとも今はツンではない。デレというには少し足りないから、デレ寄りのツンというところ。

「私はハロウズの母から逃げたくて、ここに来ました。そんな女の前でみっともないなんて、思わなくていいです」

 アンバーはユーインの頬を、両手で挟むようにして優しく撫でる。
 そういえば前世の大型犬にも、かつてそうしていた。
 
「アンバー、君は……」

 ユーインの両腕がアンバーの背にかかって、次の瞬間ぐいと思いきり抱き寄せられていた。

「カッコつけさせてもくれないんだな。ひどい女性ひとだ」

 艶のあるテノールの声が、切なげに甘い。
 でもないのに、耳元でこの声は反則だ。ドクンと、大きく胸が鳴った。

「聞いてくれるか、俺の話を。知られれば嫌われる。そう思って言えないでいたことだ。だがいつかは聞いてほしいとも、思っていた」

 「いいか?」と問われて、アンバーは頷いた。
 誰かに話せば、少しは楽になる。解呪のステップをユーインが望むなら、サポートしてあげたいと思う。

「ありがとう」

 ユーインの薄い青の瞳に、初めて会った時と同じ、嬉しそうな優しい色が載せられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

[完結]私はドラゴンの番らしい

シマ
恋愛
私、オリビア15歳。子供頃から魔力が強かったけど、調べたらドラゴンの番だった。 だけど、肝心のドラゴンに会えないので、ドラゴン(未来の旦那様)を探しに行こう!て思ってたのに 貴方達誰ですか?彼女を虐めた?知りませんよ。学園に通ってませんから。

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

初めての相手が陛下で良かった

ウサギテイマーTK
恋愛
第二王子から婚約破棄された侯爵令嬢アリミアは、王子の新しい婚約者付の女官として出仕することを命令される。新しい婚約者はアリミアの義妹。それどころか、第二王子と義妹の初夜を見届けるお役をも仰せつかる。それはアリミアをはめる罠でもあった。媚薬を盛られたアリミアは、熱くなった体を持て余す。そんなアリミアを助けたのは、彼女の初恋の相手、現国王であった。アリミアは陛下に懇願する。自分を抱いて欲しいと。 ※ダラダラエッチシーンが続きます。苦手な方は無理なさらずに。

つがいの皇帝に溺愛される皇女の至福

ゆきむらさり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

乙女ゲームの期限は過ぎ、気が付いたら三年後になっていました。

柚ノ木 碧/柚木 彗
恋愛
確か【公式】に……。あれ、【公式】って? え、ナニソレ? はい、そこで私気が付きました。 ここってもしかして、いやもしかしなくても! 『乙女ゲーム』の世界じゃないのさーっ! ナンテコッタイ! しかも私は名前さえ出て来ないし、乙女ゲームの舞台にも上がれないモブ以下。おまけに攻略対象者の一人は実の兄。もっと酷いのは、乙女ゲームの舞台の学園より遙か遠い地で、幼女な私は拉致されて一つ上の姉と共にお貴族様の妾の身分!なんなのこの仕打ちは! 更には気が付いたら乙女ゲームの期限は過ぎていて、ヒロインが誰を攻略したのかわからない!噂にさえ登って来ないわ、遠すぎて。 そんな土地だけど。 乙女ゲームの時期は過ぎてしまったけど。 最オシの聖地で頑張って生きていきます! 『今日も学園はゴタゴタしてますが、こっそり観賞しようとして本日も萎えてます。【連載版】』の『if』の話となります。キャラクターや舞台はほぼ同じですが、時間と細かい設定が違っております。 *『今日学~』を知らなくても大丈夫なように書いております。*

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

処理中です...