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第三章 副局長になっちゃいました

14.意外なお客様です

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 結婚式の七日後、アンバーはマクレーン辺境伯家に移った。
 通信省から認められた結婚休暇は二週間で、その半分弱は式の準備に消えて、残りは王都のマクレーン邸での新婚生活に消えた。
 王都からマクレーン辺境伯領まで馬車でまる一日かかる。
 今朝朝日が昇ると同時に出発して、到着するのは夕方の予定だ。
 そして明日には、交換局へ出勤しなければならない。

 地理感のまるでない新しい土地で、新しい職場と人間関係に囲まれる。社会人生活二年の間にずいぶんマシにはなってきたけれど、もともと「人と極端に違わないように」とか「目立たないように」とか、地味目な目標をたてて生きてきたアンバーだ。初めての人や場所には、強くない。というかむしろ弱い。
 しかも今回の異動では、過分な職位をもらっている。
 転勤を渋る女子職員が多い中、「どこへでも行きます」と言い切った勇敢さと日ごろの優秀さが評価されたのだと上司は言っていたが、それは半分だけ本当で半分は嘘だ。
 領主夫人であるアンバーを、平の職員でおいておくわけにはいかないという配慮があったのだと思う。
 事務職員と交換手合わせて全部で20人ほどの小さな局だけれど、アンバーはそこの副局長の辞令をもらっていた。

(交換手はどこでも人手不足と聞いてるけど、マクレーン領でもきっとそうね)

 マクレーン辺境伯領の街の規模は、王都ほどではないにせよ結構大きい。領主の館のある街は、王都の商店街のように小ぎれいに整備されていて、軒を連ねる店舗の業種は様々だ。
 思ったよりはるかに賑わいのある様子に、これは電話の設置数も案外多いかもしれないとアンバーは思う。

 館へ向かう馬車の中、向かいに座っている夫ユーインには見向きもせず、窓の外ばかりをアンバーは眺めていた。
 王都からの幹線道路を通っているのだから、おそらくこの沿線が一番栄えているはずだと当たりをつけている。少しでも領内の様子を知っておきたかった。

「交換局はマクレーン邸の敷地内にある。そんなに熱心に外を見ても、無駄だ」

 ユーインの低い声が、不機嫌に聞こえる。
 アンバーは身体の向きをあらためて、正面の夫の顔を見る。本当にぶすっと機嫌が悪そうだ。
 その理由には心当たりがあった。

(だから言ったのに……。私はゆっくり外を眺めながら行くから、エイミーと同じ馬車で行けばいいって)

 妻を連れて初めて領地へ入るのだ。館に着く時には、さすがにアンバーと一緒にいた方がいい。でも長い道中は別だ。黙っていれば、愛人と一緒の馬車にいることぐらい、皆気づかないフリをしてくれるはずだ。貴族の結婚なんて、しょせんそんなものなんだから。
 「どうぞエイミーとご一緒に」の奨めを、断ったのはユーインだ。ぶすっと嫌な顔をされるおぼえはない。
 だから夫の不機嫌は、みてみないフリをする。
 That’s not my business!
 知ったことじゃない。

 ツンツン尖った嫌な空気にも、アンバーは知らん顔を通した。
 そしてそれから一時間ほど後、小高い丘の上にある堅牢な城塞の正門をくぐった。

「旦那様、奥様、若奥様、お帰りなさいませ」
 
 辺境伯領の執事ボルドウィンが、綺麗に撫でつけられたシルバーグレイの頭を下げている。
 玄関先にずらりと並ぶ使用人の数は、さすが本邸、王都の館の比ではない。ざっと五十人以上はいる。

「ああ、皆変わりはないようでなによりだ。妻のアンバーだ。よろしく頼む」

 ユーインがアンバーの腰に手をまわして、ぐいっと抱き寄せる。
 このお屋敷では初お目見えだから、こういう新婚っぽい演技も必要なのかもしれないけど、ついさっきまで口もきかないほど険悪な雰囲気だったのに。
 それでもここはアンバーも、ユーインのお芝居に付き合っておいた方がいいと思う。これからしばらくは、ここで暮らさなくてはならない。当主に蔑ろにされている妻は、使用人たちからも侮りを受けるものだ。

「アンバーです」

 控えめに微笑んで、多くを口にしない。
 優し気な印象を意識して作った。口角を上げて、目元を少しだけ下げるイメージだ。

「若奥様付きの侍女とメイドを、後で伺わせます。まずは旅の疲れをおとりください」

 ボルドウィンの言葉を合図に、使用人の列の最前列から二人のメイドがアンバーの後ろについた。

「ではそうしよう」

 アンバーの腰を抱いたまま、ユーインは玄関をくぐる。

「着替えてくるといい」

 アンバーの耳元に唇を寄せて、そっと囁いた。
 アンバーに従うメイドが息を飲む気配が伝わって、アンバーの頬にかぁっと血が上る。
 わかりましたとやっとそれだけ応えて、アンバーはメイドに案内されるまま自分の部屋へ入った。



 「奥様が王都でお揃えになったものでございます」

 アンバー付きの侍女フィレンは鹿のような明るい栗色の髪に、灰色の瞳をしている。背の高い控えめな感じの美女だ。
 彼女の奨めで衣裳部屋をのぞく。
 ワードローブにずらりと並んだドレスは、シックで上品なもの、かわいらしいもの、活動的なものと、印象だけでも様々取り揃えてあった。
 アンバーの生活スタイルと趣味に合わせてくれたのだろう。いくつかはアンバーが選びそうもないデザインや色味のものも入っているけれど、それはきっとお義母様のお好みなのじゃないかと思う。
 一緒に合わせるアクセサリ、バッグに靴、手袋にパラソル、ハンカチやストール、スカーフの類までびっしり揃えられている。
 明日からの出勤に、困ることはなさそうだった。

「どれも素敵ね」
「お召しになりますか?」

 まだ十代らしい少女が、すすっとアンバーの脇につく。膝より少し長いスカート丈の、かわいらしいメイド服を着ていた。
 期待でキラキラした瞳の色はオレンジ色で、ふわふわ柔らかそうな髪も同じ色だ。彼女の名はローリーだと、フィレンから紹介された。

「その前にお風呂に入りたいわ」

 長旅で埃まみれになっていた。
 着ているものを全部脱いで、髪の先から爪先まで綺麗に洗い流してしまいたい。

「すぐにご用意いたします」

 たたたたっとローリーが足早に部屋を出て、戻って来た時には男の使用人十人ほどと一緒だった。みな両手に、湯の入った手桶を抱えている。
 ミルクをたっぷり垂らしたお湯がたちまち用意されて、アンバーはその日初めて、ほうっと心地よいため息をつくことができた。



「若奥様、申し訳ございませんが……。奥様がお呼びでございます」

 髪を乾かし終わった頃、お義母様付きの侍女マルグリットがアンバーを呼びに来た。

「お客様がおいでです。すぐに来てくださるようにと」

 領地入りした初日に、どなただろうとアンバーは首を傾げる。
 何もこんな落ち着かない日に来なくとも、もう少し落ち着いてから来てくれればいいのに。

(気が利かない)

 ちらっとそうは思ったけど、そこはお義母様がお命じになったことだ。契約結婚とはいえ嫁の立場で、文句が言えるはずもない。

「わかりました。すぐに伺いますとお伝えして」

 答えてから大急ぎで支度して、お義母様のおいでになる応接間に着いたのはきっちり十分後。

「アンバーでございます」

 声をかけて扉を開くと、金色の大きな猫がアンバーに抱き着いた。

「アンバー! 久しぶりっ!」

 この声にはおぼえがあった。少年のように透きとおってかわいらしい、少し甘えた声。

「フリー?」

 フリード・ノルディン。ヴァスキア様のふたつ下の弟君だ。
 どうして彼がここにいるのか。
 
「ひどいよ、アンバー。僕が留守した間にお嫁に行っちゃうなんて。びっくりしたんだからね」

 まさか恨み言を言うために来たわけじゃないだろうけど。
 事情はともかく、彼はアンバーの数少ない友人の一人だ。
 とりあえず意外ではあったけど、会えて嬉しい。

「遠いところ、ようこそおいでくださいました」

 ノルディン侯爵家の次男であるフリードを、淑女の礼でお迎えした。
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