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第六章 セスランの章(セスランEDルート)

91.あの愚か者が

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 何を勝手なことをと、猛然と腹が立った。
 おまえごとき?
 パウラに言わせれば、黄金竜オーディこそおまえごときだ。
 しかも「それは私のもの」だと、ヤツは言った。とは誰の事だ。
 何からなにまで腹が立つ。
 ああ、悪態の1つや2つ、いやそれ以上の数、並べて叫んでやっても良いだろうか。

 くわっ。
 擬音をつければそんな感じで、パウラは空を睨みつける。
 だいたいだ。
 姿も見せずに声だけなどと、バカにしている。
 そういえば前世の最期もそうだった。声だけで、姿は見せなかった。
 どこまでもいけ好かない。こんな男が、名のみのとは言え、夫だったとは腹立たしい。

(せっかく良い雰囲気だったというのに、台無しね)

 と胸の中で悪態をついて、はっとする。
 あのままことが運んでいたら、生涯初めてのイベントになるはずだった。
 今夜を逃せば、機会はない。
 明日には、黄金竜の泉地エル・アディへ戻らねばならない。
 だからパウラも覚悟していた。
 いやしたはずだった。
 パウラは自分が真面目過ぎることをよく知っていたが、今回ほどその真面目さ加減を嫌になったことはない。

 実践試験地はとても貧しい辺境の地だと聞かされて、彼女は遠征に相応しい服装や携行品を用意した。
 華美ではなく、できるだけ質素で実用的で、用意できるのなら古着などあればさらに良い。
 と、教科書どおりの模範生らしい準備をしてきたために、新しい下着の一枚もない。
 手縫いのレース、ヴェストリーで求めた下着のセットが、黄金竜の泉地エル・アディに戻れば衣装箱に入っている。
 ヘルムダールからこっそり持ち込んだそれは、パウラのオトメゴコロの象徴だった。
 身に着ける予定はなかったけれど、それでも持っているだけで安心できた。
 今こそ、あれが必要なのに。
 
(ああ、あれさえあれば少しは余裕を持てたでしょうに)
 
 揺れ動くオトメゴコロを持て余す。
 だからといって、黄金竜オーディに従ってやるかとなるとそこは別の話だった。
 二度とあいつの思いどおりになどなるものか。
 新しいレースの下着には目をつぶろう。
 瞑りたくはないけど、あいつの言いなりの人生を強制されるよりははるかにマシだ。


「パウラ、どうやら声だけだ」
 
 セスランの声に、はっとして辺りをうかがう。
 なるほど。黄金竜オーディの実体らしき気配が、まるで感じられない。

「今なら跳べる」

 転移門を使わない転移魔法は、高位の魔術師にのみ使える高度な魔法である。
 4人の聖使は皆、この転移魔法を自在に使える。

「行くぞ」

 手を握られて抱きかかえられる。
 ふわりと薔薇の香りがして、目の前が真っ白い光に包まれた。
 あまりの眩しさにぎゅっと目を閉じる。
 目を開くと、見知らぬ景色が広がっていた。
 高い山、それも険しい切り立った崖の目立つ山が連なっていくつも。
 緑よりも茶の色の目立つ山、それに僅かばかりの平地がぽつぽつと。

「白虎の始祖の山だ」

 パウラを大事そうに抱きかかえて、その背を幾度か撫でてくれる。
 安心して良いのだと、翡翠の瞳が言っていた。

「セスラン、よう戻ったの」

 水晶のように透明で硬質の声には、黄金竜オーディに似た神気に溢れている。
 けれど穏やかで優しく、温かかった。



 白く癖のない髪は長く、すらりと背の高い青年の腰ほどまでを覆っている。
 すっきりと整った中性的な美貌は、その透明な声とあいまって、目の前にいる彼が確かに白虎の始祖なのだと信じさせてくれる。
 白いまつ毛を重そうに上下させて、サファイヤブルーの瞳が、セスランとパウラを等分に眺め、ゆったりと微笑んだ。

「でかしたと、そう言ってやらねばならぬようだ」

「ご恩情に心から感謝いたします」

 既に膝を折り青年の前で頭を垂れているセスランが、短く答える。

「だが……」

 一緒に跪いて頭を垂れているパウラに近づいて、下からのぞき込む。

「契約の楔は打たれていないような。
 甲斐性のないことだな」

 何を言われたのか、わからない。
 隣のセスランを見ると、耳まで真っ赤になっている。

「さっさと済ませてしまうことだ。
 それでそなたは黄金竜やつを凌ぐ竜になる」

 知っているのだろうと、青年は笑って続ける。

「ヘルムダールの、それも聖紋オディラを持つ姫に愛された者が、次の黄金竜になる。
 次代の竜族の長が、白虎の血を継ぐ者とは、なんとめでたいことか」

    二人の目の前の景色が変わる。
 緞帳が上げられたように急に開けた視界に、水晶の床と天井が映る。
 広間と言って良いその部屋の奥に、大きな天蓋付きの寝台がどんと据えられている。

「あの愚か者は、やり過ぎた。
 銀狼も白虎も、こうして封印されてはいても滅ぼされたわけではない。
 竜の長がその伴侶ともどもに、愚か者となり果てるなら、我らもこのまま黙って見てはおられぬよ」

 黄金竜の唯一である竜后が、愚かであるという彼の言には、心から拍手を送りたい。
 本来の竜后の仕事を側室たる聖女オーディアナに丸投げして、好き放題やっている人だ。
 そんな身勝手な人を唯一と溺愛して、なによりも大切に最優先している夫も夫。
 夫婦して愚か者以外の何ものでもない。

「ご厚情、まことにありがたく……」

 セスランの口上を、首を振って始祖は遮る。

「これは我のためでもある。
 そなたと姫が次代の竜を束ねれば、我の封印も解けようかと。
 その思惑もある」

 さっさと本懐をとげよと、笑って姿を消した。


 水晶の間に残されたセスランとパウラは、頭を垂れた姿勢のまま固まっている。
 少なくともパウラはそうだった。
 「本懐をとげよ」と言われて、「はい、わかりました」とできるものか。
 やはり始祖の感覚は、人とは違う。
 
「本懐か……。
 言いえて妙だな」

 けれどセスランは違うようで。
 こぼした言葉には、しっとりと情感が込められている。

「始祖様の思惑がどうであれ、この瞬間を与えてくれた。
 何を引き換えにしてもかまわぬ」

 おそるおそる顔を上げると、跪いた姿勢はそのまま顔だけをこちらに向けたセスランの、翡翠の瞳に絡めとられる。
 息をすることを、パウラは忘れた。
 レースの新しい下着のことも頭から吹っ飛んで、ただじっとパウラをみつめる翡翠の瞳から目が離せない。

「本懐を遂げさせてもらう」

 その声を、パウラはセスランの腕の中で聞いた。
 これまでにない強い力で抱きしめてくる腕は、震えも迷いもない。
 ふわりと、パウラの身体を抱き上げる。
 僅かな振動で、セスランが移動しているのだとわかった。
 大切にそっと下ろされたのは、真っ白いシーツの上で。
 見開いたパウラの目の前には、優しさと愛しさと焦りとがないまぜになった翡翠の瞳があった。
 
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