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第六章 セスランの章(セスランEDルート)

87.エリーヌのアドバンテージ

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 高く険しい山は、万年雪の帽子を被っている。そこから吹く風は季節を問わず冷たくて、作物の生育に影響している。
 小麦やコメのような穀類はまず無理で、環境に影響されない強い雑穀のみがわずかに育ってくれる。
 それだけでは一年分の必要量に届くはずもなく、補うための芋や豆の畑もあちこちにあるが、採れる芋や豆は痩せて小さなものばかりで、すべて足しても到底足りない。
 いつもいつも食糧は不足していて、そこに暮らす人々を悩ませる。
 辺境とはそんなところだった。

 白虎の里から少し離れた地に野営すると、セスランが指示を出した。
 前世の記憶のとおりだ。
 警戒心の強い白虎族に、いきなり近づくのは良くないとセスランは説明してくれた。

「今夜はここで野営する。
 もうここは白虎族の土地だ。
 そのつもりで、気を抜かぬように」

 ピンと張りつめた声が、ここは既に安全ではないのだと教えてくれる。
 おそらく白虎族の偵察隊が、あちこちに潜んでこちらをうかがっているはずだ。

「ごはんの準備、わたししますね!」

 予想どおり、エリーヌが良いところを見せようとする。

「白虎の人にも出してあげられるように、たくさん持ってきたんですよ」

 なるほど。
 エリーヌなりに、少しは学習したらしい。
 白虎族に気遣いを見せるとは。
 そして取り出したのは、オートミールの箱。

「これでお粥、作りますね」

 エリーヌの行動が、前とは違う。
 こんなまずいもの、誰が食べるのかなどと言っていたお粥を作る?
 パウラと同じ驚きが、セスランにもあるらしい。
 翡翠の瞳が、わずかに見開かれている。

「あんまり作ったことないから、練習してきちゃいました。
 きっとおいしく作りますね」

 パウラはナナミから聞いた「乙女ゲーム」という言葉を思い出す。
 この世界はナナミの世界にあった「乙女ゲーム」とやらいう演劇のようなものに、とてもよく似ているのだと。
 そしてエリーヌ・ペローは、そのヒロインだ。
 おそらくエリーヌは、ナナミと同じ世界からやってきた。乙女ゲームの記憶を持ったまま。
 だからセスランが望む行動を、あらかじめ予想できる。そしてそれは臨機応変に何通りかあるらしい。
 前世のエリーヌとは違う行動をとる理由がこれなら、かなり厄介だ。
 けれどパウラにも、前世の記憶がある。
 双方ともに記憶持ちであるのなら、ここから先は頭脳戦になる。
 どちらが出し抜けるか、その勝負だ。
 とりあえず夕食の準備でエリーヌがしくじることはなさそうだから、でしゃばるのはよろしくない。
 ここは退いて、様子をみることにしよう。
 
「わたくしもお手伝いしますわ」

「あ、良いよ。
 パウラみたいなお嬢様には、お料理なんて無理でしょ?」

 エリーヌの笑顔には、わかりやすく険がある。
 こういうところが修行不足なのだが、それはパウラにとってありがたいことだ。
 性格まで良くなられたら、エリーヌのセスラン攻略が前世より簡単になってしまう。
 ぜひこのまま根性悪でいていただかなくては。

「そう。では、お願いいたしますわ」
 
 あっさり退いたパウラに、エリーヌは拍子抜けしたような表情をしている。
 ここで彼女との舌戦にのってやるなど、愚策も良いところだ。エリーヌに異世界の記憶があるのは確かのようだが、あまり上品な性質の前世ではなかったのだろう。選ぶ言葉、しかけてくる挑発は、こちらの女性の集まりでも時々目にする低俗なものがほとんどだ。ああいう手合いには、冷ややかな無反応が一番だとパウラは知っている。
 けれど、1つ困ったことがある。
 この後、パウラにはセスランとの憩いの時間があるはずだったが、それはパウラが茅の実でお粥を作ることが前提である。それをエリーヌにとられたとなれば、その未来がなくなったのでは。
 
「パウラ、辺りを見回りに行く。
 一緒にどうだ?」

 甘やかなテノールがごく間近で響く。
 びくりと肩を震わせて見上げると、声に似合いの極上の微笑があった。

「どうした?」

「は……い。お伴いたします」

 手を差し伸べられる。
 まるで舞踏会へ出かけるようだ。
 寂しい枯草色の風景が、まばゆいシャンデリアの煌めく広間に変わるような完璧なエスコート。
 思わずパウラは微笑んだ。
 なんともセスランらしいと思ったから。
 完璧な礼法に従った所作と会話、やや堅苦しい印象はあるものの、優雅な物腰とそれに極上の美貌。
 燃えるような紅い髪、深い翡翠の色の瞳、すうっと高くとおった鼻梁は弦無し眼鏡がしっかり止まりそうだ。
 大きく、けれど薄く形の良い唇は艶やかで、透明感のある白い肌によく映えている。
 貴公子中の貴公子と、パウラはそう思っている。

「あー-----!
 あつっ!!!
 火傷しちゃいました~~!!」

 お粥を作ると張り切っていたはずのエリーヌが、大きな声をあげて蹲っていた。
 仮病……ではない。嘘のケガはなんというのだろう。
 パウラとセスランが出かけそうな様子に、とっさにケガを演じたのだろうと楽に察せられる。
 正試験官の立場上、セスランは放っておけないだろう。

「アルヴィド、頼む。
 、手当を」

 ところが振り向きもせず、セスランは言った。
 
「仮にも聖女オーディアナ候補だ。
 治癒魔法は習得しているだろう」

 副試験官のアルヴィドが、わかったと頷いてエリーヌの傍に寄る。
 パウラはただ驚いていた。
 どうして、どうしてこんなに冷たい。
 嘘の火傷であったとしても、あまりにも露骨に嫌悪をしめし過ぎではないか。

「必要以上に関わりたくはない」

 天幕から30分ばかり歩いたところで、セスランが苦笑して言った。

「あれは私のことを、なぜだかよく知っている。
 私の出自、心の闇。
 傍に寄れば、知らぬ間に耳に毒を注がれるようだ」

 セスランも気づいていたのか。
 話してもいない自身のことを、知りすぎているエリーヌの不思議な行動について。
 パウラにしたところで、ナナミから教わっていなければ信じられなかったと思う。
 セスランにそれを言うべきか。もし言ったとして、信じてもらえるだろうか。
 
「だから私は、あの夜、己の弱さに負けた。
 パウラ、君を望む資格など自分にはない。
   そう絶望した末のことだ」
 
 痛みと哀しみ、それに悔いと。
 セスランの暗く沈んだ声には、ごちゃまぜになった感情があった。
 あの夜とは、まさか前世のあの夜のことか。
 エリーヌとセスランがそうなった、あの運命の夜。

「言い訳をさせてほしい。
 パウラ、私がそう言えば、君は許してくれるだろうか」

 許してほしい。
 パウラの前に跪く。
 見上げた翡翠の瞳が、パウラの答えを乞うように揺れていた。
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