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第四章 オリヴェルの章(オリヴェルEDルート)

43.あの日、誰もいなくなった

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 西の大陸ヴェストリーの、大公家の次男としてオリヴェルは生まれた。
 父のサカリアスと母アイラは、巷では有名な仲の良さで、その間にもうけた二人の公子も利発でかわいらしいとなれば、言うことはない。
 絵に描いたような、幸せな家族であった。
 オリヴェルが5歳になる、その日まで。

 その日のことを、オリヴェルはよく覚えている。
 朝、目覚めると身体がとても熱かった。
 ずきんずきんと頭は痛み、特に目は焼けるように熱い。
 どうにかなってしまったのかと心細くて、呼び鈴を鳴らした。

「オリヴェル様、その目!」

 呼び鈴に応えたメイドが、扉を開くなり悲鳴に近い声を上げる。

「大公様!
妃殿下!
大変でございます」

 オリヴェルをそのまま置いて、彼女は部屋を飛び出して行く。
 残されたオリヴェルは、まだうずく目を押さえながら寝台からよろよろとはい出した。

「僕の目がどうしたっていうんだ」

 姿見の前に立って、声にならない悲鳴を飲み込んだ。

 緑。

 オリヴェルの灰色だった両の瞳の色が、変わっている。
 青に近い緑色。
 それは風竜の血を継ぐヴェストリー大公家の嫡子にだけ現れるものだが、当時のオリヴェルにはただ怖いだけだった。
 何かが自分の身に起きている。
 それだけはわかるのだけれど、メイドの尋常ではない驚き方に、不安が募るばかり。

「オリヴェル……。
おまえに出るとは」

 駆けてきたらしい父サカリアスが、オリヴェルの頬を両手で挟むようにして、じっと瞳をのぞきこんだ。

聖紋オディラは?」

 なんのことだかわからないオリヴェルが震えていると、父は彼の身体に手を伸ばした。
 だぼっと大きな寝巻が、まくりあげられる。
 不安におののくオリヴェルの左腕を、父は掴んだ。

「ああ、やはりあった」

 肩に近い上腕部に、赤い三筋の斜線紋がくっきりと浮かび出ている。

「間違いない。
嫡子の聖紋オディラだ」

 黒地に金糸の縫い取りをした上着を脱いで、父はシャツの袖をまくり上げる。
 同じ紋が、そこにあった。
 左上腕部のやや下のあたり。

「なんてこと……」

 母のアイラは真っ青だった。
 小さく震えている。

「悪いことなの?」

 母の様子に、オリヴェルの不安はますます強くなった。
 なにかとんでもないことが起きているんじゃないか。
 そしてそれは悪いことなのではないか。

「いいや、どうして悪いことであるものか。
これはおまえが、風竜ヴェストリーの嫡子だと認められた証だ。
祝いの宴を開かねばならん」

 少しこわばった顔をしていたが、父はそう言って笑ってくれた。
 けれどオリヴェルの不安は残る。
 祝う事だというのなら、父も母もどうしてこんなに怖い顔をしているのか。

「オリヴェルに聖紋オディラが出たって?」

 5歳離れた兄ベルトランの顔を見た時、オリヴェルはようやくわかった。
 やはりこれは、喜んではいけないことなのだ。
 だって兄の灰色の瞳には、はっきりとした怒りと憎しみが映っていたから。




「あなたが悪いんじゃないわ。
 気にしなくていいの」

 それからというもの、重苦しい空気が大公家の屋敷内に広がった。
 おどおどと様子をうかがうようになったオリヴェルの頭を、母はいつも撫でてくれた。
 そして「でもね」と、必ず続けるのだ。

「でもねベルトランの気持ちもわかってあげて。
あの子は長男で、自分がヴェストリーを継ぐのだと信じて、これまで頑張ってきたんだから」

 長男のベルトランは、父譲りのオレンジの髪と母によく似た端正な顔立ちをしている。
 1ダースの家庭教師が皆、舌をまくほど優秀で、次期の大公はベルトランだと自他共に認める存在であった。
 対してオリヴェルはといえば、顔の造作こそ兄とよく似ていたが、性格はまるで違う。
 内気で控えめ、兄が剣術や魔術に秀でているのに、その方面はまるで兄に敵わない。
 どちらかといえば、音楽や絵画に興味があった。

「オリヴェルはそれでいいんだよ。
大公になるわけじゃないんだから」

 剣術の稽古の後などに、出来の悪い弟を兄はそう言って慰めてくれていた。
 次期大公は、兄にとって彼自身を支える大切な座であったのに。
 それをできの悪い弟が、奪ってしまうとは。

「どうしてベルトランに聖紋オディラが出てくれなかったのかしら」

 それこそが問題だと、なにかにつけて繰り返しため息をつく母。
 その様子を見て、諫めるわけでもなく黙ったままの父。
 まだ5歳になったばかりのオリヴェルに、平気でいろというのは無理だろう。

 ベルトランはあれ以来はっきりと、オリヴェルを避けていた。
 これまでいつも一緒だった食事の席にも現れない。
 剣術や魔術の稽古も別々になれば、広い屋敷のことで、偶然すれ違うことすらなくなった。
 そうして気まずい1年が過ぎた頃。
 

 屋敷内の重苦しい空気に息の詰まる思いをするようになって、オリヴェルは部屋のバルコニーに沿うように立つ大きな木を伝って、外に出ることが多くなった。
 時にはその木の枝の間に寝転がって、本を読んだり絵を描いたりする。
 さわさわと木の葉の重なる音を聴きながら、いつのまにか寝入ってしまうこともしばしばで。
 今のオリヴェルには、なくてはならない避難場所であった。

 ある日、いつものように木の上で本を読んでいると、馬のひづめの音がした。
 だんだんにこちらに近づいてくるようで、オリヴェルはそっと下を伺ってみる。
 兄だ。
 騎馬での戦闘訓練の後らしく、彼は軽装の鎧を身に着けていた。
 鈍い銀の鎧は、少年の身体に負担になりすぎないように軽量化処理がされている。
 オリヴェルも同じようなものを持っているが、兄のものにはヴェストリーの聖紋が刻印されていた。

<どうしたんだろう>

 普段寄り付きもしない兄だ。
 オリヴェルの部屋のバルコニーの下で馬を止め、じっと見上げる様子を不思議に思う。

「…………ってしまえばいい。」

 小さな声だった。
 聴き取れなくて、オリヴェルは身を乗り出した。
 そのはずみで、手元の本を落としてしまう。
 
 厚い革表紙の本は重く、よく手入れされた緑の芝の上で、ばさりと大きな音をたてた。
 思いもよらない物音に、兄が瞬時に振り返る。

「誰だ?」

 見上げた先にオリヴェルの姿を見つけた途端、兄の顔は歪んだ。

「おまえか。
相変わらずけっこうなご身分だな。
剣の稽古もしないで、昼寝とは」

 あからさまな敵意に、オリヴェルは怯む。
 こんなことを言う兄ではなかった。
 いつだって頼れる、優しい兄だったのに。
 
「どうして……。
どうしてこんな出来損ないに、風竜ヴェストリー聖紋オディラを授けた!」

 吐き出された憎しみが、むき出しの刀身となってオリヴェルの心を切りつける。

「おまえなど、いなくなってしまえば良い」

 返す刀は、オリヴェルの心を凍らせた。
 
 イナクナッテシマエバイイ。

 オリヴェルが望んだわけではないのに。
 聖紋オディラなど欲しくはない。
 大公家の嫡子の座など、けして望んでいないのに。
 哀しくて、寂しくて、消えてしまいたいとオリヴェルは思った。

 父も母も、もう昔のようではない。
 いつも兄を気遣って、オリヴェルを人前に出さないようにしている。
 祝うべきことと言いながら、できるだけ隠そうとされる自分の扱いに、だんだん慣らされて卑屈になってゆくのも苦しかった。
 だからもう、楽になりたい。

「わかりました、兄上。
できるだけ早く、僕、ここを出てゆきます」

 そう言ってオリヴェルは、枝を伝って部屋へ戻った。
 兄がどんな顔をしていたのか、彼は知らない。
 知りたいとも、思わなかった。
 
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